024 黒い女と光の弓(下)
「おのれ邪魔をするか、『
「ウィオレンティアァァァァァ!!」
鋭い視線とともにウィオレンティアを狙うは2本の矢。
冷たく輝く鉄の矢尻。
それらは隼の如き速さで、一切の迷いなく黒い女へと向かっていった。
「ふん。」
ウィオレンティアは最初の矢を宙に舞い上がって避け、つづく第二の矢をどこから取り出したのか、自分の背丈ほどもある長刀で薙ぎ払った。そして着地と同時に指の間に挟んだ4本のナイフを投げ飛ばし、音もなく部下たちの背後へと後退する。
「相変わらず蜘蛛みたいな女だな、ウィオレンティア。」
投げられたナイフを“風”で薙ぎ払い、エミリアは対象を睨み付ける。
「自分の巣の奥にいないと、獲物を仕留められない臆病者め。」
「
罠を張るのが上手いと言え。私は、たった一本の糸を引くだけで敵を殺せるのだから。」
「そうかい?未だにあたしらの誰も殺せていないようだけど、ねぇ。」
「……」
「──フレイヤ、大丈夫かい?」
ウィオレンティアから一切視線を逸らすことなく、エミリアは背後の少女に声をかけた。
「え、ええ……ちょっと痛むけれど、大丈夫だわ。立ち上がることだって、出来るもの。」
「──すまない。あんたに指一本触れさせないと豪語しておきながら、いきなりその約束を破ってしまった。」
「いいえ!そんなことないわ!わたしが……うまく逃げられなかったから──」
フレイヤの言葉が終わるよりも早く、彼女の視界の隅に影が映り込んだ。
ウィオレンティアの部下たちだ。
「させるか!」
影のように音もなく忍び寄った4人の暗殺者を、エミリアは瞬殺する。
放たれた一矢が二人の脳髄を貫通し、鉄の板を内蔵したブーツが三人目を蹴り飛ばす。そして自身の背後に迫った四人目の心臓に、振り向くこともせず手に持った矢を突き刺した。
「……約束を守れなくて悪かった。だが、この先は!誰一人だって触れさせやしない!」
エミリアの周囲に風が吹く。木々は軋み、吹き上げられた雪で視界が霞む。立っているのがやっとなほどの風を出しながら、彼女はその風を右手に収縮させる。
「──斬り割け、“
エミリアの手から放たれた風の束は竜巻となり、暗殺者たちの群れの中へと突っ込んだ。その風は凝縮された空気の層。形として目に見えないはずの大気が、輪郭をもつほど高密度かつ音速で人体に触れればどうなるかなど、想像に難くない。風の集まりは人肉を斬り割き、蜘蛛の子を散らすように暗殺者たちを吹き飛ばした。
だが。
彼らは暗殺者であると同時に、ヴァルキリーズ。すなわち“騎士”である。カエルム帝国という強大な国を守る騎士が、手足を斬り割かれた程度で死ぬことも、
「──そう簡単には、くたばらないか!」
「者ども、殺せ!!」
蜘蛛の子たちは一斉に武器を放った。腕のあるものは何らかの魔法を行使し、腕を失ったものは足でナイフを投げつけ、どれもできぬ者は口から吹き矢を放った。
(矢避けの──いや、どれも魔法で強化済みか!)
暗殺者たちの攻撃を防げないと瞬時に理解したエミリアは、フレイヤに向かって風を放ち、叫んだ。
「フレイヤ、尾根へ走れ!」
「!?」
吹き飛ばされたフレイヤは、その光景に目を見開いた。
この先に言う彼女の言葉を、自分は
「──行け。振り返るな!」
「エミリ──」
フレイヤの声は風によってかき消された。手を伸ばした先には、もうエミリアの姿はなかった。エミリアの放った風はフレイヤを戦場から遠い場所へと一瞬で逃がしてしまっていたのだ。
故に、彼女には選択肢が無かった。エミリアの元にもう戻れないのであれば、戦えない自分が次に何をするべきなのかは分かりきっていた。
「……っ!」
雪の上に転がった彼女は歯を食いしばり、一度強く雪を握りしめた。熱で溶けた雪が、冷たく手の中で流れ落ちていった。
そして目指すべき場所を見据えて、彼女は走り出した。
◇
「……まったく、恐ろしい女だ。あの状況で小娘を逃がし、私の
それが貴様のソウル・マジックか?なんとも出鱈目な殺傷能力だ。それだけの強さを持ちながら、何故テッラ王国聖騎士団を辞めた?貴様ほどの戦士が戦争から
ウィオレンティアは自分の足元に転がる死体を一瞥し、矢をつがえる女に言い放つ。
「だがその技、その魔法、その力……殺すには惜しい実力だ。どうだ?ウルよ。実は今我らヴァルキリーズは人手不足でな。事と次第に依っては──」
「ははっ!なんだいそりゃぁ。
弓を持った女は嗤い、蜘蛛の言葉を一蹴した。
「──なんだと?」
「気持ちが悪いって言ってんだよ。あんたの誘いなんざ願い下げだ。」
「貴様……」
「ああ、そういやなんだっけ?あたしが騎士団を止めた理由、だったか?さあて、なんでだろうねぇ。知りたきゃあ
あの男、一度あたしをヴァルキリーズに誘ったことがあるからね。何か知っているかもしれないぜ?」
「────」
黒い女は一度目を閉じ、そして怒りのこもった瞳を包帯越しにエミリアに向けた。
「いいや、やはり貴様などどうでもいい。貴様はただのおまけで雑魚だ。
私の任務はあのニョルズの娘と裏切り者を殺すこと。貴様をさっさと殺して本来の仕事に戻る。」
「──は?ニョルズの娘、だって?」
「なんだ、知らなかったのか?まぁいい。お前は今ここで、死ぬんだからな!!」
「!」
ウィオレンティアの腕が、地面に突き刺さる。だが、土を抉るような音は立たなかった。代わりにしたのは、水の音。池に手を入れた時のような、空気と水が混ざる音だった。
「──これは!“
「
間一髪。エミリアは風で舞い上がり、
「影から武器を──あんた、“影使い”か!」
「余裕だな。……だが、一度避けたくらいでいい気になってんじゃねぇ!」
現れたのは無数の武器。剣、槍、斧、矢、鎚……形も大きさもどれ一つとして同じものはなく、それが木々や岩、獣や小鳥、森にある全ての影から、一斉にエミリアを仕留めんと顔を出した。
「消えろ!!」
「っ!!“
風が舞い上がる。雪原を抉り岩をも砕く嵐が、影から飛来する毒牙を蹴散らした。しかし、刃の進撃は止まらなかった。いや、終わらなかったと言うべきだろう。影使いは途切れることなく武器を取り出し、雨のように
「っ!!」
斧が頬をかすめ、槍が足を突き刺す。しかしそれでも彼女は走る。風を巻き起こし、向かいくる全ての刃を跳ねつける。
「爆風よ、射抜け!」
矢筒から引き抜いた一本の矢に魔力が集い、放たれた矢は周囲の全てを粉砕した。木々は割れ、岩は砕け、雪原は抉れて森に巨大な
だが、影はその虚の中心にありながら、無傷であった。
「影よ、刺し殺せ!」
夜闇迫る大樹の森で、影が
「風よ、弾けろ!」
地面に放った矢が、大地を震わす。地中で破裂した空気が山を抉り、森を粉微塵にして空へと散らす。
「おのれ、
「影をつくっているものを無くしちまえば、その魔法は無意味だろう?」
鉄の矢尻が、蜘蛛の頬を掠める。
「忌々しい!!」
女は激高し、たて続けに降り注いだ矢の全てを長刀で薙ぎ払う。
「ならば、壊して見せろ。自分の影を、なぁ!!」
「!!」
エミリアの影に、白銀の刃が現れる。
「チィッ!」
「まだ避けるか!?それだけの魔力を消費しておきながら──」
「ゴタゴタ五月蠅い!!”爆風よ、射抜け”!」
全てを貫く風が、黒い女に直撃する。
「おんのぉれぇ!」
女は一歩退いたが、膝をつくことはなかった。
その足で大地に
「私を、なめるな!
エミリアの影から、無数の刃が顔を出す。彼女は暴風を巻き起こし、迫りくる刃を薙ぎ払う。
「まだだ!!」
しかし、いくら逃げようとも影は己についてくる。自分の影から逃げることができる人間など、この世にただの一人もいない。
故に自らの足元から飛翔する刃の全てを回避することは、どれだけ鍛錬を積んだ騎士であろうと困難を極める。体術と魔法を駆使していたエミリアも体に無数の傷を負い、ついには膝をつくことになった。
だが──追い詰めたはずのウィオレンティアの言葉には、怒りが滲んでいた。
「……つくづく、忌々しい。あれだけの奇襲をかけたと言うのに、致命傷なし、だと?」
「はは、それがあんたの全力かい?随分と、テキトウな暗殺だな。」
頬を伝う血を拭い、エミリアは嗤う。
対してウィオレンティアは滾る怒りに顔を歪ませ、罵声を浴びせた。
「なめるなよ逃走兵め!私はカエルム帝国の暗殺者。たとえ私が貴様の正面に立っていようと、いつも貴様の死角からの攻撃を可能にする者だ。
だが──」
女の口元が僅かに吊り上がった。
「ここまで手こずったのも久しぶりだ。故に、
「!?」
身構えるエミリアの前で、女は自らの影を引き裂いた。
「さあ、目覚めの時だ!暗殺者とは、影より出で影より殺す者──
“
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