第5話 幼馴染と夜の散歩で気づいた件
それから一週間は平穏な日常が続いた。
入学三日目にしてようやくクラスメイトと話すことができるようになった僕は、最初は奇異の目を向けられながらも無難に友達を作ることに成功しクラスLINEに入れてもらった。体育の授業のペア、グループワークで困らない程度の関係は築けたはずだ。
一方、水瀬は僕の知っている中学時代と同じく孤独を――孤高を極めていた。ここ数日は何人かの女子が水瀬に話しかけていたが、その全てを彼女は無視した。そしてあらゆる授業で才色兼備、文武両道の片鱗を見せつた。いつかと同じように「水瀬は一人が好きだからそっとしておいてあげよう」なんてかわいい理由からではなく明確に畏怖の対象としてクラスメイトから二歩も三歩も距離を置かれた。クラスLINEに水瀬の猫のアイコンはまだない。
(これでよかったんだろうか……)
自問自答しても出てこない答えを探すことを、日々の忙しさを言い訳にして誤魔化した。水瀬だって子どもじゃない。周りに頼らない生き方をするなら、自分なりにどうにかするだろう。そんな希望的な観測の元、僕は水瀬よりもクラスメイトと仲良くなることに努めた。
× × × × ×
金曜日の夜。そろそろ日付も変わろうかという時間。僕は垂れ流していたYouTubeの音の端で隣の家のドアが開く音を聞いた。
(水瀬?)
カーテンを開ける。するとパーカーにショートパンツといういかにも部屋着という水瀬が家から出てくるところだった。
(こんな遅い時間に何を――)
胸の内にざわめきを感じて、ハンガーラックからウインドブレーカーを引っ掛け水瀬を追うことにした。
スマホと財布と家のカギをポケットに突っ込む。弥生を起こさないように静かに階段を下りて家の扉を開ける。
(どこ行ったんだろう……)
水瀬が向かった場所がわからずしばし迷う。コンビニ? 近所の公園? わからないまま、感覚の赴くままに河川敷へと向かう。四月の河川敷は夏のむわっとした川の香りも、秋の煌めくススキの優雅さも忘れて静かに桜の香りをどこからか運んでくるだけだった。頼りない街灯を頼りに、人のいない土手を歩く。
どれくらい歩いただろう。美しい背中をこれでもかと丸めた水瀬を見つけた。
「水瀬?」
「……壬」
驚いたような、それでいて冷たい視線が僕を射抜く。
「どうしたの? こんな夜中に……」
「壬には関係ないわ」
視線を逸らした水瀬がさらに体を縮こませる。
「隣、座っていい?」
「……(こくっ)」
夜露に濡れ始めた芝生に腰を下ろすとそれまで感じていなかった、四月の肌寒さを感じた。
「寒くない?」
「……寒いかもしれないわ」
「それじゃこれ貸すよ」
いそいそと脱いだウインドブレーカーを手渡す。
「……ありがと」
ウインドブレーカーを着た水瀬の表情筋が緩んだのを見て、僕はどうでもいい話を始める。
「学校はどう?」
「普通よ」
「そっか。水瀬は一人でこっちに戻ってきたの?」
「そうね」
「水瀬のお父さんとお母さんは元気?」
「えぇ」
「一人暮らしは大変?」
「それなりに」
「水瀬も戻ってきたし、いつか昔みたいにガレージでバーベキューでもしたいね」
「えぇ」
「水瀬は相変わらず骨付きのソーセージが好き?」
「好きよ」
えぇ。好きよ。
二言目の好きは違う色を含んでいた。
「ねぇ」
「うん?」
「私って重い女よね?」
「うーん……」
「いいわ。言わなくて」
水瀬はあまり見えない星をぼーっと見つめる。
「引っ越してから気づいたの。壬のことが好きだって」
「……うん」
「壬だけだったわ。私に変わらずに接してくれたのわ。私が綺麗になるたびに女の子は嫉妬を、男の子は性欲を含んだ視線を向けてきた。私がテストで満点を取るたびに両親は期待を、先生は生意気だなという視線を向けてきた。私が――」
「もういいよ」
水瀬の悲しい顔が見たくなくて、水瀬の言葉をそれ以上知りたくなくて言葉を冴えぎった。
「僕は――水瀬のことが本当に大切だった。僕は悔しかった。水瀬が一人ぼっちでいることに、誰にも理解されないことに」
「…………」
「だから水瀬に優しくしたんだ。今も、昔も。水瀬は大したことのない僕にとってはヒーローみたいな存在で、守るべき幼馴染で――」
「でも、好きじゃないんでしょう?」
「…………」
「好きでもない女の子に、壬は昔から優しいわよね」
「それは――」
「ごめんなさい。酷いことを言ったわ」
風が吹く。さっきよりも五度くらい温度が下がった風に身震いする。
「結婚のこと、あれは冗談じゃないわ」
「……うん」
「今はまだ無理かもしれない。でもいつかきっと、壬のことを振り向かせて見せる。私が壬のことを必要としているのと同じくらい、壬にも私のことを必要とさせてあげる」
「……うん」
「ねぇ、壬」
もう一度、キスする?
ノーメイクでも美しい水瀬の顔が僕に近づく。
僕の心の中は、あの意識を失うほどのキスを味わいたいという欲求と、好きでもない女の子に期待させるだけの行為を咎める理性がせめぎあう。そして勝ったのは理性のほうだ。
水瀬の肩を優しくつかみ、距離を取る。
「ごめん」
「……いいわ。この前もだけれど、急すぎるわよね」
「そう、だね」
「ねぇ、壬」
「なに?」
「キスは諦めるわ。その代わりにデートに行ってくれないかしら」
「デート?」
「水族館に行きたいの」
「……懐かしいね」
「えぇ。帰ってきたら壬と一緒に行こうと思っていたの」
「……わかった。それじゃ行こうか」
「……ありがとう。壬」
微笑む水瀬にドキッとして、僕は思わず目を逸らした。
夜の散歩。二人だけの約束。久しぶりに話した水瀬は心なしか元気になったようで、土手から立ち上がると僕を誘って家路についた。
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