第7話 幼馴染とのデート(妹つき)で結婚を迫られる件

「お兄ちゃんと二人っきりでおでかけ♡」

「あら、私もいるわ」

「……っち」

「こら。弥生。舌打ちしない」


 僕たちは三人で並んでガラスのドームに吸い込まれる。


「懐かしいね」

「えぇ」

「ちょっと。弥生はきたことないよ。二人で思い出共有しないでよ」

「えぇ……それくらい許してよ」

「ダメです」


 ぷんぷん怒る弥生に苦笑いする。水瀬に視線を向けると淡く微笑んだ。

 僕たちは約束通り三人で水族館にやってきた。小学校以来の水族館にテンションも上がる。特にこの水族館特有のガラスのドームは中に入る時ワクワクする。


「ねぇお兄ちゃん。弥生、イルカが見たい!」

「残念ね。この水族館にイルカはいないの」

「……っち」

「イルカが見たいなら今から鴨川シーワールドにでも行けばいいじゃない。私は壬とイチャイチャラブラブチュチュするわ」

「ちょっと! イチャイチャもラブラブもチュチュも許さないから!」

「落ち着いて二人とも……」


 やっぱり弥生は連れてこないほうがよかった。いや水瀬と二人きりで行っても勝手についてきたんだろうけど。


「弥生も邪魔するためについてきたわけじゃないでしょ? 水族館来たかったでしょ?」

「ううん。邪魔するためだよ」

「えぇ……」

「前も言ったけどお兄ちゃんと水瀬ちゃんがデートなんて弥生許せないもん」

「そっか……でもさ、せっかく水族館来たんだし僕は弥生と水族館楽しみたいな」

「お兄ちゃんがそう言うなら……」


 なんとか弥生を丸め込み普通に水族館を回ることにする。この後はなるべく水瀬と弥生を会話させないようにすれば大丈夫だろう。……大丈夫だよね?

 久しぶりの水族館はやっぱり楽しかった。弥生はマグロが泳ぐ水槽に水瀬は釘付けになり「お兄ちゃん! 大トロ! 大トロが泳いでる!」と大はしゃぎだった。シュモクザメが泳ぐ水槽、ライトの光を受けて輝くサンゴ礁の水槽、巨大な海藻が水槽に漂う水の中の森のような水槽、水の中を飛ぶように泳ぐペンギン――様々な魚が泳ぐ水槽をじっくり楽しむと時間はお昼過ぎだった。


「そろそろご飯食べようか」

「えぇそうね」

「弥生、マグロが食べたい! ねぇ水槽から取り立てで提供してくれる?」

「それは難しいのでは?」


 レストランにはマグロのカツカレーがあったので、弥生にはそれで我慢してもらう。意外にも魚系のメニューが少ないことに記憶との相違を感じつつ、僕も水瀬もマグロのカツカレーを食べた。


「やっぱり水槽から捕りたては美味しいね。お兄ちゃん」

「うん。捕りたてじゃないし、隣の小さい子がビビッてるからやめよ」


 ごめんね。三、四歳くらいの男の子。妹の冗談です。

 隣でカレーにパクつく妹から水瀬に視線を移す。背筋をピンと伸ばし、品の良さが感じられる所作でスプーンを口へと運ぶ。カツの油のせいか、それともリップのせいか、濡れて弾けそうな唇が妙になまめかしく感じられて僕は目を逸らす。


 記憶の中の水瀬を探す。一緒に水族館に来た頃には水瀬の身長は僕の身長を追い抜こうとしていた。それがどうにも嫌で、なんだか恥ずかしくて僕は必死に背筋を伸ばした。

 水族館は遠足で訪れた場所だった。でも水瀬は風邪で行けなくて、僕はどうしても水瀬に水族館を見てほしくて二人だけで水族館に行った。小学生の僕らにとって水族館に行くことは大冒険ですごくわくわくした。


(壬は優しいわね)

(えっ?)

(みんな私に冷たいもの)

(そうかな? 水瀬もみんなに優しくすれば、みんなも水瀬に優しくしてくれると思うよ)

(……そうね。それができたらいいわね)


 その頃には水瀬は自分の優しさが、他人に与えた優しさが自分の元には帰ってこないことを知っていた。水瀬が誰よりも勉強を頑張り、スポーツに打ち込み、背が伸びて大人の女性に近づくたびに、水瀬が誰かに向ける優しさは”憐み”や”憐憫”なんて単語で変換されて受け取られる。そんな周囲の人間に辟易していた。


「壬? どうかしたの?」


 思い出よりも大人になった水瀬が僕を見つめる。


「ううん。なんでもない。今日、水瀬とここに来れてよかった」

「そう……私もよ」

「ちょっと! イチャイチャするの禁止!」


 弥生に怒られて、僕たちが苦笑いすると仲間外れにされたように感じた弥生がまた怒った。



×   ×   ×   ×   ×



 それから僕たちはもう少し水族館を楽しむと園内を散策して回った。ここには水族館だけではなく様々な施設がある。適当にぶらつくだけでも楽しい。

 今日に合わせて踵がある靴を履いてきた水瀬に合わせて、ゆっくりと歩く。僕たちの三歩前で飛ぶようにはしゃぐ弥生の無邪気さが、僕と水瀬の間にある気持ちのすれ違いを紛らわせてくれる。


「(ねぇ壬)」

「(どうかしたの?)」

「(ちょっとだけ二人きりになりましょう)」

「(……いいよ)」


 本当は水瀬と二人きりで来るはずだったのだ。弥生には悪いけれど少しくらい二人の時間があってもいいだろう。

 僕たちは人込みが多いエリアにわざと向かって弥生からはぐれたふりをした。弥生のLINEに「トイレに行ってくる」と送って小走りで遠くに向かう。

 どれくらい走っただろう。観覧車の前で水瀬は立ち止まり、近くにあったベンチに座る。

 少し息を整えた後、水瀬が切り出す。


「今日は楽しかったわ」

「僕も。でもごめんね。弥生もついてきて」

「いいのよ。誘ったのは私だし」

「そっか」

「ねぇ、壬」


 水瀬が僕の名前を呼ぶ。


「私と結婚してください」


 水瀬の手にはいつの間に取り出したのか――指輪があった。


「私のこの感情が――重いってこと、わかっているわ。でも私は壬がいないとダメなの。この間の夜。水族館に行くって話をするまで壬と会話できなくて、一人ぼっちですごく寂しかった。孤独だった。世界に私一人しかいないみたいだった。壬と話すだけで、壬が隣にいてくれるだけで、私は幸せなの。本当に本当に大好きなの。ねぇ壬。お願い」


一人ぼっちにしないで。


それは――プロポーズのようで、プロポーズではなかった。

そんな”幼馴染”のプロポーズに僕は――答えることはできない。


「結婚は……やっぱりできないよ。水瀬は幼馴染だから」

「…………」

「それに、恋人でもないのに結婚とかよくわからない」

「…………」

「水瀬に悲しい顔をさせたくない。だから――」

「……いいわ。それ以上何も言わなくて」


 水瀬は指輪をバックにしまって、僕に気づかれないように右手の人差し指で拭った涙を見つめる。


「壬が私のこと、嫌いじゃないのならまた何度だってプロポーズするわ。この先何度も何度も、何年先も何十年先も」

「…………」

「いつか壬の気持ちが変わる時を待つわ」

「……うん」


 遠くから弥生の声が聞こえる。

 二人きりの時間が終わる。空に夕暮れが迫る。僕たちは幼馴染の距離で、弥生への言い訳を考えて歩き出した。

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