第26話 初の実戦へ



「ふふっ、なかなか落ちているみたいね」


 私はマイミに渡された資料を見て、軽く笑ってそう言った。

 資料にはディアヌ男爵、つまりオリーネの家の経営状況が書かれている。


 ダリア嬢が開いてくれたお茶会から一週間ほど経ち、私はディアヌ男爵家の経営状況を調べてもらった。


 案の定というべきか、なかなか手痛い打撃を食らっているようね。

 ただアークラ侯爵家が本気で潰しにいったにしては、影響が少なすぎる気がする。


 さすがに全力では潰しにいかなかったようね。

 エイラ嬢もまだ経営を学んでいるわけでもなさそうだったし、アークラ侯爵の当主が娘同士の小競り合いだから、この程度で済ましたのかしら。


 それでも結構、経営状況が落ちているから、今頃オリーネはどんな顔をしているのか。


 その顔が見られないのだけが残念ね。

 想像だけでもとても楽しいけれど。


「ありがとう、マイミ。助かったわ」

「いえ、大丈夫ですが……ディアヌ男爵家のご令嬢って、ルイス皇太子の浮気相手で、いつもアサリア様に無礼なことをする娘ですよね?」

「ええ、そうね」


 マイミもそれなりにオリーネのことを知っているようだ。まあ社交界でも有名だし、私のメイドなら知っていて当然だろう。

 マイミは少し怒っているかのように、頬を膨らませる。


「男爵家の令嬢が、なぜスペンサー公爵家のご令嬢のアサリア様に無礼なことをしているなんて、本当に考えられないですね」

「ええ、だから私は身の程を弁えさせるために、優しく教えてあげているのよ」

「本当に、アサリア様はお優しいですよね。あれだけ無礼なことをしているのに、この程度で済ませてあげているのですから」


 えっ、嫌味で「優しく」って言ったつもりなんだけど、マイミは本当に私の対処が「優しい」と思っているようだ。


「そうね……じゃあマイミなら、公爵令嬢の私に無礼なことをし続けるオリーネ嬢に、どんな罰を与えるの?」

「うーん、まず爪を剥ぐところからじゃないですか?」


 ……なかなかの罰が来たわね。

 まあ正直、四大公爵のスペンサー公爵家の私に無礼なことをし続けて、多少謝った程度で済ましているけど、本当ならそのくらいはしてもいいくらいのことだ。


「なるほどね、次はそのくらいしてもいいかもしれないけど……」

「そうですよ、もう二度と逆らえないように懲らしめないとですよ」

「二度とね……」


 身体に痛みを与えるのは簡単だ、マイミが言った通り爪を剥ぐなり指を潰すなり、そのような罰を与えればいいだけ。


 だけどそれをすると、本当に二度と逆らってこないかもしれない。

 それではダメ、身体に罰を与えるなら最期――その首に刃を下ろす時だけ。


 オリーネはなぜか私に対抗心を抱いているのか、ずっと絡んでくる。


 私はそれを対処し、全部潰していくだけ……それであの子の評判は下がって社交界での居場所はなくなり、苦しんでいくだろう。


 私はそれを期待しているから、痛みでの罰をあえて避けているのだ。


「私の心配をしてくれてありがとう、マイミ。だけど大丈夫、私はアサリア・ジル・スペンサーよ? 男爵令嬢や聖女ごとき、本気で潰しにいくことはないわ」

「アサリア様……! はい、その通りです! さすがアサリア様です!」


 キラキラとした目でそう言ってくれるマイミ。

 嬉しいけど……回帰する前は、その聖女ごときに殺されたんだけどね。


 でも今はそんな失敗は繰り返さない。


 軽く捻り潰してやるわ、オリーネのことなんて。



 さて、オリーネのことは置いておいて、今日はちょっと大変な日になりそう。

 オリーネのことなんて考える暇もないかも。


 なぜなら……今日は私が初めて実践を経験する日だからだ。


 つまり、私は今、南の砦にいる。


 砦の作戦室で心の準備、という時間をイヴァンお兄様にとって頂き、その時間を使ってマイミから資料をもらって読んでいた。


 作戦室の外では魔獣の声などが聞こえてきて、大きな唸り声とかが響いてくると、マイミがビクッとしていた。


「そ、その、アサリア様、ここって本当に大丈夫ですか? いきなり魔獣が襲ってくることは……」


 魔獣を見たこともないマイミが怖がるのは当然のことだろう。

 私も回帰する前、初めて砦に来て心の準備をしている時は、外の音を聞いてビクビクしていた。


 だけど私はすでに経験済みだから、心の準備などはとっくに済ませている。


「スペンサー公爵家が数十年も守り続けている砦よ。世界一安全な場所に決まっているわ」

「そ、そうですよね! 絶対に大丈夫ですよね!」


 マイミは引き攣った笑みをしながら、自分に言い聞かせるようにそう言った。

 まあ普通はこういう反応だろう。


 むしろ……私の後ろで微動だにせず、いつもと全く変わらないラウロが変なのだ。


「ラウロ、あなたは大丈夫?」

「何がでしょうか」

「これから初めて魔獣と戦うと思うけど、緊張とかはしてない?」

「特に変わりはありません」

「……そう」


 うん、やっぱりラウロは身体も精神も常人じゃないわね。

 まあ知っていたけど。


 そんなことを話して時間を潰していると、イヴァンお兄様が作戦室に入ってきた。


「アサリア、ラウロ、準備は出来たか」

「はい、お兄様。私は大丈夫です」

「俺も問題はありません」

「……そうか、では行くぞ」


 イヴァンお兄様は私達を一瞥し、ついてこいというように部屋を出ていく。

 私とラウロはそれに続いて部屋を出て、その後ろにマイミも恐る恐るついてくる。


「マイミ、あなたは部屋で待機してなさい。来ても意味ないし、足手纏いになるから」

「は、はい! わかりました!」


 心底安心したかのように満面の笑みになってから、一礼して作戦室に戻った。

 ……あの子、私のことを慕ってくれているのはわかるんだけど、自分の感情に正直なのが面白いわよね。


 まあそういうところが可愛いところだけど。


「アサリア、余裕そうだな。これから魔獣と戦うとわかっているか?」


 私がメイドのマイミが下がっていくのを笑みを浮かべて見送っていると、お兄様にそう言われた。


「はい、もちろんです。油断は全くしておりません」


 私は笑みを消して、真っ直ぐとイヴァンお兄様の目を見つめる。

 お兄様も鋭い視線で私の目を見てくるが、すぐに視線を外して次はラウロを見やる。


「ラウロ、お前はどうだ。魔獣相手は初めてだが、気負ってはないか」

「俺のやることは変わりません。アサリア様に傷一つ負わせない。ただそれだけです」

「……そうか」


 イヴァンお兄様はそう言って視線を切り、砦の外を目指して歩く。


「お前らなら実力は全く問題ない。あとはいかに実践を積むかだけ。怠るなよ」

「はい、お兄様」

「かしこまりました」


 そのまま私達は歩き、砦の外へと出た。


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