023 黒い女と光の弓(中)


「ああ。やはり──兄さんは強い。」


 崖の上に佇む男が一人、静かに言葉を漏らす。

 凄惨たる真っ赤な雪原を見下ろして、あまりにも不釣り合いな子供の笑みを浮かべながら。


「瞬きの間に敵を殺すあの速さ。

 力は最小限に、動線は最短に。効率の良さも申し分ない。

 そして滑空する隼をも撃ち落とすあの正確さ。放たれた弾丸は本日29発。そのすべてが、一つの無駄なく29の命を奪った。

 一切のためらいもなく、寸分の狂いもなく敵の心臓に鉛を打ち込むあの強さ。

 やっぱり、──」


 フラーテルは大きく熱い息を吐き出し、それから興ざめだとそう言いたげに冷たく言い放った。


「……で、あの女は何をしているんだろうね。」





「逃げる気か、ウィオレンティア!!」


 コウスケの弾丸は敵の武器、魔法、殺意、心臓そのすべてを打ち抜いた。既にウィオレンティアの部下は残り6人。部下全員が戦意を喪失し、半ば逃げ腰になったところで一番に動いたのはウィオレンティアだった。

 ウィオレンティアは眉一つ動かさず、枝の上をまるで小動物のように飛び移っていく。

 そしてそれをコウスケは追う。

 しかし常に距離を取り、ウィオレンティアが張り巡らせた“罠”を彼は警戒した。コウスケを忌み嫌っている女が、先ほどの侮辱を浴びせられて無言で戦場を立ち去るには相応の理由があると、彼は判断したからだ。しかもウィオレンティアはヴァルキリーズの隊長である。部下たちとは違う格上の戦闘能力と知略を持つ者。ウィオレンティアの不可解な行動に警戒するのは、至極当然であった。


(あいつ──なぜ攻撃してこない?)


 木々の間を流れるように駆け抜けながら、彼は常に黒い女を捉らえていた。

 そして一切攻撃するそぶりを見せないその“影”に、彼は一抹の不安を覚える。


(森の奥に、誘っているのか?罠でもあると言うのか?

 いや……今は真東に向かって走っている。これは俺達が最初に向かうはずだったコースだ。先行していた俺達の進行方向に、十分な準備を済ませた状態で罠を敷くことはほぼ不可能だ。

 それに、あいつと最初に見止めたあいつの部下は、全て視界に収めている。彼らが隠れている味方に何か合図を送った気配はない。おそらく部下はここにいる者たちで全員だ。

 今はフレイヤの向かった方角からは45度ずれている。故に、彼女の元へ向かった敵はいないはず。なら、この待ち伏せの狙いは俺を殺すためのはずだ。

 なのに──なぜ、オレに攻撃を仕掛けてこない、ウィオレンティア。)


「……きな臭いな。」


 コウスケは一番近くにいた一人の男に照準を合わせ、引き金を引いた。


(部下はあと5人。ウィオレンティアは……一番先頭を走っているか。シリンダーの替えは──)


彼はシリンダーの留め具を外し、腰に下げた“替え”に銃身を叩きつけた。空のシリンダーが宙に舞い、高い金属音と共に黒い鋼から火花が散る。


(──これで残り3つ。弾の残数はコレを含めて24発。数としては十分だが、シリンダーの装填数は6発。5人倒すとなると、このシリンダーには1発しか残っていない。

 1発では、ウィオレンティアを倒しきれん。かといって、あいつを前にしてシリンダーの交換なんぞする余裕はない。)


 コウスケは続けざまに引き金を2度引いた。黄昏の森に響く低い銃性は、二人の男女の脳を貫通し、雪原に新たな死体を生み出した。

 と、その時、彼はあることに気が付いた。

 自らが追う女の視線が、無惨に横たわる男に向けられてニタリと嗤ったのだ。そして女は頬に右手を広げた状態で近づけ、コウスケに見えるように小指と薬指を折り曲げて見せた。


「あいつ──!!」


 その不気味な笑みを見て、コウスケは激高した。


(使のか、ウィオレンティア!!

部下で俺の体力と弾を減らし、シリンダーを交換するその一瞬を狙っていると!)


「外道め──」


銃を握る右手に、力が入る。


「部下全員を見殺しにして、何を得ると言うのだ!!!」





 フレイヤはひた走った。一切足を止めることはなく、ただ前だけを見据えて山を駆けた。


「ううう。もう指の感覚がなくなってきたというのに……どうしてまだ尾根につかないの。」


鼻を真っ赤にしながら、少女は自分の体力の無さに歯を食いしばる。


「わたしは……何も特別なことはしていないわ。ただスキーで山の斜面を駆けているだけじゃない。

 エミリアさんも、コウスケさんも、わたしを逃がすために戦っているのに。それだと言うのに、目指すべき尾根にまだたどり着くことすらできないなんて──」



“ずっと言っているじゃないか。逃げない方が、身のためだって。”



 自分を殴りつけた、あの青年の言葉が脳裏によぎる。

 フレイヤは目をつぶり、絞り出すように言葉を発した。


「なんでわたしは──逃げることも、満足にできないのよ。それなら、本当にいっそのこと──」



「ああ。死んだ方がいい。」



 腹部に入った強烈な蹴り。

 その一撃で、彼女は真後ろに吹き飛ばされた。雪原に叩きつけられた衝撃でスキー板は粉砕し、彼女の体の上に木片が降り注いだ。


「あ……が……」


 内臓すべてが口から出そうになるような嗚咽と、頭が真っ白になるほどの痛みで、フレイヤはその場から立ち上がることが出来なかった。


「……妙だな。今ので内臓を全部破裂させてやったと思ったんだが……血すら吐かないとは。それに、今の感触。防御魔法か何かか?」

「う……あ……」

「ん?」


蹴りを入れた人物は、少女の敗れた服の下を見て立ち止まる。


「……なんで、その包帯・・・・を撒いてんだ、お前?」

「あ──」


 フレイヤはやっとのことで自分を蹴り飛ばした人物に視線を向けた。そこにいたのは、黒い女だった。墨で染めたような真黒な包帯で全身を覆った、ミイラのような女。目も口も見えず、体の輪郭だけが分かるその異様な佇まいに、少女は見覚えがあった。


「あ……なた、は……どう、くつの……」

「ほう。覚えていたか。

 そうだ。私の名はヴァルキリーズ暗殺部隊隊長、ウィオレンティアだ。」





「こいつは──」


 コウスケは足元に横たわる女を見て顔を歪めた。

 女の四肢は関節ではないところで腕や足が曲がっており、尿と血と腐った肉の臭いが鼻を突いた。

 高かったであろう鼻は削ぎ落とされ、口から泡を吹いている。白目をむいた瞳には大量の涙が流れ、頬と瞼には大きな青あざがあった。そして何より、首より下が腐った林檎のような色に変色し、もはや人間とも思えない状態になっていたことが、惨たらしかった。

 コウスケは眉間に風穴があいたこの女に見覚えがあった。当然、暗殺部隊にいた人間の1人だ。

 だが、


「まさか──」


コウスケは死体の包帯を引き裂き、そのうなじにあったものを見て目を見開いた。


「──ソウル・マジックの、跡──」


 彼は即座に状況を理解し、目にもとまらぬ速さで山を駆け下りた。


「フレイヤ──!!」





「なんで、ここにいるのかって?それはお前が森で見たあのウィオレンティアは、私が創った私の替え玉だからだ。」


 ウィオレンティアは包帯の隙間から取り出した、刃渡り10センチほどの毒々しいナイフを見せて不敵に笑う。


「私のソウル・ブレイカーはコレだ。」

「ソウル・ブレイカー……」

「知っているだろう?ソウル・ブレイカーは、魂を破壊する兵器だ。こいつで生身を切り刻めば、どんな小さな傷でもたちどころに死んでしまう。猛毒がぬってあるようなものだ。

 だが、ソウル・ブレイカーはただ魂を破壊するだけでなく、特殊な“魂に関する魔法”を行使することもできる。それが『ソウル・マジック』だ。

 私のソウル・マジックは“狂人化”と“変質化”。こいつで切り刻んだ相手の精神を蝕み発狂させ、人格を埋め込んで強制的に“別人”を創りだすことができる。」

「別……人……」

「そうだ。お前が見た私は、。ま、今頃はあの男にやられてくたばったか、創られた人格に耐え切れず精神崩壊して死んでいるかのどっちかだろうけどな。」


 その言葉を聞いて、フレイヤは怯えた目をウィオレンティアに向けた。


「な、なんで……そんなことが、できる、の……」

「あ?」

「部下って……その人は、あなたの、仲間じゃないの?

 仲間って、大切なものなんじゃないの?」

「はぁ?んなわけねーだろ。」


女は目元の包帯をめくり、その禍々しい視線を少女に浴びせる。


「部下は

 何人死のうが、替えはいくらでもある。

 それに、あっちの森にいた奴らみたいな無能ゴミなのは、部下にすらならない。

 部下ってのは、まだ使える奴らをいう。」


 ウィオレンティアの背後の森から、数人の男女が現れた。皆全身を黒い布で覆い、手に暗器を握っている。


「──私は隊長だ。隊長には責任がある。この国を守る、というな。

 故に、の管理を完璧にこなさねばならない。だから情報の隠匿には特に注意を払う。こいつらはあの裏切り者も知りゃあしないメンバーだ。こういうこまめな配慮が、勝利を掴むんだ。

 私はあのバカとは違うんだよ。

 あのバカが私の部隊には無能ゴミしかいないと思っているその “隙”をつけば、こうやってお前の前に悠々と現れることができる。」

「ゴミ────」


 絶句する少女を見て、ウィオレンティアは不敵に笑う。


「……あぁ、お前、ずっと一人だったんだっけか?」

「──!」

「家族もいない、友達もいない、仲間もいない。それどころか、話をする相手もいない。そんなんだから、“友達”“仲間”そういうのにでも抱いちまったんだろ?」

「……て。」

「おとぎばなしや物語に出てくる世界のような、キラキラしたもんに魅せられちまったんだろ?」

「──めて。」

「まったくおめでたいやつだなあ。そんなもの、この世には存在しないってのに。」

「やめ──ガッ」


 フレイヤの腹を、ウィオレンティアは蹴りつける。そして悶え苦しむ少女の腹に撒かれた古い包帯を見て、ウィオレンティアは舌打ちをした。


「……お前を見ていると吐き気がする。」

「!!」


 ウィオレンティアの掌で、ナイフが鮮やかに踊った。そしてまっすぐ刃先がフレイヤの顔面に向けられると、ウィオレンティアは静かに言った。


「死ね。」

「──!!」




「ソウル・ブレイク!」




 突如森に響いた力強い声が、一筋の光と共にウィオレンティアの懐に飛び込んだ。


「これは!!!!」


 ウィオレンティアの身に着けた布に当たったその光は、ガラスのように砕け散り、されど温かに周りを照らす。その光は春の日差しのようにあたたかく、太陽のように強かった。


「おのれ邪魔をするか、『光の弓ウル』──!」

「ウィオレンティアァァァァァ!!」


 フレイヤはその光の元を見た。

 そこにいたのは、雪山を滑るスキーの神ウルの姿。

 太陽のような輝きを放つ、エミリアがいた。



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