第2話 邂逅


「目覚めたまえよ」


 意識が朦朧とする中、声だけがはっきり聞こえる。目を開けると身動きできない。体をコンドームのような半透明な膜が覆い、パッキングされたハムのようにされている。息苦しいし、口と尻がむず痒い。さっきまで持っていた手斧も、足元で仲良くパッキングされていてる。


 半透明の膜の向こうに人影が見えた。人影がこちらへしゃがみ込み手をかざすと、膜が破けた。息苦しさから解放されて、俺は思い切り息を吸い込んだ。

 仰向けになった体の半身が水に浸っている。空は黄昏時で、どこまでも続く水面が水鏡となって空を映つけてしている。

 目を前に向けると、そこに白布を纏った男がこちらを見下ろしている。男の顔は、こういう顔だ、と認識する度に徐々に様相を変えて、いつまでも捉え所がない。


「やぁ、クリス」


「お前は一体誰だ? どうして俺の名前を知っている?」


 男は稚児を見守るような目つきでこちらを見ている。


「聡明な君は、心根では私が誰かわかっているはずだよ。君の意固地な理性は、相変わらず否定しているがね」


「そんなのは宗教家の常套句だ。今時占い師だって言える」


「君は父と母、兄1人の家族の元に生まれた。幼くして、反社会性パーソナリティ障害と診断を下され、それが一つの理由となって、君の両親は離婚し、母親は兄を、父親が君を引き取った。君が同年代の子より残忍なおいたをする度、拷問と尋問のスペシャリストであるCIAの尋問責任者の父に、それはそれは陰惨と言うべき仕方で厳しく躾けられた。君が邪な考えを持つだけで、大人も泣き出す拷問のトラウマから、冷や汗をかいて指一本も動かせなくなるほどに。君は法で裁かれずに放置された悪を見ると、全身がむず痒くなって見て見ぬ振りができなくなる。それは父親の躾の副次的な作用なのだろう。その代わりに、君は悪を裁くときにだけ、正義の鉄槌を振るう父親と同化し、体のうちに秘めた怪物を開放できる。涎で溺れるような渇望と共に暴力装置のスイッチを入れるんだ。神父を痛めつけている君は、なんとも楽しそうだったよ」


 男はなんの感情も淀みもなく言うと、顎に手を当て俺の言葉を涼しい顔で待っている。


「お前は俺の通院先の精神病院にあるカルテを盗み見したんだ。俺をペテンにかけようとしている」


「35。お前が人を殺した人数だ。全部覚えているんだろ? 覚えていないとシラを切るなら、一つ一つ詳細に語り、思い出すのを手伝ってあげよう」


 俺の喉に言葉が詰まって出なかった。役立たずの精神科医に殺人の追憶を語った覚えはない。


「わかった。これ以上押し問答は不要だ。お前を何か神秘的な存在だと信じる。そうなった以上質問させてもらう」


 何か神秘的な存在は目を瞑ったまま手招きし、質問を促した(神秘的な存在は長いので、以降、神と略す)。


「何故、神父を殺さず俺を殺した? そして何故、俺はお前と問答をしている? ここは天国に見えない。さっさとそこに送ればいいだろ」


 神は膝を叩いて笑った。君は自分が天国に行けると思っているなんて! なんて図々しいんだ!


「私は神父に神罰を下そうと実行したのだが、なにせ神罰とは爆弾のようなもので、精細に欠けるから周囲を巻き込む。慰めにはならないかもしれんが、神父は君と一緒にミンチになって死んだよ」 


 神は胸に手をやり、神罰を下す度、私の胸は張り裂けそうになる、とのたまった。


「俺は巻き込まれて死んだと言うのか。なら

お前は俺を生き返らせる責任がある」


 神は指を弾いて、そのまま俺の顔を指した。


「君がここにいる理由はそこにある。私は君が望めば、君を生き返らせることもやぶさかではない。だが、何事もタダでは手に入らない」


「お前は俺に何を求めている?」


「36人、神に仇なす者を殺せ。私は今から君を地球とは別世界に送る。そこで、現世で君がやった事とをやるだけでいい」


「そんなまどろっこしいことをしなくても、神父にやったみたいに神罰で殺せばいいだろう」


「人は、神罰の雷を逃れる為に屋根をつくり、神罰の水厄を逃れる為に川を堤防で囲み、神罰の火を逃れる為に火を従えた。古くさい神罰は、人に届かなくなっている。あとに残されたのは、君が巻き込まれたような的を狙うのが下手な罰当てだけ。だが私はあれを使う度、あの粗大な仕様に未だ甘んじている自分に、ほとほと嫌気がさしてくる。時代遅れの老人の気分になってくるんだ」


「単刀直入に言ってくれ。俺はなんの役割をこなせばいい」


「私は世に蔓延はびこる自称神罰代行者の勝手な振る舞いにため息が出る。承諾なしに神の名前を語られるのもしゃくに触る。君には私が治めている別世界で、公式の神罰代行者として実績を上げて欲しい。私が老神達に提案する神罰代行装置の導入とその運用の後押しとなるよう、君に是非頑張ってもらいたい」


 神は俺の肩に手を置き、耳に口を近づけて囁いた。君にはうってつけだろう。


「いいのか、原罪を償ったはずのあんたが殺しの依頼なんてして。それに、汝、殺すことなかれって言うだろ。俺が何か責任を取らされることに無いだろうな」


「私は、邪悪な人間の行為の上に君臨し、私の赦しによって人間の邪悪さは無に帰する。私の願いによって召喚され、私の意志に従うものは、どんな者も究極の善へと帰るのだ。神罰代行とは人聞きが悪いだろうが、崇高で誉高きものということだ」


「神の名の下に悪人を殺しても構わないし、尚且つお褒めのお言葉も頂けるとは! 俺は悪人を殺しているのだから、常々褒賞を受けるべきだと思っていたんだ。いいだろう。その代わり、功績によってはそれなりのものは頂けるんだろうな」


「理解が早くて助かる。君の働きのいかんによって望むものを授けることを約束する」


 神は俺の肩から手を外し、手揉みをした。ぶつぶつと口の中で何かを唱えている。


「さて、君の任務遂行に際して、まず情報を提供しよう。君が転生する世界は、銃と火薬の代わりに、君達が魔法と呼ぶ概念に近い力の放出ができる。人を癒し、人を燃やし、人を凍らせ、人を転ばせ、人を殺す。君が、ビビディバビディブゥ、と呪文を唱えれば、たちまち魔法使いの仲間入りだ」


「夢にまで見たハリーポッターになれそうでよかったよ」


「そして、君が転生を果たす肉体は、グレーシスヴェリル王国の第エオルトン。14歳だ。第一王子夭折により、今回次期君主として擁立された。母親譲りの揉め事を嫌う性質は、王がもつべき兼愛公利の博愛主義を通り越して、何とも深く関わらない病的な利己主義と言えるほどだ。優しい、優しいが故に他人に何もしないとも言える。そんな冷めた少年と君の冷徹な魂をすげ替える」


 神が、手揉みしていた両手を水面にかざし、下を見てごらんと言った。

 星を映し出したいた水面に、雷雲が立ち込めて稲光が走る映像が流れ始める。

 暗雲立ち込め大雨が降り頻る中、猿轡さるぐつわをされた少年が映し出された。顔は少女のようにも見える顔立ちで、ひどく青ざめている。土に打ち立てられた木杭に後ろ手に縛られている。顔は痣だらけで、猿轡をした口の端から血が流れている。


「この子が件の子だ。彼は今、近隣諸国への外交の為に遠征していたところ、第三王子の計略により、隊列からはぐれていた所を拉致され、殺されようと……」


 水面に映し出された王子の前に男が立ちはだかり、その手に持った剣で王子の心臓を貫いた。王子の顔は苦痛に歪み、力なく開いた目から段々と魂が抜けていく。


「……殺されたようだ。彼の肉体は刻々と鮮度を失い、魂の住処には向かなくなってくる。話を急ごう。君には、任務を滞りなく進める為に、私から才能を授けよう」


「俺に魔法を使えるようにしてくれるのか? なら、魔法学校にいかなくても済むようにしてくれ。俺は学校という集団生活が合わなくてね。この歳になって若い教師に溜息をつかせたくない」


「私もそうしたいのだが、人間は才能と経験に裏付けされたことしかできない。無理くりに人の魂に多くの情報を上書きすると、魂の同一性を失う。君が身につけた拷問と尋問術、それは全て父親からその体に受けて覚えたものだろう?」


「あぁ、俺は昔から頭で覚えることが苦手だ。だが、一度体で覚えたものは忠実に再現することができる」


「その君の才能に少しアレンジしておいた。その身で触れた魔法は、秘術だろうが禁術だろうが全てを模倣コピーできる。君にぴったりな才能だよ。ただ気をつけたまえ、きついのをもらうと、模倣する前に君が死ぬ」


「それはいつできるようになる?」


「君が目覚めた時に羊膜に包まれて尻がむず痒かったろ? 既に君の魂を改変してある証だ」


「魔法はどうやって出す? 尻から出るのか?」


「魔法は手から出るようになっている、杖いらずだ。尻から出ないから安心したまえ」


「あんたが昔、人を治したり、悪魔を追い払ったり、海を割ったのは魔法なのか?」


「海を割ったのは私では無いが、そうだ、魔法だとも。君が行く魔法の制約のない世界では、体を大きくすることも、雄鶏を雌鶏に変えることも、瞬時に傷を癒し不死身になることもできる。さぁ、質問タイムはここまでだ。そろそろ君は行かなければならない」


 神が再び俺の肩に手をやると、足元の水が足を伝って登り、徐々に俺の体は人形の水柱と化していく。どうやらあちらの世界へ行く転送が始まったようだ。


「では、神の意思を継ぐ我が子よ。存分に悪魔どもを撃ち払え。大いに期待している」


「あぁ、期待してくれ。でも、その前に……」


 俺は肩に置かれた神の手に自分の手を重ねて握ると、そのまま体を捻りながら神の後ろへ回る。肩の関節を決め、地面に膝をつけさせた


「どういうつもりだ、クリス。私に膝を折らせるなどゆるさ……」


 俺は手斧を神の頭に振り下ろした。


「沈黙は金なり」


 スイカを割る手応えと共に神の体はびくりと跳ねた。頭が真っ二つに割れ、脳漿のうょうと脳髄が地面へと流れ出した。


 神は脱力し、沈黙した。


 しばらくすると神の体が痙攣し始め、傷口からピンク色の液体が溢れ始めた。液体はみるみると生肉に姿を変えて、傷口をふさぎにかかっている。

 意識を取り戻した神は面をあげた。後頭部の震えから察するに相当ブチギレている。空気が震え、重く張り詰めている。気を抜けば体が萎縮して膝をつきそうだ。


「お前に弁明の余地を与えよう、クリス。うまく私に言い訳してみろ」


 神の体は大きく膨れ上がり、細身だった身体はハルクのような巨躯の筋肉達磨に変貌した。大人2人分のたっぱはあるだろう。


 神は俺を捕まえようと無茶苦茶に手を振り回し始めた。

 俺はサイドステップ、スウェー、ダッキングといつもの調子でそれを避けていく。俺は土日にボクシングジムに通ってる。そこの鼻持ちならないトレーナーの拳を避ける方がよっぽど難しい。


「俺はどんな理由であれ、悪人の肩をもつような奴は許さない。なにが、私の赦しによって人間の邪悪さは無に帰する、だ。お前が赦しても俺は赦しはしない」


 もう俺の異世界の転送はとまらない。不思議な水は黄金に輝き、俺の首元まできて頭を飲み込もうとしている。


 怒り狂った神が俺を捕らえた。目が血走り、先程のすまし顔より随分人間じみた顔になっている。両手で俺を握り潰そうとやっきになっている。まぁ、わざと捕まったんだが。


 俺は神の懐からったこの魔法を使って神の望む悪人殺しをしてやろう。今までの世界は警察が仕事をしすぎていて退屈していたところだった。


「お前の"不死身"と"ハルク"の魔法は頂いたよ。今度あったら雄鶏を雌鶏に変える魔法を頂くから用意しておいてくれ! ははっ」


 俺は俺の体が分厚い手のひらで潰される音を聞きながら、意識は俺の体から離れていた。俺の魂は体から抜け出し、神を見下ろした。俺はその光景に満足すると、生まれる前と死んだ後にいた故郷と言うべき無限の空白へと吸い込まれた。


 さぁ、悪人共をどう殺してやろう。

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