第9話 帰り際の喧騒


 その後、日が沈む前に私は馬車で帰っていた。

 馬車の中で外の景色を見ながら、軽くメイドのマイミと話す。


「本日のお茶会はどうでした?」

「とても楽しかったわ。甘いお菓子ってあんなに美味しいのね。お店を色々教えてもらったから、後で全部のお店から取り寄せておいて」

「かしこまりました」


 こうやっていくらでもお金を使えるのは公爵家の特権よね。

 お菓子が届くのが楽しみだわ……太らないように気をつけないと。


 そう思いながら馬車に揺られていると、窓の外で気になる景色があった。


「ねえ、馬車を止めて」


 私が御者にそう声をかけると、すぐに馬車が止まった。


「アサリア様、どうしました?」

「いえ、ちょっと外で何か騒がしいものを見つけて」

「騒がしいもの、ですか?」


 私が馬車から降りてそちらの方に行こうとすると、慌ててマイミと御者がついてきた。


「ま、待ってくださいアサリア様! お一人で行くのは危ないですから!」

「大丈夫よ、私強いから」

「た、確かにそうですけど!」


 この辺りは貴族街と平民街の境目くらいで、どちらの人間も行き来する場所だ。

 そこで起こる喧騒など、とても限られている。


「おい貴様! 平民ごときがこの俺の前を横切ったな! 俺は男爵だぞ!」


 うわー、なんか頭が悪そうな言葉が聞こえてきたわ。

 そちらへ行ってみると、どうやら男爵だという貴族が、一人の男に難癖をつけていた。


「……申し訳ないです」

「それが謝る態度か!? 地面に頭をつけて媚びへつらえ! 舐めた態度取りやがって!」


 丸々と太った男が鼻を荒々しく吹かせながら、服がボロボロな男の腹を殴った。


「……もう、いいですか?」

「くっ……! お、お前、やはり俺を舐めてるだろ!」


 殴られた男は体格がよかったからか、殴った貴族の男の方が痛そうに顔を歪めていた。

 ほんと、馬鹿みたいね。


 周りにも平民の方々が集まっていて、いい見せ物となっている。


「またあの貴族だよ……」

「あいつ、俺達みたいな平民を下に見るためにここに来てるからな」

「絡まれた男も可哀想に」


 周りにいる人達の呟きを聞くに、あの貴族の男は平民を見下すためにここに何回も来て問題を起こしているようだ。

 なんとも悪趣味で時間の無駄なことをしているのだろうか。


「俺を見下すんじゃねえ!」


 いや、それは相手が平民の男性がデカくて、あんたが身長も器も小さいからでしょ。

 というかあの平民の男性、どこかで見たことがあるのよね……誰だったかしら?


「ふざけんな!」

「っ!」


 今度は右頬に向かって殴った貴族の男。

 さすがに頬は硬くないのか、口内を切ったのか口元から血が垂れる。


 しかし平民の男は全く怯まずに、貴族の男を上から見下ろしていた。


「……申し訳ない、です。もうこれでいいでしょうか?」

「貴様……!」


 また貴族の男が拳を振りかぶった。

 もう、見てられないわね。


「そこの男、もうやめなさい!」


 私が人だかりの間を縫って、貴族の男にそう言い放った。


「あっ? なんだ、小娘! 今の言葉、男爵である俺に向かって言ったのか!?」

「そうよ、あんたのような小物に私から話しかけたのよ。光栄に思いなさい」

「なんだと……!?」


 子爵だとのたまう男は、私の格好を上から下まで眺める。

 今の私はお茶会帰りだから、どこをどう見てもただの平民には見えない。


 どこかの貴族の令嬢だというのはすぐにわかるだろう。


「俺を小物だと!? 俺はピッドル男爵だぞ!  貴様はどこの貴族の家名だ、小娘!?」

「スペンサー公爵家だけど?」

「……はっ? ス、スペンサー、公爵家?」


 貴族なら、いや、帝国に住む人なら全員が知っている、四大公爵。

 私がそのうちの一つ、スペンサー公爵家の令嬢だとは思わなかったようだ。


 ピ、ピッグ男爵……? 食い気味に答えてしまったから聞き取れなかったわね。


 多分違うけど、まあ覚えなくていいか。

 男爵の男はさっきまでの勢いが消えたようで、顔が青ざめている。


「スペンサー公爵家、だと? う、嘘をつくではない!」

「嘘を言っているように見える? それに私の格好を見れば、あなたなんかよりも素晴らしい装飾品を身につけているのがわからないのかしら?」


 今日のドレスは男爵の男よりも美しい刺繍があるドレスに、高価なネックレスやブレスレットをしている。

 男爵ごときが見たこともないような宝石が施されたものだ。


「それに貴族でも平民でも、他の家系の名を名乗るのは死罪になるほど重罪なのよ?」

「だが、公爵家がこんな道を通るはずが……!」

「あら、男爵のあなたごときが公爵家の通る道を決めるの? それはスペンサー公爵家に対しての不敬よ」

「うっ……!」


 ピッグ男爵は苦い顔をして、何も言い返せないようだ。


「それで、あなたは何をしていたのかしら? 何か無様な姿を晒していたようだけど」

「ぶ、無様!? こ、公爵令嬢でも、言葉には慎んでもらいたいですな! 私はこの平民に身の程を教えようと……!」

「身の程を知るのはあなたでは? 貴族だからって何をしてもいいと思っているの?」

「なんだと……!?」


 はぁ、この話が通じない馬鹿と会話をするのは面倒ね。


「あなたの前を通っただけで、あそこまでしたのでしょう? それなら……公爵家の私をこれほど侮辱したあなたには、私はどこまでしていいのかしら?」

「なっ、どういう……!?」

「今までのあなたの態度、全てが公爵家への侮辱よ。前を通っただけで殴ってもいいというのなら、ここまでされた私はあなたの腕や足を一つ切り落としても構わないと思うのだけれど?」

「そ、そんな物騒なことを、公爵令嬢が言うなんて、なんて恥知らずな……!」

「あなた、公爵家が今も何と戦っているのか知らないの? 魔獣を殺すのとあなたの腕を一つ切り落とすの、どちらが簡単かしら?」


 私がそこまで言うと、男爵の男はまたぷるぷると身体を震わせる。

 そんなことを言っていると、騒ぎを聞きつけたのか数人の衛兵がやってきた。


「何かありましたか?」

「マイミ、説明してあげて」

「は、はい!」


 マイミが私の身分とあちらの身分を伝え、今まで起こったことを話す。


「そんなことが……ピッドル男爵、ご同行を願います」

「俺に触るな! 平民のくせに!」


 衛兵に囲まれて暴れるピッドル男爵。

 ピッグじゃなくてピッドルなのね、ようやく名前がわかったわ。


 無駄に抵抗をしているピッドル男爵が、切れたように声を荒げる。


「ただの平民が、力でのし上がった俺を舐めるなぁ!!」

「……はっ?」


 私が思わずとぼけた声を出した瞬間に、男爵の男が手から炎を出した。


 あいつ、炎の魔法が使えるの?


 四大公爵以外にも、魔力を持っていれば魔法を使いこなせるけど。


「なっ!? お、おやめください! こんなところで魔法を使ったら……!」

「はははっ! これが俺の力だ! 公爵令嬢がなんだ、衛兵がなんだ! 死にたくなかったら俺に逆らうなぁ!」


 衛兵も流石にこの人数で炎の魔法を出した男爵を拘束するのは難しいようで、後ろに下がって剣を構えているだけだ。

 周りにいる野次馬たちも、さすがに恐怖して離れて逃げ出す人も出てきた。


 私は特に動かず、頭に手を当ててため息をつく。


「はぁ、あそこまで馬鹿だったとは……」


 多分、もとはあいつも平民だったのかしら?

 それで魔力が多少あるから魔法が使えて、戦場で多少の戦果を出したから爵位をもらって調子に乗ったのね。


 平民を下に見たり、無駄に派手な服で身を固めたりしている。

 公爵家にあんな態度を取ってどうなるかもわかっていない。


 よくこんなやつに爵位が与えられたわね。


「ア、アサリア様、逃げましょう!」

「はっ? マイミ、何を言ってるのかしら?」


 私が、あんな奴から逃げる?


「私はスペンサー公爵家よ。あんな馬鹿相手に逃げるなんて、公爵家の恥よ」

「で、ですが……!」


 マイミが涙目で腰が引けて、今にも逃げたい感じだ。


「ピッドル男爵、ここまでやったのなら覚悟は出来てるのよね?」

「あっ!?」

「ス、スペンサー公爵令嬢、下がってください!」


 衛兵がそう言ってくるが、私は下がらずにむしろ前に出た。


「まあ答えなくてもいいわ。どっちにせよ、結末は決まってるから」


 私が全く怯まずに相手の目を見て告げると、ピッグ男爵はビビったようだ。


「お、女が俺を見下すな! 俺は、ピッドル男爵だぁ!」


 名前を叫びながら、男はついに私に向かって炎の球を放った。

 男爵になったのがそんなに嬉しかったのかしら? よくわからないけど。


「もう男爵とは呼べないけどね」


 私が魔力を行使し、手を前に向ける。

 すると炎の球が、私の目の前で止まった。


「なに!? な、なぜ当たらん!?」

「よくスペンサー公爵家の私に炎で挑もうと思ったわね」


 私がくるっと指を回すと、あちらが出した炎の魔法が私の指先に集まった。


「な、なぜ、私の炎が……!」

「これくらい出来ないと、スペンサー公爵家を名乗れないわ」


 雑な魔法、こんなの雑魚魔獣を一匹倒すくらいの威力しかないわね。

 私が回帰する前、一度の魔法で何十体の魔獣を倒したと思っているのかしら。


 私は無駄に大きい炎を小さく、小さくして指先に集めた。


「これは明確な公爵家への攻撃、死に値するわ」

「な、なっ……!?」


 男は完全に炎の魔法を奪われたせいか、目を見開いて固まっている。


「このままここでやってもいいけど、面倒だから衛兵に任せるわ」


 騒ぎを聞いて多分すぐにやってくるでしょうし。

 ただ公爵家の私を殺そうとして、このまま衛兵に引き渡すのはいただけない。


 どうせ死ぬと思うけれど、痛い目は合わせないと。

 私は男に指先を向けた。


「魔法、返してあげるわね」


 圧縮した炎の魔法を、男の右肩めがけて放った。

 高速で放たれた小さな炎の球、ピッドル男爵が当たった瞬間に叫び声を上げた。


「がああぁぁぁ!?」

「さっき言ったわよね、腕や足を一つ切り落としても構わないだろうって。有言実行をさせてもらったわ」


 右肩が炎で吹き飛んだピッドル男爵、右腕を失って肩を押さえて蹲る。

 血はほとんど出ていない、炎で焼けたからだろう。


「衛兵、もう大丈夫でしょ。捕えなさい」

「は、はっ!」


 衛兵が私の声にハッとして、痛みで動けなくなった男爵を慌てて捕らえた。

 はぁ、これで一件落着かしら。


 気まぐれで首を突っ込んだけど、無駄に疲れたわ。


「すいません」

「ん?」


 衛兵がピッドル男爵を縄で縛っているのを見届けていたら、後ろから話しかけられた。

 振り向くと、ピッドル男爵に絡まれて殴られていた男性だった。


「あの、ありがとうございます。助けていただいて」

「ああ、いいのよ。私がやりたくてやったことだから」


 平民の男性、やはり近くで見ると身長が高い。

 顔立ちもすごく整っているけど、頬が少し腫れているわね。


「頬は大丈夫? お腹も殴られていたけど」

「少し口の中が切れただけで問題ありません。腹は特に何も」

「そう、強いのね」


 特に騎士とかでもないのに、ただ身体が強い人のようだ。

 というか本当に、どこかで見た気がするんだけど……。


「あなた、私と会ったことはある?」

「スペンサー公爵令嬢と? いえ、ないと思いますが」

「そうよね……あなた、名前は?」

「名前、ですか? ラウロです」


 ラウロ……えっ、ラウロ!?


 まさか、あの聖騎士ラウロ!?



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