第3話 結婚しようと迫ってくる幼馴染に一日中追い掛け回される件
「結婚しましょう」
「結婚しません」
朝から何をやっているんだというやりとりもこれで五回目。まだ二時間目が終わったばかりにも関わらず、僕は水瀬に婚姻届にサインさせられようとしていた。
「ねぇどうして。私じゃ不満なの?」
「不満というか……」
「私、壬のためならなんでもしてあげられるわ。朝はメイド服を着て”おはようございます。ご主人様”から始まって、壬がお弁当を作るのをじっと見つめてるの。その後は制服に着替えて手を繋いで一緒に学校に行って、壬の横顔を見ながら一緒に授業を受けるの。お昼休みは壬の作ったお弁当をあーんで食べさせてあげる。学校から帰ったあとはめちゃくちゃいちゃいちゃして、夕ご飯は壬の作った唐揚げを食べるの。壬がお掃除、洗濯、洗い物と一通り家事を終わらせたあとはお風呂を済ませた私と――」
「ちょっと待って! 色々違うと思う!」
てか僕めっちゃ家事してない? 朝起こしに来てくれるメイドさんは何をしてるの?
「メイドさんはコスプレよ」
「お仕事もして⁉」
そんなこんなで朝からこんなやりとりを続けている。そのせいでクラスメイトたちからは明確に距離を取られている。「睦月くんと葵さん、ずっといちゃいちゃしてない?」「してるしてる。ヤバいよね」「ねー」「てかメイド服って睦月くんの趣味?」「いちゃいちゃってなにしてるの?」「そりゃそういうことでしょ」「メイドプレイか……なるほど」
(なるほどじゃないよ! そもそも僕はメイドさん好きじゃないよ!)
クラスメイトの噂に心の中でツッコミを入れる。もちろん状況は改善しない。
「とにかく! 結婚はしない!」
「そうよね。結婚は流石に急よね……」
「ようやくわかって――」
「まずは婚約からね」
「違うよね⁉」
「わかったわ。結納からね」
「違うよね⁉」
相変わらず話が通じない水瀬に辟易して僕は「トイレいくから! ついてこないで!」と席を立った。
結局、水瀬と落ち着いて話をすることができない。なぜあそこまで結婚を迫ってくるのか……皆目見当もつかない。僕が知っている水瀬は氷のように冷たくて、僕以外から話しかけられてもろくに返事もしなくて、クールを体現したような女の子だった。
それが今はどうだろう。隙があれば顔を赤らめて僕の机に婚姻届と叩きつけるばかり――
(ん? 好き?)
そういえば水瀬は僕のことが好きなんだろうか。
× × × × ×
昼休み。僕はお弁当を持って水瀬を中庭のベンチに誘った。入学二日目の空模様は透き通るほどの青で――本当ならクラスメイトと仲良くなるためにおしゃべりしたりしていたのだろう。そういえばこの学校には食堂もあるらしいからいつか行ってみたい。そんなことを考えた。しかし水瀬という存在を前にそんな妄想は無意味だった。
「いただきます」
「いただきます」
僕は自作のお弁当の包みを開き、水瀬はお弁当の袋を開いた。水瀬は菓子パンをモグモグと小さな口で食べる。
「外で婚姻届にサイン……とてもいいと思うわ」
「いや、サインはしません」
「えー」
「えーって言われても……」
僕は卵焼きを飲み込むと水瀬の横顔を見つめる。非の打ち所がない整った顔立ちに思わずドキっとさせられる。
「水瀬はさ、その……僕のこと、好きなの?」
「好きよ」
当然とばかりに言い切って水瀬はパンをついばむ。
たった三文字。好きよという言葉。それにどうしようもなくドキドキしてしまう。
「そ、それじゃさ……最初は結婚じゃなくて恋人じゃダメなの?」
「ダメよ」
「どうして……?」
「それは……」
水瀬の動きが止まる。
「言えない」
「どうして?」
「……しい……から……」
「えっ?」
「恥ずかしいから! 言いたくないの!」
再会してから一番赤い頬で水瀬が言う。
「そ、そうなんだ……」
「(こくっ)」
しばらく二人の間に沈黙が降りる。言葉の行き場をなくした僕たちは無言でお弁当を食べ進める。
「その、水瀬はさ、僕のどういうところが好きなの?」
「全部」
「そ、そっか……」
きっと水瀬が僕のことを好きなのは間違いないだろう。そうじゃないとこんなに顔を赤くしたりしない。誰にでも冷たかったあの水瀬がだ。
「あのさ、水瀬」
「?」
「水瀬がさ……その……僕のこと好きってことはわかったよ。でも僕たち二年も会ってなかったし、その二年前だって――」
思い出す。冷たい水瀬を。学校ではいつも一人。周りからは仲間外れにされるというより畏敬の念みたいなものを抱かれていて、なんでも完璧にこなして、誰にでも冷たい。水瀬が歩くと周りの気温が五度くらい下がったように緊張感が走った。
そして僕のプレゼントは受け取ってもらえなかった。
「知っているわ。私がどれだけ冷たい人間だったかなんて」
「……うん」
「でも、壬だけは優しくしてくれた。だから――」
水瀬が僕の目の前に立つ。ちょうどスカートとブラウスの境目が目線の高さにきて、気恥ずかしさから目を逸らす。
「こんなに壬のことが好きになったのよ」
頬に水瀬のひんやりとした手が触れる。長い睫毛が僕の睫毛と触れ合う。シャンプーの香りと知らない化粧品の香りが混ざって鼻腔をくすぐる。
そして形のいい唇が僕の唇に触れる。
柔らかい――と感じた次の瞬間、僕の唇に水瀬の舌がねじ込まれた。
「ンッンンンンンンンンンンンンンンン――!」
水瀬の舌が口内で踊る。知らない感覚に僕は喉の奥から悲鳴に似た声をあげた。江戸時代、キスは刺身と呼ばれていたらしいというどうでもいい情報が脳内に出力される。
溺れたみたいに呼吸困難寸前になって、ようやく水瀬の舌が逃げるように口の中から消えた。犬のようにダラダラと垂れたどちらのものともわからない涎がスラックスに水たまりを作る。
「今はこれくらいしかできないけど……本当に好きだから」
「……はい」
口の端から垂れるよだれをぬぐい取って水瀬は紅潮した顔で僕を見つめる。
キスの味なんてわからない。暴力的な感覚だけが口の中に残った。
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