第4話 幼馴染とのキスを許せない妹が大暴走している件
水瀬から強烈なディープキスをくらった後の授業なんて集中できずはずもなく、上の空の究極の頭で先生の話を聞き流した。幸いにも入学二日目。まだ本格的な授業は行われていなかったので影響はないだろう。
家に帰ると妹がリビングでアザラシみたいにソファに打ちあがっていた。
「おかえりーお兄ちゃんー」
「……ただいま」
「どしたの?」
「うん。ちょっと疲れちゃってね……」
「まだ入学二日目なのに? ……ってもしかして水瀬ちゃん」
「……うん」
「今日も結婚してって言われたの?」
「今日はそれだけじゃなかったけどね……」
水瀬の舌の感触を思い出して思わず右の手の甲を唇に。初めてにしてはあまりに強烈なキスは記憶からも感触からも簡単に消えない。
「……ねぇお兄ちゃん」
「なに?」
「もしかしてなんだけど……キスした?」
「えっ? いや、したというか――」
「したの? ねぇしたの⁉」
「いや。えっ、あっ」
妹は猫かと思うほど素早くソファから起き上がると僕の前に華麗に着地する。
「キスしたの?」
「……いや、その……はい。されました」
「嘘……嘘でしょ……? お兄ちゃんとキスなんて弥生だって九年八か月十六日間もしてないのに……そもそもいきなり帰ってきてお兄ちゃんとキスってなに? 恋人になったつもり? あれだけお兄ちゃんに冷たくしておいて今さらキスなんて許されるわけないよね……? ねぇそうだよね? 許せない……許せないよ許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない……」
妹はガクッと肩を落とすと呪文のように小声で何かを呟く。これはきっと聞かないほうがいいのだろう。
「……許せない」
「あのー……弥生?」
「いきなり帰ってきて! お兄ちゃんとキスなんて! しかもまだ付き合ってもないのに! 弥生は絶対に許せない!」
「弥生⁉ ちょっと待ってどこ行くの⁉」
「あの女のところ!」
タタタタッとものすごい勢いで駆け出すと弥生は水瀬の家に突撃しに行った。
「葵水瀬―! 出てきなさい!」
「ちょ、弥生! 近所迷惑だから」
「うっさい! お兄ちゃんは黙ってて!」
「いやそういわれても……」
「お兄ちゃんはいつもそうだよ! 弥生じゃなくて他の女の子の味方ばっかり……! ねぇなんで! なんでよ! 弥生じゃダメなの! 初めてお兄ちゃんとキスしたのは弥生でしょ! 弥生ならお兄ちゃんの好きなことも嫌いなことも全部、ぜーんぶ知っているのに! どうして水瀬ちゃんなんていうあれだけお兄ちゃんに冷たくした女の子に……!」
「わかった! わかったから!」
「わかってない! なーんにもわかってないよ! お兄ちゃんは!」
暴れる弥生を羽交い絞めしてなんとか家に連れ戻そうとする。
とちょうどその時、ブレザーを脱いだ制服姿の水瀬がドアから顔を出した。
「何してるの?」
「水瀬。えっとこれはその……」
「葵水瀬!」
妹が僕を振り切って水瀬の元に駆けていく。なぜこういう時だけ弥生はとんでもない力を発揮するのか……
「お兄ちゃんにキスしたのは本当なの⁉」
「…………」
「いいから答えて!」
「弥生落ち着いて!」
「落ち着けない! 水瀬ちゃんに答えてもらうまでは!」
「もうわかったよ! 水瀬、悪いんだけど弥生の質問に答えてあげて」
とんでもないパワーで水瀬に迫る弥生を前に全てがどうでもよくなり、僕は水瀬に助けを求める。
「えぇしたわ。キス」
「……ッ!」
「えっちなキスを」
「お兄ちゃん⁉」
驚愕に目を見開いた弥生が僕を見つめる。今まで衝撃のあまり意識すらできていなかったが、確かにあれはえっちなキスだ。
「お、お兄ちゃんの純潔が……童貞が……」
「いやごめん。まだ童貞です」
なんか妹に童貞って言われるの、めちゃくちゃ嫌だな……
「どうしてお兄ちゃんにその……え、えっちなキスなんてしたの⁉」
「マーキングかしら? 悪い虫がつかないように」
蛇のような笑みを浮かべた水瀬に、弥生は思わず後ずさりする。
「や、弥生は悪い虫じゃないもん!」
「そうかしら。なら良かったわ」
「そ、そもそも! どうしてお兄ちゃんにプロポーズしたの! 転校する前、あれだけお兄ちゃんに冷たくしてたのに虫が良すぎるよ!」
「……秘密よ」
「そうやってごまかして……! 本当の目的はなに⁉ どうしてお兄ちゃんと結婚しようとするの!」
「目的なんて……ないわ」
「目的がないのにどうしてお兄ちゃんと結婚しようとするの⁉」
「それは――」
「ずっと……ずっと壬と一緒にいたいから」
「「……えっ?」」
「友達とか……幼馴染とか……そんな曖昧で中途半端な関係はいらないの。揺るぎない関係が欲しいの。私には壬が必要なの。一生隣にいて欲しいの。引っ越して離れ離れになって、私は自分がひとりぼっちだってことに気が付いた。あんなに私に優しくしてくれたのに、手を振り払ってしまった、壬がいなくなってしまったことを後悔した。小さい頃から壬のことが好きだったってことに気が付いた。だから両親を説得して、自分一人でこの家に戻ってきた。壬と同じ学校に通うことにした。もう壬と離れたくないの。ひとりぼっちになりたくないの。こんな冷たい私に優しくしてくれる壬と、絶対に絶対に離れたくないの」
美しい顔をぐちゃぐちゃにして、今にも泣きそうな顔で水瀬は言う。
(なんとなく水瀬が僕に結婚を迫ってくる理由はわかったけど――)
「重いよ」
水瀬の告白を――プロポーズを弥生は引きちぎった。
「そんなの重いよ。自分勝手だよ。お兄ちゃんの手を振り払った後で、好きだなんて、必要だなんて……そんなの自分勝手だよ」
「……そうね」
「水瀬ちゃん、昔はかっこよかったよ。弥生の憧れだったよ。でも今はただのめんどくさい、重い女だよ。一生離れたくないから結婚したい? 先に離れたのは自分なのに?」
「…………」
「なんか損した気分。水瀬ちゃん、すごく綺麗になっててプレッシャー感じた弥生が馬鹿みたい」
「…………」
「……もういいよ。好きにすれば。お兄ちゃんも優しいだけで水瀬ちゃんのこと、好きじゃないみたいだし」
ね、と表情のない顔で弥生が僕に同意を求める。
「僕は――幼馴染として、水瀬のことは大切だよ。昔のことを知っているから余計に」
「……そう」
水瀬の顔は見られない。
「いこ、お兄ちゃん」
弥生の小さい手に優しく包まれて家に帰る。僕は立ち尽くす水瀬に何も言えなかった。
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