022 黒い女と光の弓(上)


 その枝葉は、山を越えようと群れを成す鳥のようだった。遥か上空を滑らかに飛ぶそれらは、美しい隊列を組んでまっすぐ標的に向かって降下した。

 だが、その“標的”は、たった一本の矢でその群れを射落とした。


 一条の光が、空に放たれる。


 光は枝葉の群れに当たると音もなく爆ぜ、その異様な渡り鳥たちの中へと浸透する。するとその枝葉は途端に勢いを失い、ただの草木の葉として地上へと落ちていった。

 しかし彼女はその矢先を下ろさない。続けざまに現れた第2陣に向け、即座に照準を合わせて矢を放つ。


「ソウル・ブレイク!」


 第二陣を射落としたエミリアは、後ろ向きのまま雪原を滑り出す。それを傍からみたのなら、まるで背中に目でもついているのではないかと思うだろう。彼女の動きは流水の如し。進行方向にある木々や岩を悠々と避け、見えてもいないのにコウスケとフレイヤの後を追っていた。そしてそうしながらも、彼女は己に降り注ぎ続ける枝葉の群れに、矢を放ち続けたのだ。



「流石ですね。」


 

 彼女への賛美か、それとも己の部下の力を称賛しているのか、どちらともとれる落ち着いた声が男の口から発せられた。

 フラーテルはその攻防を山一つ離れた場所から眺めていた。そこは冬の風が服をはためかせる崖の上。彼は視界にスキールニルを、エミリアを、そして逃げるコウスケとフレイヤすべてを収めながら、コートの左ポケットから一つの水晶球を取り出した。


「スキールニル。一度ソウル・マジックの使用をやめてください。

 『光の弓ウル』が山の裏に入りました。」

「「承知致しました。」」


 水晶球に映った白髪交じりの男はそういうと、一つ小さな深呼吸をして魔法の行使を止めた。その様子を山の上から見止めた彼は、風に金髪をなびかせながら穏やかに笑う。


「スキールニル。あなたは今のこの状況、どう思いますか?」

「「はっ。計画の実現率は9割程度だと思います。『光の弓ウル』の足止めがやや短くなりましたが、全ては想定内です。」」

「そうですね。計画に支障はない。あとはウィオレンティアの方が上手くいけば完了、といったところですね。」

「「……」」


 スキールニルはいつも少し不思議に思った。どういう訳か、隊長フラーテルは“分かっていることを部下に確認したがる”。部下の判断能力や認識力を鍛えたり把握しようとしているのかと最初は思ったが、そうではない。どうも彼は“そうしたくてやっている”。目的は不明。フラーテルとスキールニルはだが、スキールニルはそのことがよくわからなかった。

 だが。ここ数年、一つ変わったことがあった。


 ……そう、彼は任務の確認をした後、必ず尋ねるようになったのだ。


「「スキールニル。」」

「なんでしょうか。」

「「あなたは、あとどれくらい『ソウル・ブレイク』を、使えますか?」」

「……」


 スキールニルは一瞬の間を置いてから、無表情のまま事実を返答した。


「何度でも。」


そして再び瞬きの間を置いてから、金髪の青年は笑みをこぼした。


「ああ。やはり君は、強い。」






「……エミリアさん、大丈夫なのかしら。」


 すぐ後ろにいると言ったエミリアの姿が見えないことに、フレイヤの不安は次第に大きくなっていった。

 既に別れてから30分は立っている。雪の森の中は視界が悪く、後方の様子はほとんど見えない。そればかりか足の速い太陽のせいで夕暮れが近づき、視界が暗くなり始めた。これではエミリアが彼女たちに追いつくのも困難である。


「ねえ、コウスケさん。やっぱり、少し待った方がよくないかしら?」

「いやだめだ。」


 コウスケの言葉に、フレイヤは思わずスキーを漕ぐ足を止めそうになる。


「ど、どうして?」

「ここで足止めを喰らったら、夜の森を走ることになる。夜はウィオレンティアの領分だ。夜の森を移動するのは危険すぎる。それに──」

「それに?」


 一瞬であった。フレイヤの問いに答える直前、コウスケは腰から拳銃を引き抜いた。そして一切のためらいも迷いもなく、己の見据える視線の先に向けて、引き金を引いたのである。


「な、何!?」

「立ち止まるな!」

「わわっ!」


 フレイヤを後ろから抱きかかえ、コウスケは彼女のスキー板を自身の板の間に挟み込む。そうしてさらに彼は加速し、その弾丸の至った方角から進路を変更した。


「な、何をしたの!?」

「敵だ!」

「!」


 フレイヤは見た。ただ視線をその方角に動かしただけだったが、それでもはっきりと視認できた。横たわる男と、雪に撒かれた赤い飛沫を。

 そして、木の陰から現れた不気味な黒い姿をした人間が、何人もいることに。さらに彼らの中心に、全身を黒い布で覆った一人の女が立っていることに。


「あれは──」

「ウィオレンティアだ!」






「追え。」



 怖気のする女の低い声が、一瞬にして森の静寂を支配した。その合図とともに、巣穴から這い出てきた蛇のような動きで、周囲の人間たちが走り始める。

 得物を求めて雪原を這う彼らの速度は、風のように速かった。身体強化の魔法を使っているのか、スキーを使用するコウスケ達とほぼ互角かそれ以上のスピードで二人の背後に迫っていた。


「フレイヤ、速度を上げるぞ。“魔眼”、起動──!」

「わっ!」


 危機を察したコウスケの左目が赤く輝き、その瞳に紋章が現れる。そしてそれと同時に、フレイヤは身体に熱が沸き上がるのを感じとった。


「これが、身体強化の魔法──!」

「フレイヤ、集中するんだ!前方に岩!右に逸れるぞ!」

「──っ!!」


 コウスケの叫び声に合わせ、フレイヤは息をする間もなく習得したばかりのスキーの術を酷使した。次から次へと現れる森の障害物をギリギリのところで交わし、直ぐに次の進行方向の状況を見極めなければならなかった。体に伝わる雪原を滑る感触は荒く激しく、気を抜けば脚をもぎ取られてしまいそうだった。

 しかし、それでもなお背後の殺気は消えなかった。そのことに、コウスケは苦渋の表情を見せた。


「くっ。流石に振りきれないか……!」

「ど、どうするの!?」


震えるフレイヤに一瞬目をやり、コウスケはゆっくりと言った。。


「……いいか、フレイヤ。よく聞くんだ。今の俺たちは危険な状態だ。

 俺の使う身体強化の魔法は、文字通り身体能力を向上させる魔法だ。俺はこの魔法を使うことで、自分が使える体術の幅を増やしているに過ぎないんだ。つまり、スキーの速度そのものを上げる魔法じゃないんだ。」

「それは、つまり──」

「奴らを振り切ることは、不可能だ。

 スキーの速度は滑走の技量に依存する。俺達は今、身体能力を向上させることでこれまで使えていなかったスキーの技術を使って滑っている。だが今のこの状態では、どんなに身体強化を酷使してもやつらを振り切るだけの速度は出せない。」

「わたしを、守りながら滑っているから……」


 その言葉にコウスケは小さな間を置き、押し殺すような声で言った。


「……そうだ。そして逃げきれないのであれば、俺は攻撃に転じる必要がある。」

「それはつまり──わたしは、一人で逃げなくてはいけない、ということね。」


 彼女の肩は、震えていた。

 魔法を使っても逃げきれない相手から、一人で逃げなくてはいけない。怖くないはずがない。

 コウスケは強く歯を食いしばり、言葉を押し出した。


「……そうだ。

 だが、幸いにも奴らはまだ待ち伏せの準備が完全ではなかったように見える。この方角に敵は居ないはずだ。

 それに、奴らの最優先事項は俺だ。君の前に俺を殺しに来るだろう。

 だから、敵は俺が全て片付ける。君はまっすぐあの尾根まで駆け抜けるんだ。」

「で、でも──わたし、まだスキーが上手ではないわ。すぐに、追いつかれてしまうかもしれない。」

「大丈夫だ。君ならできる。何しろこれまでずっとスキーを使っていくつもの山を越えてきたんだ。自信を持っていい。

 それに、君に近づく敵は俺が倒す。君は走ることだけ考えるんだ。」


 フレイヤはコウスケの赤い瞳を見つめた。彼は進路の先を見据え、フレイヤの顔は見ていなかった。

 けれど、その顔には確かな強さがあった。覚悟があった。


 どこかで見たことのある、炎のような強い眼差しが、そこにはあった。


「……わかったわ。」


 フレイヤは震えながらも頷いた。怖くはあった。けれど少女はその眼差しをみると、自然と大丈夫だと、何故かそう思った。


「……すまない。無理をさせる。

 では、3の合図で別れるぞ。」

「うん。」


 コウスケの腕を握るフレイヤの力が、少し強くなった。その小さな手の力は、服の厚みで相殺されるほどにささやかなものだったが、コウスケの胸はひどく痛んだ。


 ──彼女に苦境を強いる、自分の愚かさに。


「……行くぞ。1、2の、3!!」


 フレイヤを勢いよく押し出したコウスケは、即座にそばの木の幹に左腕を回し、体の向きを反転させる。そして敵の正面を向いたその瞬間、彼は右手に持った銃の引き金を引いた。


「な──」


 ウィオレンティアの部下たちは面食らった。突然方向転換したコウスケに対応することが出来ず、ほんの1秒ほど判断が遅れた。

 だが強者と対峙するとき、その1秒の遅れは致命的である。

 加えてコウスケはスキーを滑りながら、一瞬にして照準を合わせた男である。敵の眉間を捕らえることなど造作もなく、彼らの驚嘆の声は断末魔の代わりとなった。


「くそっ!散開しろ──」


 チームリーダーと思しき痩せた男は、それが最期の言葉になった。

 さらにコウスケは、瞬きの間に引き金を三度引いた。

 そしてその撃鉄の動きと同じ数だけ、雪原に赤い血しぶきが飛んだ。


「遅い。」


 黒い銃口が、再び火を噴く。

 コウスケと男たちの距離が縮まる度、森の中に屍が増えていく。

 そして彼の表情が視認できるほど近づいたときには、既にウィオレンティアの部下は半数に減っていた。


「この──化け物め!!」


 背の高い男が、腕に取りつけた小型ボウガンをコウスケに向けて放った。しかしその矢はコウスケには届かず、彼の弾丸によって男の眉間とともに貫かれた。


「ひっ!」


 青ざめ、腰を抜かしそうになる男たちを見据えて、コウスケは言った。

 覇気と殺意のこもった、低い声で。


「ここから先は、一人も通さん。」

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