ベルトコンベアについて語る。

苦虫うさる

ベルトコンベアについて。

1.学んだこと。


 気が付くと、僕は見知らぬ場所に立っていた。


 辺りは薄暗い。

 眩しい白色灯が照りつけている。その光が熱く不快に感じる。


 体を見下ろすと、研究用の白衣のような、真っ白なつなぎの服を着ていた。

 服は足の爪先まで続き、見覚えのない白い靴と一体化している。

 手を目の前にかざすと、白い手袋に覆われた指が、水に揺れる軟体生物のようにユラユラと動いた。


 目の前に、白い光に照らし出されたベルトコンベアがあった。

 ずいぶん古い物のようで、ところどころ赤錆が浮いてまだら模様になっている。

 本体に捨てられた蛇の脱け殻のように、ひっそりとその場で静止していた。


 僕が一歩、ベルトコンベアに近づいた瞬間、ガタンと何かが分解するような音が鳴った。


「始めてください」


 どこからか、声が響いた。

 どこかで聞いたことがある声だ。

 どこで聞いたかが思い出せなかった。


 重く壊れにくいものを全力ですりつぶそうとする巨人の歯ぎしりのような音を立てて、ベルトコンベアがゆっくりと動く。


 ギシギシ、ガタン。


 ひどく緩慢な動きで、目の前に何かが流れてきた。


 赤い箱だ。

 僕は素早く手前のレーンに流す。

 休むことなく手を動かしながら、頭の中に自然に考えが浮かぶ。


 思い出した。


 ベルトコンベアに乗せられて、三種類の物体が流れてくる。

 赤い箱。

 緑の瓶。

 奇妙な角度にねじくれた軟体生物。


 ①赤い箱は手前のレーンに流す。

 ②瓶はヒビが入っていないか点検して奥のレーンに流す。

 ③軟体生物は、足元に置かれたゴミ箱に捨てる。

 

 ゴミ箱がいっぱいになったら、合図をしてベルトコンベアを止めてもらう。

 その間に焼却炉に捨てに行く。


 簡単な作業だ。


 僕は、ベルトコンベアが立てる微細な音の違いも聞き分けることが出来る。

 優秀な作業員だ。

 その音の違いによって、次は何が流れてくるかわかる。


 一貫した法則性を理解すれば先々に起こる出来事の大半は推測でき、対処することは難しくはない。


 それが僕がベルトコンベアから学んだことだ。


 僕は流れてきた物を鷲掴みにする。

 手の中で、軟体生物が弱々しくもがいた。


 僕は鼻唄を歌いながら、それを足元のゴミ箱の中に投げ捨てた。

 



 2.箱について。


 今日は、箱が少ない。


 それが最初の違和感だった。


 何故だろう。


 箱がまったく流れてこないなんてことはあり得ない。


 それが、僕がこのベルトコンベアの前に立つことで把握することが出来たことわりだ。


 頭の中で、忙しく考えを巡らせる。

 考えに夢中になりすぎて、誤って緑の瓶をゴミ箱に叩きつけてしまうところだった。


 危ない、集中力が切れている。



 ガタッ、ピシッ。


 耳が聞き慣れた音を捕らえた。

 赤い箱が流れてくる合図だ。


 僕の推測通り、薄闇の中から赤い箱が現れた。

 ホッとする。


 ほら、ちゃんと理通りに動いているのだ。


 僕は、今まで何千回と繰り返してきた決まった動作で、赤い箱を手前のレーンに流そうとした。

 しかし次の瞬間、体が恐怖で凍りつく。


 箱が開いている。


 揺れるベルトの上をガタコトと流れていく箱は、大きな口を開けており、そこは中が見通せないくらい黒々と塗りつぶされていた。

 白い手袋をはめた手も、そこに入れたらきっと黒く溶けてしまう。


 何で何で何で? 


 頭が混乱する。


 こんなことは今まで一度もなかった。それなのに、何で起こるんだ? 今まで一度もなかったことが。


 僕じゃない。

 僕は開けていない。

 僕が開けるわけがない。


 じゃあ、誰が? 誰が開けたんだ?

 何で? 何のために?

 なぜ、この箱を開ける必要があったのだろう?


 わからない。

 今までこんなことは一度もなかったからだ。

 一度もなかったことには理がない。

 わからない。

 


 不意に。

 箱の中の黒い闇から、今まで聞いたことがないような奇怪な音が響いた。


 くびり殺される寸前の鳥が上げる断末魔のような、金属に爪を立ててゆっくりと削っていく音のような、呪術師が人を呪う祈祷の最後に上げる金切り声のような、そのどれにも似ていて、そのどれでもない音だ。


 箱の中の真闇を覗き込むと、闇が微妙な濃淡を作りながら蠢いていることに気付く。

 不快な音は、その闇の動きによって発せられていた。


 ゾッとした。


 箱は、僕に向かって喋っている。

 のだ。


 怒りと嫌悪と恐怖が同時に同じくらいの強さで沸いて、頭を黒く塗りつぶした。

 僕はベルトコンベアを流れてる箱を手に取ると、大声で叫びながら床に思いきり叩きつけた。


 


3.怒られた。


 現在、ベルトコンベアは止まっている。

 辺りはシンとして、どれほど耳を澄ましても何も音は聞こえてこない。



 目の前には、僕と同じように、頭のてっぺんから爪先まで白づくめの物体がある。

 白い物体は、突然喋り出した。

 それで目の前に立っているのが人間であることに、僕は気が付いた。


「一体、どうしたっていうんだ? 急に」


 僕が黙っていると、男は呆れたように続ける。


「君のせいで、止まっちゃったじゃないか。困るんだよ、こういうことをされると。動いていなくちゃいけないものなのだから」


 男は口をつぐんだ。

 また音のない空間が広がる。

 すみません、と口の中で呟いた。


「でも、仕方なかったんです。箱が僕に向かって、喋り出したから」


 僕の言葉に、男の雰囲気が胡乱そうなものになった。


「箱が喋った?」

「はい」


 男は言った。


「当たり前だろう?」


 僕は顔を上げる。


「箱は喋るものなんだ」


 僕は白い巨大なマスクのようなものに覆われた男の顔を、マジマジと見る。

 どこかで見たことがあるような気がしたが、どこで見たのかどうしても思い出せない。


 僕は男の顔を……正確には巨大な白いマスクを見ながら言った。


「箱は……喋るんですか?」


 男はすぐには答えず、疑い深そうな眼差しで僕の顔を眺めた。

 自分のことをからかっているのではないか?

 そう思っていることが伝わってくる。


 男は用心深い口調で言った。


「そりゃそうだろう、箱なんだから」


 一体、なぜそんな当たり前のことを聞かれるのか。

 ひどく怪訝に思っている口調だった。 


 男はいま初めて疑問を持ったかのように、僕の姿を凝視した。


「おかしいな」


 男は呟く。


「そんなことはとっくにわかっているものだとばかり思っていたよ。君は……」

「いや、その……もちろん、もちろんわかっています。もちろん」


 僕は慌てて言う。

 

 箱は話すものだ。

 そんなことは当たり前のことじゃないか。

 何で今まで「箱は話さない」と思っていたのだろう?


「わかっているならいいが」


 男はなおも疑念を含んだ目で僕を眺めていたが、やがて首を振った。

 それから、いかにも面倒臭げな、とってつけた口調で言う。


「基本的なことだろう? こんなことは」

「はい」

「頼むよ」


 男は僕の肩を軽く叩くと、薄闇の中へ消えた。




4.始めてください。


 男が消えると、僕は白色灯のライトの中で、またベルトコンベアの前に立つ。

 静止したベルトコンベアは、捨てられた美しい工芸品のように見えた。


「始めてください」


 声が聞こえると同時に、ベルトコンベアがゆっくりと動き出す。


 薄闇の向こうから何が運ばれてくるのか。

 僕はジッと目をこらした。

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ベルトコンベアについて語る。 苦虫うさる @moruboru

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