2章
第36話 悪女になるけど
「そ、そんな、アサリア様……!」
メイドの一人が畏れ多いように後退りしながら、涙声で話す。
私、アサリア・ジル・スペンサーはそれを見てニヤリと笑った。
「あなたが悪いのよ? あなたが私、スペンサー公爵家の令嬢を舐めるから」
「な、舐めてなどいません……!」
「いいえ、舐めていたわ。だから私はあなたに……こうするしかなかったのよ」
私が背後にあるものを彼女に見せて、彼女に告げる。
「この中から選びなさい……これは命令よ」
「わ、私には無理です、アサリア様。こんなに……!」
恐ろしいものを見るような目で、私の後ろにあるものを見つめるメイド。
だけどその目は少し……輝いているようにも見えた。
「さあ、選びなさい――この宝飾品の中から、あなたの好きなものを!」
有名な宝飾店から取り寄せた美しい宝飾品、主に女性が身につけられるネックレスやブローチなどがそこにはあった。
「こ、こんな高価なもの、いいのですか!?」
「私は前に、特別給金をあげると言ったはずでしょ。ちゃんとこの中から選ぶのよ」
「私はまだまだ公爵家に貢献していないので、こんな高価なものは受け取れないと言っただけで」
「公爵家の令嬢の私があげるって言っているんだからいいのよ。それにこれくらい買い占めたところで公爵家は全く痛くもないんだから、もらわなかったら公爵家の財力を舐めてると思われるわよ」
「そ、そんなことは全く思っておりません!」
「それなら、早く好きなものを選びなさい」
私がそう言うと、彼女は恐る恐る宝飾品が並ぶ方へと歩き、目を輝かせながら見ていく。
この部屋には他にもメイドが十数人いて、彼女以外はもうすでに宝飾品を一つ選んでいた。
みんな自分が選んだものをとても嬉しそうに見つめ、大事に抱えている。
「私、こんな綺麗で素敵なネックレス、見たこともなかったわ!」
「私が選んだこのブローチもすごい素敵でしょ?」
「本当にこんな素晴らしいもの、いただいていいのかしら……?」
みんながとても嬉しそうに話しているが、不安そうに私の方を見つめてくるメイドもいる。
私は回帰する前、メイドにすごい乱暴な態度を取っていたことがあるから。
だからまだ疑っている人がいるけど、回帰した後の私は変わったのだ。
心に余裕が出来るのって、本当に素晴らしいことだわ。
最後まで渋っていた一人が選び終わり、メイドの方々が宝飾品を大事に抱えながら私の方を見つめてくる。
「特別給金として、それはあなた達に渡すわ。これからも公爵家の使用人として、よろしくお願いするわね」
「は、はい! もちろんです! これからも精一杯、仕事に励んでまいります!」
「ええ、あなた達も、よろしくね」
メイド達が「はい!」と全員で強く返事をしたのを見て、私も頷く。
私が回帰してから、約二ヶ月が経った。
ようやくメイド達に特別給金が渡せたので、それは本当によかった。
回帰する前は、精神状態が荒れていた私に対応するのは大変だったはず。
その謝罪とお礼を込めて、特別給金を全員に送らせてもらった。
私は本物の悪女となると決めたけど、それはルイス皇太子と聖女オリーネに対して仕返しをするためになるのだ。
他の人には悪女だとは思われず、好感が持てる公爵令嬢だと思われた方が都合がいい。
「マイミ、あなたは何を選んだのかしら?」
「私はネックレスです! アサリア様、仕事着の時でもつけてもいいんですか?」
「邪魔にならないなら構わないわよ」
「ありがとうございます!」
この子は他のメイドよりも肝が据わっているのか、私に対して物怖じせずに喋ってくれる。
歳も近そうだし、ほとんど友達の感覚に近いわね。
……友達、ね。
そういえば私、友達っていないわね。
お茶会とかで話す取り巻きの令嬢達は、友達っていうほど親しいわけじゃない。
公爵家の令嬢に友達、というのは難しいでしょうね。
立場というものがいろいろとあるし、どうしても貴族の階級が邪魔をする。
まあ別にいなくても、困っているわけじゃないけれど。
「あとはメイド服ね、そろそろ冬に入って寒くなる頃だから、新しく全部揃えないとよね」
「メイド服も買ってくださるのですか!?」
彼女達のメイド服は結構薄いから、冬でも外で洗濯物を干したりするのは大変だ。
私の取り巻きにブティック店を経営している子がいた気がするし、そこで買ってあげた方がいいかしらね。
前にそのブティック店に行くと言ったし、その約束も守らないとね。
「マイミ、これから出かけるからついてきてくれるかしら?」
「もちろんです!」
私はメイド達から「ありがとうございます!」というお礼を受けながら部屋を出る。
そして部屋を警護するように経っていた私の専属騎士、ラウロに声をかける。
「ラウロ、行くわよ」
「はい、アサリア様」
私とラウロはそれだけ言って、ラウロが私の後ろについてくる。
もう彼が私の後ろにいるのは当たり前になってきたわね。
前にマイミとかに「ラウロさんって騎士って感じじゃなくて、アサリア様の番犬って感じですよね」と言っていたのを思い出す。
確かに私もそう思ったことはあるし、今でも時々そう思うことがある。
だけどラウロの実力は本物だし、私よりも強いから専属騎士としては完璧な人材だ。
多分、一対一だったらイヴァンお兄様にも勝てるんじゃないかしら?
魔獣に対しての殲滅力は、さすがにイヴァンお兄様が勝っていると思うけど。
「ラウロの今の服は冬用に近いけど、いつか夏用に涼しい服も買わないとね」
私がそう話しかけると、ラウロが不思議そうに首を傾げるのが見えた。
「……上着を脱げばいいだけでは?」
「ダメよ、その上着の胸元に私があげたブローチをつけているんだから。そうなると夏用の服で、夏用のブローチも買わないといけないわね」
「……俺はなんでもいいです」
はぁ、ラウロはいつも通り、自分のことにあまり関心はないわね。
「レオとレナには服を買ってあげてるの?」
「もちろん、いただいた給金でそれぞれ十着以上は買っています」
「さすがね……あなたは何着買ったの?」
「俺は特に買っていません、最初に用意してもらった服で十分なので」
「そうだと思ったわ……」
ラウロの分も無理やり買ってあげないといけないわね、これは。
その後、私とラウロが準備をして屋敷を出て、馬車に乗り込もうとしたところに……面倒な人がいるのが見えた。
「ん、ああ、アサリア。奇遇だな」
帝国の第一皇子であり、私の婚約者である、ルイス・リノ・アンティラ皇太子。
私とラウロが乗るはずの馬車の側に、なぜかルイス皇太子がいた。
しかも三人ほど騎士を連れているようだ。
何が「奇遇」なのだろうか?
スペンサー公爵家の前で、私が乗る馬車の前で絶対に待っていただけなのに。
私は回帰する前、ルイス皇太子に浮気をされて婚約破棄をされて絶望した。
それだけじゃなく、浮気相手の聖女オリーネに手助けをして私を処刑までしたのだ。
回帰した今、私はこの人と婚約をするつもりはないし、この人のことなど興味もない。
私から婚約破棄をすればルイス皇太子は、皇帝への第一継承権を失う。
だから私のご機嫌伺いに、こうしてわざわざ会いに来るのだろう。
まあ、全くの無意味、むしろ逆効果なんだけど。
「ルイス皇太子、ご機嫌よう。私はこれから用事があるので、失礼します」
「待て、せっかく会えたのだから食事ぐらい」
「いえ、そんな時間はありませんので」
別のそのくらいの時間は、本当は余裕であるけど。
だけどルイス皇太子と食事をする時間なんて、私には必要ないし、いらないというだけね。
私が冷たくそう言って馬車に乗り込もうとすると、ルイス皇太子が慌てて話しかけてくる。
「お、おい、婚約者で皇太子である俺が会いに来たんだぞ? せめて少し話を……」
「あら、ルイス皇太子は先程、『奇遇』とおっしゃっていたではないですか。ここを通りかかっただけではないのですか? スペンサー公爵家の本邸の前を」
「くっ、それは……」
ルイス皇太子がスペンサー公爵家の本邸の前を通りかかるなんて、絶対にないと思うけれど。
「こんなところを通る暇があるなら、今まで通り、聖女オリーネと逢瀬をすればいいのでは? 私はもう止めませんので、どうぞご勝手にしてください」
「こ、婚約者に他の女と会うことを勧めるなんて、はしたないぞ」
はっ? 本当に、どの口が言っているんだろう?
もう本当にこの人は、私の機嫌を取りに来たのか、イラつかせに来たのか、全くわからないわね。
私はため息をつきながら馬車に乗り込もうとすると、ルイス皇太子が私の方に近づいてくる。
「おいアサリア、待てっ……!」
「皇太子殿下、お下がりください」
いつも通り、その間にラウロが入ってきた。
「くっ、また貴様か……!」
また、って言いたいのはこちらの方だと思うけど。
「何度も何度も邪魔しやがって! おいお前ら、こいつを退かせろ!」
連れてきていた三人の騎士、皇室直属の騎士に命令を下したルイス皇太子。
まさか実力行使でラウロを退かせにくるとは思ってなかったわね。
そっちがその気なら、私も指示しないとね。
「ラウロ、彼らが邪魔をしてくるのなら、無力化させなさい」
「かしこまりました」
ラウロが頷いた時、一人の騎士がラウロに近づいて腕を掴もうとしていた。
しかしラウロは腕を掴まられる前に、相手の顎を掠らせるように殴った。
瞬間、その騎士が倒れ込んだ。
顎を掠らせるように殴ると、その衝撃で脳が揺れて気絶するのだ。
一人が倒れ、もう二人がすぐに戦闘状態になりラウロを襲った。
さすが皇室直属の騎士、動きを見る限りよく訓練されているし、強いわね。
ただ、ラウロはそれを遥かに凌駕する。
十秒後、傷一つついていないラウロが一人立っていて、三人の騎士が地面に沈んでいた。
「な、何者なんだこいつは……!?」
さすがに騎士達が一瞬で倒されるとは思っていなかったようで、青い顔をしているルイス皇太子。
「ご苦労様、ラウロ」
「はい、お待たせしてすみません」
「大丈夫よ。ルイス皇太子、私達はこれで失礼します」
青ざめた顔で何も言わないルイス皇太子を横目に、私達は馬車に乗り込んで出発した。
少し興醒めの出発だったけど、ルイス皇太子の変な顔が見られたからよしとするわ。
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