第9話 かわいい先輩とランチからデートに行くことになった件
昼休み。LINEで杏先輩に呼び出された僕は、入学式のオリエンテーション以来となる学食に訪れていた。学食は決して広いとはいえず、基本的に一年生は使用禁止になっている。しかし二年生以上の恋人がいる場合や先輩に呼び出された場合は例外だ。
上級生たちの中に一人いることに緊張しながら学食前へ。すでに杏先輩はそこにいて、短いスカートから覗く細い足を惜しげもなく晒してピンクのかわいいカバーがついたスマホをいじっていた。
「杏先輩」
僕が声をかけると杏先輩はニコニコと笑いながら小さく手を振った。かわいい。
「すみません。お待たせしてしまって」
「ううん。全然待ってないから大丈夫だよ」
それじゃ行こっかと導かれ食堂へ。食堂は券売機で食券を買うシステムだ。
「約束通りおごるから好きなの選んでいいよ」
「えっと……杏先輩はなに食べますか?」
「あたし? あたしはね、麻婆豆腐定食」
「それじゃ同じのを」
「りょーかい。ご飯は大盛?」
「はい。大盛で」
杏先輩がこれまたかわいい財布から小銭を取り出してジャラジャラと券売機に入れる。吐き出された食券のうちの一枚を渡される。一緒に麻婆豆腐が提供される列に並んで、食堂のおばちゃんから麻婆豆腐定食をもらう。窓際の二人掛けの席に座る。
「じゃ、食べて食べて」
「ありがとうございます。いただきます」
スプーンで麻婆豆腐を掬い一口食べる。うん。結構辛い。いやかなり辛い。えっ、これ学校の食堂で出すものなの? 食べられるか結構ギリギリだ。
「杏先輩これ結構辛いですね――」
と声をかけた瞬間、杏先輩は中蓋を取った一味唐辛子の瓶をほぼ真っ逆さまにしてその中身の半分を麻婆豆腐にぶちまけていた。
「ん?」
「あっ……いやなんでもないです。おいしいですね」
「うん。ピリ辛でいいよね」
杏先輩はスプーンで麻婆豆腐(というか一味唐辛子の山)を救うと平気そうな顔で口に運んだ。杏先輩は辛党のようです。
と、杏先輩の衝撃的な姿に気取られていて気づかなかった周りの声がようやく耳に入る。
(杏のやつまた男連れてるよ)
(今度は誰? また三年のサッカー部?)
(制服が一年のだから新入生かな?)
(えっ、もう一年に手出してるの?)
(てか他校のガラ悪そうなのどうしたの?)
(昨日インスタのストーリーで振ったとか言ってなかったっけ?)
(振られたの間違いだろ)
(確かに)
クスクスとした笑い声は食堂の雑音の中でもしっかり響き渡る。
「あー……ごめんね。聞こえるよね」
「えっ、あ、いや、その……」
「ごめんね。あたしそういう感じでさ」
「…………」
上手な返し方が思いつかなくてしどろもどろになってしまった僕に杏先輩は優しく笑う。誤魔化すように麻婆豆腐を食べる。さっきよりも辛い。
「なんでさ、好きな男の子と付き合って、好きじゃなくなったから別れただけでこういう扱いされなくちゃいけないんだろうね」
「えっと……」
「ごめん独り言」
「杏先輩はかわいいと思います」
思わず口走って、なに言っているんだと自分で突っ込む。
そんな僕に杏先輩は一瞬ぽかんとした後、これまでの控えめな笑みとは違いお腹を抱えるように笑い出した。
「す、すみません……いきなり変なこと言って……」
「ううん。大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
杏先輩が目の端に浮かんだ涙をぬぐう。弾けた涙が宙でキラリと光る。
「ねぇ、壬君」
「な、なんでしょうか」
「昨日一緒にいた女の子たちとはどんな関係?」
「えっと……ちっこいのが妹です。背の高いのは幼馴染の水瀬です」
「そうなんだ。幼馴染の女の子とは付き合ってるの?」
「いや、そういう関係じゃないです」
「そっか」
その後、しばらくお互い無言で麻婆豆腐定食を食べる。飽きたのか、それとも教室に戻ったのかクスクスとした笑い声は聞こえなくなっていた。
「ねぇ壬君。デートしない?」
「デート……ですか?」
「うん。壬君にかわいいって言われたから、君のこと気になったの」
ニコっと笑みを浮かべられて心臓が思い出したかのように急激に鼓動を打ち始める。
「も、もちろん。僕で良ければ……」
「ほんと? やった。嬉しいな」
さらにかわいい笑顔を浮かべる杏先輩を直視できずに、僕は残った麻婆豆腐定食をいそいそと食べる。
「ごちそうさまでした。おごってもらってありがとうございます」
「ううん。気にしないで」
僕が食べ終わってしばらくして、杏先輩も麻婆豆腐定食を食べ終わる。
「壬君はお休みの日は何してるの?」
「休みの日ですか? 両親が忙しいので家事したり、後は妹の買い物に付き合ったりですかね。今は部活もやってないですし」
「そっか。それじゃデートはショッピングモールに行くのはどうかな? ここから一時間くらいのところにある」
「いいですね。ぜひ」
「お買い物、付き合わせちゃうことになるけど」
「いえいえ。杏先輩とお出かけできるなら」
「壬君は優しいね」
杏先輩がテーブルの上で自由になってる僕の左手に触れる。
「デート、楽しみにしてるね」
それじゃ行こっか、と立ち上がった杏先輩に連れられて僕たちは食堂を出た。
× × × × ×
教室に戻ると、水瀬と目があった。
僕は先ほどの杏先輩との楽しいひと時を一瞬忘れて、水瀬になんて声をかけようかと思考を巡らせた。でも、昨日あんなことがあった水瀬にかける言葉は見つからなくて自分から目を逸らした。
水瀬がどんな表情をしていたのか、僕は知らない。
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