計算編

はじめ。念のため聞くが、家に教科書を忘れたわけじゃないよな?」

「それはないよ。昨日晩ご飯を食べる前、寝る前、今日家を出る前の三回も忘れ物がないかチェックしたもの。僕って心配性だからさ」


 元は自信満々に言った。

 変なヤツだと京介きょうすけはあきれたが、口には出さない。時間は限られているのだ。


「となると、なくなったのは今日の午前中か」

「そうなるね」

「休み時間中、長い時間席を外したことは?」

「ないかな。トイレにも行ってないよ」

「なるほど……怪しいのは、四時間目の体育の授業だな」


 この学校では体操着に着替える時、専用の更衣室を使うことになっていた。

 その間、教室内に誰もいなくなる。


「更衣室に行く時、男子は全員そろって教室を出たよな」

たけし君も一緒だったよね。教科書を隠したりする時間はなかったと思う」

「ああ。だが授業が終わった後は違う」

「というと?」

「着替えが終わった人から教室へ戻るだろ? 武がどうだったか思い出すといい」

「あ! 真っ先に教室へ戻ってた」

「教科書を隠したのはその時だ」

「すごい! 京介君って探偵みたい。キーボードを馬鹿みたいに叩くだけの人と思ってたよ」


 元は嬉しそうに飛び跳ねた。

 本人は褒めてるつもりらしい。京介はイラッとしたが話を進める。なにせ時間は限られているのだ。


「犯行時刻が分かっただけだ。何も解決していない」

「そっか……」


 元はしょんぼりとうつむいた。


「急いで戻ったとしても、教室の外に隠す時間はなかったはずだ」

「つまり、教室内に隠したわけだね」

「だろうな」

「よーし、それなら教室の中を探し回るぞ!」

「そんなことしてたら、すぐ時間切れだ」

「え、じゃあなんで制限時間を減らすように言ったの!?」

「たとえ十分あったとしても教室中を探すのは無理だ。まあ見てろ、時間を短くした理由は直に分かる」


 元は少し考えてみたものの、理由は想像つかなかった。


「よく分からないけど……探し回る時間がないのは分かった。それで、どうやって見つけるつもりなの?」

「ここを使って見つけるんだ」


 京介は自らの頭をトントンと叩いた。


「京介君、なんかかっこいい! キーボードを馬鹿みたいに叩くだけの――」

「少し黙っててくれ」

「……は、はい」


 京介は教室の後ろに立ついじめっ子を見る。


「なあ、武。隠し場所はこの教室の中だろ?」

「……俺が隠したわけじゃないんだ。そんなこと知らねえな」

「その白々しい態度、いつまで持つかな」

「お前こそ約束を忘れるなよ」


 武はふんぞり返って言った。


「見たか元。武は全く焦ってない。余程自信があるようだ」

「そんなにすごい隠し場所なのかな……」


 元は何かを思いつき、声を上げる。


「もしかして、自分で持ってるのかも!」

「どういうことだ?」

「服の中に隠してるとか。武君はお腹も大きいから、本を隠しても気づかないよ」

「……君って結構口が悪いな」


 京介は小さくため息をついた。


「その推理は的外れだよ」

「どうして?」

「自分で持ってたら『私が犯人です』と言ってるようなものだからさ。自信があるのは隠し場所じゃない。自分が犯人という証拠を見つけられないと思ってるんだ」

「あ、証拠も見つけないといけないんだっけ。でも……証拠なんて本当にあるの?」

「ないかもしれない」

「え! それってまずくない?」

「心配ない。なければ作り出すだけだ」


 元は意味が分からず首を傾げた。


「それに、隠し場所は大体分かってるんだ」

「そうなの!?」

「当たり前だ。僕は勝ち目のない賭けはしない」


 元はホッと息をついた。


「アイツの性格を考えれば計算可能さ」

「武君の性格……」

「元は、武に嫌がらせされたと先生に話したことはあるか?」

「ううん。物を隠されたりは困るけど、捨てられたり壊されたりするわけじゃないから。一応、時間が経てば返してくれるしね。先生に言うほどでもないかなと思って」

「やはりな。つまり――武は先生に告げ口されないギリギリの悪事を働くヤツなんだ」

「なるほど」


 元は何度も首を縦に振った。


「だから、盗んだ物をゴミ箱に捨てることはない」

「もし本当に捨てられてしまったら、大騒ぎになるもんね」


 京介は教室の前方を見る。


「次に、教卓や先生の机の中にはないと言い切れる」

「どうして?」

「もし先生が教科書を見つけたら、なんでこんな場所にあったか不思議がるだろ?」

「そうか! 『武君に隠された』と僕に言われるのを避けたいんだね」


 京介はうなずく。


「みんなの机やロッカーの中にある可能性も低い。持ち主に気づかれたら、元に返されてしまうだろう。何の面白味もない」

「たしかに。ということは……」

「ああ、隠し場所は一つしかない」


 京介は教室内をぐるりと見渡しながら言う。


「――これで、すべての計算が完了した」


 その言葉に、教室内が静まり返る。

 京介が教室の後方へ歩き出すと、元はそれに続いた。

 武の表情は少しずつ変化し、二人が足を止めた時、笑みが完全に消えた。

  

「掃除用具入れ?」

「ああ、元の教科書はこの中だ」


 教室の角にある金属製の背の高いロッカー。

 京介は扉に手をかけ、勢いよく開いた。

 元は京介の後ろから、掃除用具入れの中を覗き込む。

 ほうき、ちりとり、雑巾、バケツ、様々な掃除用具が見えるが――、


「あれ? 僕の教科書は……ないよ」

「……そんな馬鹿な」


 教室内にざわめきが広がっていくにつれ、武は腹を抱えて笑いだした。

 その瞬間――予鈴の鐘が鳴り響いた。

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