032 痛み
▲#%■$@●*!!
「──っつ!」
叫び声に似た強烈な痛みが、脳を揺さぶる。まるで身を引き裂かれるかのような痛みだ。何かが、頭の中で割れた──。少女は、そう思った。
「今のは……」
フレイヤは震える瞳で、その場を見渡した。
辺りは静かだ。物音一つ聞こえてはこない。その異様な静けさの中で、立っている大人が二人。
一人は大きく息を吐き出し、安堵の溜息をもらしている。
そしてもう一人は、横たわる遺体を、ただじっと見つめていた。
少女はその横たわる遺体を見て声を漏らす。
「終わった、の……?」
「ああ。終わっ──」
エミリアは息をのんだ。そして、フレイヤからそっと視線を逸らす。
「……人が殺されるのを、間近で見るのは──初めてか。」
最初、というのは違う気がした。昨日、ウィオレンティアの部隊が待ち構えていた時に、コウスケがそのうちの一人を殺したその瞬間を、彼女は見ていた。洞窟の中で追手から逃れるため、コウスケが何人もの人間を殺すところを、彼女は音で感じ取っていた。
だから、最初ではない。
ただ──自身の眼前で行われたその光景は、ひどく生々しかった。全てが終わった後の静寂はひどく寒く、空は晴れ渡っているのに、いつまでも日陰にいるような、そんな気がしてならなかった。
フレイヤはコウスケを一瞥する。そして首を横にふってから言った。
「ううん。初めてでは……ないわ。でも──」
彼女は歩く。じっとその遺体を見つめる、一人の男の元へ。そして銃を握る彼の手を、少女は握る。
「──フレイヤ?」
「でも──人を殺すのは……とっても、痛いこと、なのね……」
「……」
コウスケは直ぐには言葉を返せなかった。少女が何を感じているのか、それを理解してしまったからだ。
「……すまない。嫌な──思いをさせた。」
少女は首を横に振る。
「大丈夫。わたしは、もう、15歳になるのよ?ちゃんと──分かっているから。」
「……」
そうしてから、彼女は小さくつぶやいた。
「……確かに、逃亡するのは──心が、割れそうになるのね……」
◇
「……暗殺者が真正面から戦うから、そんな結果になるんですよ、
崖の上で事の次第を見届けた青年が、小さくつぶやく。
「フラーテル隊長。」
「どうしました、スキールニル。」
「本当に、これでよかったのでしょうか?」
青年は自身の背後に歩み寄った白髪の男に返答する。
「ええ。構いません。
「……」
それが問題なのではという発言を、スキールニルは飲み込んだ。
「まぁ、うまくいかなかったと言えば、昨日ウィオレンティアがとった“囮”のせいで、せっかく引き離した
「……それで、昨夜ウィオレンティア隊長を挑発しに?」
「ええ。もちろん。」
爽やかな笑みで返答する青年に、男は寒気を覚えた。
「……」
「おかげで、半日で目的を達成できました。」
スキールニルは何故、という言葉を飲み込んだ。
フラーテルは天才だった。ありとあらゆる任務を一人の犠牲者も出すことなく迅速に完遂する。それゆえに、騎士たちからフラーテルへの信頼は絶対だった。
だが、その考えは常人には分からない。部隊の皆は頭領の考えていることを誰も理解できてはいない。故に、ウィオレンティアが殺されるのにはそれ相応の理由があり、それが任務達成に不可欠なのだろうと、彼らは従順に従った。
しかし、この男──スキールニルだけは違う。
彼は部隊の中でフラーテルを
故に、彼は気が付いていた。ウィオレンティアがオクルスに殺される──その
(任務に従順かつ、最優先にするこの人が、何故それを捻じ曲げてまでこんなことを──)
スキールニルは眼下に広がる雪原を見下ろす。
(
オクルスの戦闘能力は
「スキールニル。」
「──は。」
フラーテルの言葉で我に返ったスキールニルは膝をつき、首を垂れる。それを見届けてから、青年は穏やかに言った。
「彼らはおそらく【掃溜めの街】に向かうでしょう。僕は今回の一件についてルーフスさんとウォルプタースさんに報告をしておきます。あなたは部下数名とともに、彼らの追跡を行ってください。」
「承知いたしました。」
「あ、それと──」
フラーテルは肩を竦めていった。
「絶対に、手を出してはいけませんよ。」
「……御意。」
◇
「ふむ。やっぱりウィオレンティアは死にましたか。」
「「ええ。残念ながら、
フラーテルの報告を聞いても、ウォルプタースは顔色一つ変えなかった。それが当然というような顔つきで、暗い部屋の中、水晶球の前に立っている。
「まぁ、何か特別語る様な特徴もありませんでしたからねぇ、彼女は。ルーフス殿が“収容所”でとりあえず使えるだろうと選抜した、数多いる
全く敬意も驚く様子も見せることなく、男は骨の浮き出た顔に笑みをつくった。
その反応を見た上で、フラーテルは進言した。
「「僕はこのまま
「それは喜ばしい。
──ですが、実は2点ほど厄介なことが起こっていましてね。」
「「ほう。厄介なこと、ですか?」」
「ええ。あの“黄金の魔女”が、動きました。」
「「──!」」
金髪の青年が水晶球の向こう側で目を細める。
「「それは、あまりいい気がしませんね。彼らが向かう先はテッラ王国。“黄金の魔女”はテッラ王国を事実上支配している存在です。具体的にどのような動きを?」」
フラーテルの言葉に、ウォルプタースはやれやれと肩を竦めて見せる。
「どのようなも何も、あの首都から出てこない引きこもりの魔女が、海岸の都【スルーズヘイム】へ向かったんですよ。」
「「──嫌な予感がしますね。あの魔女が自分で動くなど、よっぽどの理由がなければ有り得ません。
確か【スルーズヘイム】には『
「ええ。あなたが考えていることに、私も同意見です。
あの魔女には、
「「テッラ王国はアクア連邦攻略を狙っているとはいえ、それには『
「いかにも。彼らには攻略のための手段がありません。
それに加え、先の『フェンサリルの悲劇』で
まぁ、そろそろ“底なしの欲”がまた出てきた、という可能性は否定できませんがね。」
再びウォルプタースは呆れたように肩を竦め、それからきっぱりと言った。
「ただ、あの魔女が“自分で動く”という異常事態には、相応の理由があるはずです。
【スルーズヘイム】はアクア連邦と国交を開いている港町であり、ソウル・ブレイカーが保管されている場所。それ以外に特徴があるとすれば──」
「「──もし
フラーテルの言葉に、ウォルプタースの目が光る。
「その通りです。
何せ、
「「つまり、本来であれば何もないはずのこのタイミングであの魔女が動いたと言うことは──」」
「
ウォルプタースはわざとらしく困った顔をして見せた。
「いやぁ、なのでほとほと困っているのですよ。オクルスは現在『ビフレスト』を持ってフレイヤと逃亡中。それを黄金の魔女が捕獲すれば、我々にとって最悪のシナリオが完成してしまう。」
「「そうですね。では早急に任務を遂行しましょう。」」
「確かにそれが最善なのですが──フラーテル。あなたには別の任務をお願いしたいのです。」
「「どういうことです?」」
フラーテルはウォルプタースの言葉に怪訝な顔を浮かべる。ウォルプタースはフラーテルの心中を察したのか、慌てて両手を振ってその疑念を否定した。
「ああ、もちろん、あなたであれば任務を確実に遂行すると信じていますよ?ですが、そうも言っていられないかもしれないのですよ。言ったでしょう、“2つ”問題があると。」
「「と、いいますと?」」
ウォルプタースの顔に、歪な笑みが浮かぶ。
「実は、ベルルム殿から連絡がありました。」
「「ベルルムさんから?一体どのような?」」
「ベルルム殿からは3点の報告がありました。その中で早急に対応しなければならないものが、“アクア連邦の【ブルグント王国】が、テッラ王国と同盟を組もうとしている”というものです。」
「「!」」
「ええ、そうです。その懸念は最もです。
【ブルグント王国】はアクア連邦内で【イースラント】に次ぐ軍事力をもつ国家。これがテッラ王国に組すると勢力図は大きく変化してしまう。
しかも、最悪なのはその位置です。【ブルグント】はアクア連邦全ての国家群の
「「『奪い取る波』や『夜の壁』という障壁を排除することなく、アクア連邦を呑み込める可能性がある、と言う訳ですね?」」
フラーテルの真剣な眼差しに対し、ウォルプタースは三度わざとらしく困った様子をして見せた。
「ええ。ですから我々としてはその同盟を阻止したいのですよ。
我々カエルム帝国はアクア連邦との戦争を終えたばかりで疲弊していますし、何より“内政”が不安定です。この状況で世界の勢力図が描き変わる事態は危険です。今は均衡を保つべき時期です。
故に、首都からちょうど出てきている“黄金の魔女”との密会を、あなたに依頼したい。あの魔女はあなたのことを大変気に入っているようなので、あなたであれば話に応じるでしょう。」
「「なるほど。たしかにそちらの方が優先すべき案件ですね。
しかし、僕はそこまで外交の仕事は得意ではありませんよ?」」
「あぁ、そこはご心配なさらず。ベルルム殿から交渉材料になりそうな情報を得ておりますので、後程他の2つの報告とともにお知らせしますよ。」
「そうですか。承知致しました。
……しかし、そうなると
フラーテルの疑問に、ウォルプタースはその言葉を待っていたと言わんばかりに口角を釣り上げた。
「それはご心配なさらず。何しろ──」
「私と
ソウル・ガン ―黄金の少女と隻眼の魂喰者― 猫山英風 @h_nekoyama
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