第8話 デートの終わりに運命的な出会いをした件
電車に揺られて帰路につく。僕と水瀬の間には決して軽いとはいえない沈黙が漂い、疲れ切った弥生はよく寝ていた。
重い空気は誰でも苦手だと思うけど、幼馴染との重い空気ほど嫌なものはないと思う。だから僕はこの空気をどうにかしようとして、でもどうにもできなくて、行き場のなくなった右手をスマホの上で無意味に躍らせるだけで過ぎる時間をごまかしている。
どれくらい時間が経っただろう。いつの間にか正面の席に座っていた女の子が、小声で隣の男と言い争っているのが聞こえた。
「ちょっと! やめてって」
「話が違う」
「違くない!」
(うわぁ……)
と思ってしまったのも無理はないと思う。女の子の方は地雷系というのだろうか? ぱっつんの前髪にゴスロリ――とまではいかなくてもいくつかフリルのついた黒のワンピースに意味があるのだろうか? という網目の大きなタイツ? にゴテっとしたヒールの高いブーツ(ブーツ?)という格好だった。そして男の方は緑髪にゴテゴテと耳にピアスをつけ、ストーリー系のファッションでいかにもガラが悪そうだった。
落ち着かない気持ちに喧嘩の声は精神状態を悪くする。僕は/水瀬はなるべくその声を聞かないようにする。でも地雷系とガラ悪の声を意識せずに済むための会話は存在しなかった。
いつもより長く感じる電車内の時間を過ごしてようやく最寄り駅に着く。まだ寝ていた弥生を起こして、腕を引いて電車を降りる。すると地雷系とガラ悪も喧嘩をしながら降りてくる。先ほどよりもヒートアップした二人の口論は――
「あっ」
ガラ悪が地雷系の肩を押す。地雷系は靴が靴だからかたやすくバランスを崩し、今まさにホームから発車したばかりの電車の方へ――
僕は水瀬に押し付けるようにして弥生の体を預けると、僕はスローモーションの世界で地雷系の手を捕まえた。
間一髪でその体を抱き寄せる。思ったより彼女の体が軽かったこともあり、僕はそのまま駅のホームに背中から倒れこむ。
「壬⁉」「お兄ちゃん⁉」
心配して駆け寄ってくる二人。何かを叫んでホームから逃げるように去っていく男。僕は少し混乱する頭で未だに胸の中に収まる彼女に問いかける。
「大丈夫ですか……?」
彼女は声もなく一つ頷く。そして僕から離れると、信じられないほど小さくかわいい顔で儚げな表情を浮かべて立ち上がる。重さがなくなり、僕も立ち上がる。
「助けてくれてありがとね」
「あっ、うん。怪我はないですか?」
「大丈夫。それじゃ」
水瀬のものとも弥生のものとも違うバニラの香りを残して彼女は去っていく。カツン、カツンとヒールがホームのコンクリートを打つ音が響く。
「お兄ちゃん大丈夫?怪我してない?」
「えっ、あぁ、うん。大丈夫」
「よかった。でも流石だね。あんな風に知らない女の子助けられるなんて。ちょっとくっつきすぎだけど」
「僕がバランス崩しただけだよ」
苦笑いする僕は内心ドキドキしていた。
(あんなにかわいい子、初めて見た)
クールな水瀬とも、元気いっぱいな弥生とも違う、人形のように顔が小さく吸い込まれるような瞳が印象的だった。胸元に残るバニラの香りが、名前も知らない彼女の存在を確かに残している。
「それじゃ帰ろ? 今日の夜ごはんは弥生が作ってあげるから」
「うん。ありがとう」
弥生のぴょんぴょん跳ねる背中を追いかける。そんな僕を見る水瀬の視線が悲しそうなことに僕は気づかないフリをした。
× × × × ×
翌日。あれから水瀬とLINEのやりとりすらなく僕は一人で学校へ向かった。いつもの昇降口。ローファーから上履きへと履き替える。教室へ向かおうとしたとき、壁にもたれかかりスマホをいじっていた女子生徒と目が合う。
「「あっ」」
互いの声が重なる。ぱっつんの前髪とその下から覗く大きな瞳。間違いない。昨日ガラ悪と喧嘩をしていた地雷系だ。
「おはよう」
「おはよう……ございます」
にこやかに笑う彼女に慌てて敬語をつけたのは、胸元のタイが二年生であることを示す赤のラインが入っていたからだ。
「昨日は助けてくれてありがとね」
「いえ。別に対したことはしてないです」
「でもあたしは助かったの。もしかしたら怪我したかもしれないしね」
彼女が微笑む。見たことのない笑顔にまたもドキッとする。
「あたしは二年の己巳杏。君は?」
「睦月壬です」
「壬君か……よろしくね?」
「はい。えっと、よろしくお願いします……」
「ふふっ、かわいい」
「か、かわいいですか?」
「うん。後輩って感じがする」
どう返事をすればいいかわからず「そうですか」とだけなんとか口にする。
「ねぇ、壬君。昨日のお礼、させてくれない?」
「お礼ですか? 気にしなくていいですよ」
「だーめ。あたしが気になるの。昼休み、お昼ご飯おごってあげる」
「……わかりました」
「それじゃ連絡先、交換しよ?」
LINEのQRコードの画面を差し出してくる。
「LINEですか?」
「いや?」
「あっ、いやじゃないです。インスタかなと思って――」
僕は内ポケットにしまっていたスマホをいそいそと取り出し、杏先輩とLINEを交換する。
「それじゃまた昼休みね」
「あっ、己巳先輩」
「杏」
「えっ?」
「杏って読んで? 名字はかわいくないでしょ?」
「……杏先輩」
「ん-……後輩に先輩って呼ばれるのはいいね」
クスクスと笑うと杏先輩は短いスカートを翻して去っていった。
(聞き損ねたな……)
杏先輩が同じ学校だということはわかった。でもなぜ僕がこの学校に通っているということを知っていて、昇降口で待ち伏せしていたのか――それは昼休みに聞けばいいか。
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