021 出立


──行け。

振り返るな!


……?


貴様みたいなやつが、その子に触れるんじゃない!!



……暗闇の中で、声が聞こえる。



──ソウル・マジック──『■■■■■■■』



「▲#%■$@●*!!」


声にもならない叫び声は、痛みとなって脳を揺さぶる。

今にも頭が割れそうだと、そう思った時だった。


 一瞬だけ、周囲の闇が晴れた。

そして、目の前に今まであった闇よりももっと具体的な、形を持った恐怖が現れた。


女だ。

全てを恨む憎悪の瞳。

怒りで顔に醜い皺が寄り、その大きな火傷の顔をさらに不気味に仕上げている。


そしてその女は、毒々しい言葉やいばを少女に向けた。


「殺してやる!」




「──!!!!」


 少女は飛び起きた。

 額には汗が吹き出し、呼吸は荒く、心臓は激しく脈打っていた。

 何事が起きたのかとフレイヤはあたりを見渡すが、洞窟の中は寝る前と変わらない。隣ではエミリアが寝ており、洞窟の入り口付近ではコウスケが毛布にくるまっている。

 崩れかけた蝋燭だけが、机の上で静かにその時の流れを告げていた。


「な、何、今の……」





「やぁっぱり、冬の山はこれだろう!!」

「きゃぁああああ!?」


 エミリアの楽しげな声が、森に響く。

 フレイヤの悲鳴が、山を越える。


 フレイヤを同じスキー板に乗せ、前に抱きかかえるようにして、エミリアは森の中を縫うように滑り降りていく。


「わぁああ!前、前!大木よ!ぶつかるわ!!」

「だあいじょうぶさ!つかまってな!!」


そういってエミリアが体を大きく傾かせると、瞬時に視界が切り替わり、新たな雪原が現れる。


「こ、こんどは岩が!!」

「そうれ!!」


エミリアは軽々と行く手を阻む自然の建造物を躱していく。


 その動きといったら、まるで流水のように滑らかだった。

 雪に残す軌跡は美しい弧を描き、思うがままに道を切り開く。

 その速さといったら、まるで空を飛ぶ鳥のようだった。

 風を切る爽快感は冬の寒さを忘れさせ、鼓動を軽やかに奏でさせる。


 自由自在に山を駆け下りるその体験は、フレイヤにとって感じたこともないほどに力強く、また胸の高鳴るものだった。


「そら、見てごらん、フレイヤ。」

「──わぁ!」


 そうしてたどり着いた景色は、息をのむ絶景だった。空を突き刺す真っ白な雪山が、朝日に照らされ薄紅色に輝いている。どこまでも透き通る青空は山々の遥か彼方にまで続き、うっすらと見えている星の元まで吸い込まれていきそうだった。


「いい景色だろう?あたしがここいらで見つけた一番の景色さね。

 山頂からの景色もいいが、山の中腹から見ると山の迫力をも感じることができるんだ。

 特に朝はいい。空気が澄み切って遠くまでよく見える。」

「すごいわ。【イヴィング】の街じゃいつも雪が降っているから、こんなにも晴れ渡った空を、輝く山を見るのは初めてよ!」

「そりゃあ、よかった!」


 目を輝かせるフレイヤを一息の間眺めてから、エミリアは再び口を開いた。


「……どうだい?少しは気が紛れたかい?」

「え──?」

「だって、出立するときも顔色、悪かったじゃないか」

「……!」


フレイヤは頬に手を当て、顔を洗うようなしぐさをする。


「だ、大丈夫よ?問題ないわ。

 その、ちょっと眠れなくて疲れてしまっただけだから、心配しないで。」

「フレイヤ。」


エミリアはフレイヤを後ろからそっと抱きしめる。


「こんな状況だから無理もないことだろうけれど、あまり気を張りすぎるのは体に毒だ。

 人間は逃げる生き物じゃない。何かに追われている生き物じゃない。

 生きるために行動しようとする生き物だ。

 生を彩る生き物だ。

 だから、こういう苦しいときこそ、それを忘れさせてくれるようなものを見るといい。」

「……」

「──なーんて、もっともらしいこと言っているが、これは受け売りでね。私の恩師がよく言っていた言葉なんだよ。」

「恩師?」

「ああ。その人は自由人でわがままでね。ほんと、テキトウな人だった。

 『仕事?そんなもの、人間の生きる時間の一部でしかないのに、お前はなんで一日の大半を仕事で終わらせるんだ?』って言って一日中遊んで全然仕事をしないのさ。

 困った話だろ?

 けど、仕事戦争に明け暮れていると、人は疲れてしまう。なんのために生きているのか分からなくなってくるんだ。それは、人の生き方じゃない。

 だから、フレイヤ。」

「うん?」


エミリアは輝く山を見つめる。


「今は追われる身だ。

 これからも、敵に追われるかもしれない。

 戦い続けなくてはいけなくなるかもしれない。

 けれど、それから逃げることを、戦うことを、生き残ることだけを考えていたら、心は──魂は、死んでしまう。

 楽しみのない人生は、死んでいるのと変わらない。

 あんたには──そんな苦しい人生は、送らないでほしい。」

「……」


エミリアはフレイヤの肩を軽くたたく。


「さあて、それじゃあ後ろに置いてきたコウスケを少し待ったら、今度は一人で滑ってみようか!」





「随分と滑れるようになったじゃないか。」

「そ、そうかしら?」

「ああ。コウスケなんかよりもよっぽどうまい!」


 昼過ぎ。朝に見た向かいの山の中腹で、彼らはスキーの板を平行に滑らせる。


「でも、まだエミリアさんのように、杖もなしで滑られないわ。」

「ははは!いきなり杖なしに滑られたら、こりゃあたしの立つ瀬がなくなっちまうねぇ。

 でも、丈夫さ。

 今でも十分フレイヤは上手だ。心配しなくても、気が付いたときにはできているよ。」

「本当に?」

「ああ。コウスケも、そう思うだろ?」

「……そう、だな。」

「ったく、歯切れが悪いねぇ。」

「……」


 フレイヤはちらりとコウスケを見る。コウスケは黙々と足を進めており、常にエミリアたちの後ろにいた。けれどそれは決してスキーが不得手だったと言う訳ではなく、常に背後を警戒してのことだった。彼はいつも二人の後ろに注意を配り、彼女たちを守っていた。そして今も周囲を警戒していることを、フレイヤは分かっていた。


「──おじさん。」

「なんだ、フレイヤ。」

「その……今度は、わたしが“しんがり”をするわ。」

「!!」


 その言葉に、コウスケはひどく驚いた。虚を突かれた顔をするコウスケに、彼女はスキー板を器用に動かして歩み寄る。


「だって、わたし、ずっと守ってもらってばかりだもの。思えば、エミリアさんの家にたどり着くまでの10日間、わたしはずっとコウスケさんに守られていたわ。

 ──わたしも、命を狙われているのに……」

「!!いや、それは──!」

「エミリアさんが言ったの。『戦い続けていたら、疲れてしまう』って。」


コウスケは否定しようとするが、その言葉を遮ってフレイヤはつづけた。


「だから、きっとコウスケさんはひどく疲れているわ。それなのに、ずっと一人大変なことを任せているのは、気が引けるもの。

 わたし、たしかに戦うことはできないけれど、見張りくらいはできると思うわ。

 だから──」

「いや、俺は大丈夫だ。……君は、気にしなくていい。」

「そういう訳には……」

「それに──」


コウスケは少女の優しさをひしひしと感じながら、彼女のエメラルドの瞳から目を逸らす。


「俺は──こう、しなければいけないんだ……」

「?それは、どういう──」


フレイヤがコウスケの言葉の真意を確かめようとした、その時だった。


「二人とも、伏せろ!!」


 エミリアの声が空気を割った。

そして同時に、フレイヤとコウスケは頭上を覆う敵意を感じとった。


「これは──木の、枝!?」

「フレイヤ!!」


コウスケはフレイヤの腕を引っ張り、強引にその場に伏せさせる。


「エミリア!」

「分かっている!」


 エミリアのつがえた弓に、光が集う。

 眩いばかりの白い魔力。

 それが彼女の弓の中で形を成し、一本の矢を形成した。


「ソウル・ブレイク!」


コウスケ達の頭上に迫る敵意に、その矢は放たれた。流星のごとき速さでそれはその“枝葉の群れ”を貫き、飛散させる。


「す、すごい。空を覆うほどたくさんあった枝が、一撃で……」

「今のがエミリアのソウル・ブレイクだ。俺のものよりはるかに威力が高い。」


 コウスケはそういって立ち上がり、フレイヤに右手を差し出す。


「立てるか?」

「え、ええ。大丈夫よ。」


その手を取った時、彼女はコウスケが腰から下げている黒い銃に目が留まった。

この片手で扱う武器もまた、今のようにあの枝葉の群れを打ち抜いていた。

 それを思うと、少しだけ、その伸ばした手が強張った。


「……ね、ねえ。今の枝って、確か【イヴィング】でも見た魔法だわ。ということは──」

「ああ。ヴァルキリーズが、すぐそこまで迫っている。」

「コウスケ。今のソウル・マジックは……」


 二人に駆け寄るエミリアが、枝の飛んできた方向を睨みながら尋ねる。


「ああ。あの枝はスキールニルの『使者の呪い』の1つ・・だ。」

「やっぱり、あのフラーテルの腹心か!」

「ああ。あれはあいつが得意な『植物魔法』と『ソウル・マジック』との複合技だ。魂に呪いをかけて意のままにその生命体を操る精神支配の魔法。そいつを樹木・・に使ったんだろう。木に魂があるのかどうか俺は少々疑問だが……それでもあいつのソウル・マジックの対象は、樹木を含む全生命体に効果がある。

 そして、奴の魔素量はフラーテルの部隊ではフラーテルに次ぐ量を持っている。」

「ってことは、すぐに。コウスケ!」

「なんだ。」

「今度はあたしが殿しんがりを務める。あんたはフレイヤを連れて先に行ってくれ。」

「……大丈夫なのか?あれはソウル・マジックだぞ。それに、あいつがいると言うことは、フラーテルもいるはずだ。だったら俺が殿を──」

「いいや。それはだめだ。」


心配そうな顔をするコウスケに、エミリアはぴしゃりと言う。


「こいつはきっと罠だ。

 たしかにあの魔法はソウル・マジックだが、幸いにもソウル・ブレイクで打ち破ることができるものだ。

 だが逆に言えば、ソウル・ブレイクを使うしかない。」

「……」

「あんたは4回しかソウル・ブレイクを使えないんだ。ここで使い切ったら相手の思うつぼだぞ?それくらい、分かっているんだろ?」


 コウスケはフレイヤを一瞥する。


「……わかった。後ろは任せる。

 けれど、応戦は最低限にしてくれ。」

「ああ。

 ──それじゃあ、フレイヤ。コウスケと一緒に先に行きな。」

「……大丈夫、なの?」


エミリアは不安げなフレイヤの頭をなでると、白い歯をのぞかせて笑って見せた。


「大丈夫さ。あたしの戦場でのあだ名ケニングは『光の弓ウル』。弓とスキーの神の名だよ?神の使者スキールニルなんかに負けるものかい。

 それにすぐ後ろにいるから、離れ離れ、なんてことはないよ。

 だから心配するよりも、あたしの雄姿を目に焼き付けておいておくれ。」

「……わかったわ。」


フレイヤは頷くと、コウスケの隣に立つ。


「じゃあ、また後で!」

「ああ。

 ……そっちは任せたぞ、コウスケ。」

「分かった。」



 二人が森の奥へと滑り去っていくのを見送ってから、エミリアは枝が飛んできた山に向かってニヤリと笑う。


「それじゃあ、いいとこ見せるとしようか!」

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