第11話 幼馴染とかわいい先輩の戦いはどちらも味方できない件
それから杏先輩と極力手を離さないようにショッピングモールのあちこちを回って帰路につく。
「今日は楽しかったね」
「はい。僕も楽しかったです」
「また一緒にお出かけしてくれる……?」
「杏先輩の頼みなら喜んで」
「やった」
屈託なく笑う杏先輩がかわいくて僕の心臓はまた飛び跳ねる。
「でも次どこか行くときは”友達”じゃないほうがいいな」
「それって――」
「またね」
杏先輩はひらひらと手を振って去っていく。僕は心臓の鼓動の大きさをごまかすように杏先輩が見えなくなるまで手を振った。
× × × × ×
翌日、登校中に杏先輩に出会った。
「おはよ。壬君」
「おはようございます。杏先輩」
「今日は少し暑いね」
そう言いながらぱたぱたと手で胸元を仰ぐ杏先輩。僕の目は自然とその豊満な胸元に向けられてしまう。
「そうですね。もう春も終わりですからね」
「あたし夏嫌い」
「あー……そうですね」
つい昨日触れた杏先輩の痕を思いだす。きっと杏先輩は積極的に手首が見える服を着たくはないだろう。
「僕も夏は苦手です。早く冬になればいいですね」
「……壬君は優しいね」
儚げに笑う杏先輩をどうにかする術を僕は持ち合わせていなくて、少しでも気分が紛れたらと自分の持つ楽しい話を次々と繰り出す。それに杏先輩は時々笑ったり、時折興味深そうに聞いてくれる。杏先輩が隣にいると水瀬のことで悩んでいて自分が浄化されていくような気がした。
「壬」
短く鋭く僕の名前を呼ぶ声。その声は聞きなれた幼馴染の女の子のもので、その声は氷点下の温度を含んでいた。
「水瀬……」
「おはよう。今日はいい天気ね」
「う、うん……」
「水瀬ちゃん、おはよう」
「…………」
「あれ? 無視?」
あっ、まずい。本能的にそう思った。たった五秒程度のやりとりの中に修羅場の三文字を見た気がする。
「壬。私はね――」
「いまはーあたしと壬君がおしゃべりしてるんだけどなー?」
「……壬。私は、壬が他の女の子の浮気していても気にしないわ」
「は?」
周りを行く生徒たちがぎょっとして足を止める。どうやら僕らの異様な雰囲気に気がついたらしい。
「最終的に私の元に戻ってきてくれたらいい。浮気でも男同士の恋愛でもなんでも全部許すわ」
「ちょ、ちょっと水瀬」
「でもね――」
「童貞だけは私がもらうわ」
「ちょっと待って⁉」
ざわざわと喧噪が広がっていく。なんで朝から幼馴染の女の子に童貞であることをカミングアウトされなければいけないのだろう。
「私は壬のこと、独占しないわ。だからその女と付き合うことになったら一発ヤる前に――」
「マジで勘弁して! 人! 人がいるから! 周りに!」
「人がいるのがいいのよ。だって証人になるじゃない」
「マジでヤバいよ……」
頭が痛い。全世界のどこに幼馴染の童貞を必ず奪う宣言を白昼堂々する女の子がいるのだろう。
「壬君大丈夫?」
「だいじょばないです……」
「壬君かわいそー。どうするの? 水瀬ちゃん。壬君に恥かかせて」
「恥? 恥ずかしいのはあなたでしょう」
「は?」
「何? その傷は?」
水瀬が絶対零度で杏先輩の左手を見る。
「その手で壬に触れないでほしいのだけど――」
「うるさいっ!」
半ば悲鳴のように杏先輩が水瀬の言葉を遮る。
「壬君はこんなあたしでもかわいいって言ってくれるもん!」
「へぇ……そうなの? 壬?」
怖い。水瀬の僕を見る目がとんでもなく怖い。
「ねぇ。壬。あなたには私しかないわよね?」
「さ、さっき浮気していいとかって言ってたのは……?」
「あら。浮気がしたいの? いいわよ。私と結婚した上でちゃんと最初のえっちを私とするなら」
「そういうことを言ってるわけではない」
「あら? じゃあどういうことなのからしら?」
「それは――」
「壬君は幼馴染の水瀬ちゃんよりあたしの方がかわいいって言ってるの」
杏先輩がするりと僕の左腕に巻き付く。こんな時でも杏先輩の胸の柔らかさに意識がいってしまう自分が愚かしい。
「へぇ……」
「み、水瀬……」
「私は嫉妬なんてしないわ。だって正妻だから」
「ぷっ、フラれておいて正妻って」
「うるさいわね。リストカット女」
「誰がリストカット女よ。激重結婚強制女!」
本当に朝から僕たちは何をやっているのだろう。どうしてこんな修羅場になっているのだろう。頼むから誰かなんとかしてほしい。
「壬は私の味方よね?」
「壬君はあたしの味方だよね?」
「僕は――」
杏先輩を左腕からほどいて、自分の気持ちを整理するために一呼吸ついて、二人に向き合う
「僕は水瀬のことは幼馴染としては大事だよ。それは前も伝えた。でも水瀬が今やっていることはおかしいよ。どうして僕の気持ちを知ってまでこんなことするの?」
「壬……」
「僕が杏先輩と仲良くしていたっていいよね? そりゃ水瀬は納得いかないかもしれないけど」
水瀬のことは決して嫌いじゃない。小学校、そして中学一年生のあの日まであれだけ幼馴染として水瀬のことをサポートした。優しくした。それは水瀬のことが嫌いなら決してできないことだった。
でも水瀬は冷たく僕に別れを告げた。
それなのにいきなり戻ってきて結婚しろだのなんだの迫ってきたり、僕の気持ちを無視した行動をしてきたり――そんなの耐えられるわけがない。
「壬、私は――」
「水瀬のことは大切だよ。それは嘘じゃない。でもそれは幼馴染としてだよ」
いきましょう。杏先輩。
「ま、待って――」
水瀬の声を置き去りにして、慌てて追いかけてくる杏先輩と一緒に再び学校を目指す。
「じ、壬君」
「杏先輩はリストカット女じゃないです」
「えっ」
「かわいい先輩です」
「壬君……
優しく微笑んだ杏先輩は半歩横にずれて、僕に肩がぶつかるくらいの距離感で歩き始めた。
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