第10話 かわいい先輩とデートをしたらきっと結婚を迫ってきた女の子のことなんて忘れてしまう件

 杏先輩とは時折LINEをする関係になって、デートはGWの初日に行くことになった。その日を待ち遠しにしながら、水瀬のことはなるべく考えないようにしながら、毎日を無難に過ごした。


 そして待ちに待ったGW初日の四月最終日。杏先輩とショッピングモールの最寄り駅で集合した僕は、待ち合わせの三十分前に到着した。

 弥生の意見も取り入れて選んだ服は多分それなりにかっこいいと思う。弥生にはどこに誰と行くのか散々訊かれて水瀬ではないことを必死に伝えて「お兄ちゃんがダサい恰好で出歩くくらいなら……」と渋々協力してもらったのだ。杏先輩とデートすることを知ったらまた怒るのだろうか、それともストーキングしてくるのだろうか。ストーキングだけはしないで欲しい。


「ごめんね。待った?」


 待ち合わせ時刻に五分遅れでやってきた杏先輩は今日もかわいかった。服はいつか見たあのフリルが付いた地雷系を思わせるものと同系統のもので、ヒールの高い靴を履いていた。


「いえ、僕もさっき来たところです」

「よかった。それじゃ行こ」


 杏先輩の一歩後ろを歩く。水瀬より低くて、弥生よりも少し高い杏先輩の身長のてっぺんで揺れるリボンに導かれてバスに乗る。ここから五分ほどでショッピングモールにはたどり着く。


「妹ちゃんにはなんて言ってきたの?」

「友達と映画を見に行くって言ってきました」


 日々LINEでやりとりする中で弥生のことは杏先輩にも伝えていた。水瀬の一件もあったが、やたら兄離れができない、つまりはブラコンの弥生の存在は杏先輩も知っている。


「そっか。お兄ちゃんとられて悔しいのかな?」

「そういうかわいい感じだったらいいんですけどね……」


 かわいい感じであってくれ。頼む。


 談笑しているうちにバスはショッピングモールに到着した。GW初日ということもあってか、周りには家族連れや女性複数人のグループ、そしてカップルがあふれかえるほどいた。僕たちもその一員になって、入り口を目指す。


「午前中はあたしのお買い物に付き合ってもらう感じで大丈夫?」

「大丈夫ですよ。荷物持ちなら任せてください」

「ふふっ、頼もしいね。それじゃたくさんお買い物しちゃお」


 その言葉通り杏先輩に様々なお店へと連れていかれた。やっぱりというか、杏先輩はそういう系統の服が好きみたいで今と変わらないような服をたくさん試着した。そんな杏先輩がかわいくて、僕は「似合ってます」と「かわいいですね」を何度も口にした。それに杏先輩はニコニコと笑って「ありがと」と短くお礼を言う。そんなやりとりが心地よくて、楽しくて、ドキドキする。


 いくつかのお店の紙袋を持って僕と杏先輩はショッピングモール内のイタリアンのお店に入った。流石に混んでいたけど、杏先輩が予約していたようですんなり入ることができた。杏先輩はアラビアータを、僕はカルボナーラを頼んだ。


「杏先輩って辛党ですよね?」

「そうかな?」

「そうですよ」


 杏先輩の辛いもの好きは本人確の自覚はないようだ。今日も唐辛子が結構入って辛そうなアラビアータをパクパク食べる。


「午後はどうしよっか? 壬君は何か買いたいものとかある?」

「うーん……あまり思いつかないですね……」

「それじゃぶらぶらしてみよっか?」

「そうですね」


 お店が混んでいたこともあり早々に退店した僕たちは再びショッピングモールの人並に飛び込んだ。五月晴れという言葉通りに晴れ渡った空に反射して何もかもがキラキラ輝いて見える。


(高校に入学してから慌ただしい毎日だったな)


 水瀬に突然結婚を迫られてから、水族館に行ってプロポーズされてそれを断って――それなのに今、僕は、二週間前に出会ったばかりの杏先輩とデートをしている。

 そんなことを思ってようやく気が付いた。


 水瀬のことなんて今まで意識もしていなかったことに。


「あっ」


 ふっと意識を現実に戻すとちょっとした段差に捕まった高いヒールを履いた杏先輩が転びかけていた。


「危ない」


 反射的に杏先輩に手を伸ばす。

 杏先輩の左腕を捕まえて胸の内に抱きかかえる。


「だ、大丈夫ですか――」

「うん。大丈夫――あっ」


 手のひらに伝わった感触がわかってしまった。知ってしまった。

 ぱっと杏先輩が僕から離れる。


「……気づいたよね」

「……そうですね」


 でこぼことした感触は、中学時代に同じクラスだった、不登校気味だった女の子の左手首に刻まれたあの光景を思い出す。


「あたしさ、ダメなんだ」


 世界から音が消えて、杏先輩の声だけがやたらクリアに聞こえる。


「自分の好きなかわいい服を着るだけで地雷系とか言われて、好きな人と付き合っただけでビッチって言われて、好きな人と別れただけで泣いただけで面倒くさい女って言われて……さみしくても頼れる友達なんていなくて、一人で泣きたくて死んじゃいそうなときには”こう“するしかないんだ」

「…………」

「壬君はこんな女の子は嫌いかな?」


 答えられなくて、無意識に持ち上げた手は何もつかめずに下ろすことしかできない。


 杏先輩のことをかわいいと思った。水瀬や弥生じゃ味わえない、女の子に対するドキドキを感じた。ただそれだけでいいのだろうか。杏先輩のこと、もっと知らなくていいのだろうか。


 脳裏に一瞬浮かんだ水瀬の顔を消す。杏先輩の左手を右手で握る。


「僕は……杏先輩はかわいいと思います」


 いつか食堂で言ったセリフをもう一度口にする。

 杏先輩はあの時と同じように笑って、ごめんねと口にした。

 杏先輩の手を壊れない程度に強く握りしめる。

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