016 優しい手(後編)

 立ち上がったエミリアは、コウスケに向かって言う。


「テッラ王国に入国するために手伝えと、さっき言っていたな。それは、だろう?」

「──!おまえ──」

「……」


エミリアの無言の眼差しに、コウスケは押し殺すように答えた。


「……ああ……そうだ……」

「なら、確かにテッラ王国を経由するしかない。いまアクア連邦はこの国との戦争が終結したばかりで、未だ極度の緊張状態にある。元騎士であるお前がカエルム帝国からアクア連邦の【イースラント】に入国するのはまず無理だからな。」

「ああ……」

「だが、テッラ王国を抜けるのも一筋縄ではいかない。あっちにはあっちで化け物じみた奴らがうようよしている。彼らの目を盗むのはお前には無理だ。」


エミリアはコウスケの目を見て言った。


「だったら、一番手っ取り早い方法がある。あたしを、仲間にいれな。」

「──」


 コウスケはその言葉を聞いて、眉間に皺を寄せた。ただ、それは不快だとか、嫌だとか、怒っているとか、そういう感情ではなかった。少なくともフレイヤには、自身を責め立てる後悔の念に見えていた。

 コウスケは少し震える声で、小さくエミリアに言った。


、お前は──」

「……」

「……だが、そんなことをすれば、お尋ね者になるんだぞ……」


 エミリアはコウスケの言葉を、しっしっと手で払いのける。


「水臭いねえ。あんたとあたしの仲だろ?それに、あたしは最近のカエルム帝国にはうんざりしていたんだ。だいたい、協力したことがばれたらその時点で斬首だ。どーせ協力するなら最後まで、だよ。」

「いや、だが──」

「おいおい。歳はあんたの方が上でも、あたしの方が戦場経験長いんだぞ?あたしは腕もたつし、アクア連邦にもテッラ王国にも顔が利く。いて損はないだろう?」

「いやしかし!」

「あー、どうしよっかな~。やっぱカエルム帝国に密告すっかな~。懸賞金がっぽがっぽだしぃい。それでもいいなら、あたしを置いていけ。」

「おまっ……ううむ……」


うなるコウスケに、エミリアは笑う。


「あはは、やっぱあんたは不器用だよ。」

「……」

「まあ、それにさ──」


 エミリアは淡く揺らぐ視線を、三つの皿が並ぶテーブルに落とす。そして金の腕輪を回しながら、小さく言った。


「──あたしもようやく、決心・・がついたんだよ。」

「エミリア……」


 寂しげに微笑む彼女を見て、男の顔は哀しく歪んだ。そしてそれが、彼に言葉を押し出させた。


「……わかった。」

「ああ……。ありがとう。」


 エミリアはただそれだけを言うと、再びフレイヤの方を向いた。


「それじゃあ、フレイヤ。改めて、よろしくね。」

「え……いいの?なんだかよくわからないけれど、私達と一緒に来るのは……きっと、あなたにとって良くないと思うわ。」

「あはは。すごいな、あんたは。コウスケ、聞いたかい?こんなご時世、こんな状況なのに、他人を気遣える心をこの子は持っているんだ。」


彼女はそういってしゃがみ、フレイヤと同じ視線で向かい合う。


「ああ。大丈夫だ。あたしは強いからね。そりゃあ、コウスケを何度もぶっ倒した……はっ倒したの間違いか?いや、同じか?まあ、そんなこともあるくらいにね。」

「でも……」

「……いいのさ。あたしも、もう目的のない人生に飽きてきたところだったんだ。だから──」


エミリアはフレイヤに手を差し伸べた。


「──この手を、取ってくれるかい?」

「……」


 フレイヤはチラリとコウスケを見たが、コウスケは何も言わなかった。

 フレイヤは初めから何も知らなかったとはいえ、より一層すべてが分からなくなった。コウスケのことも、目の前の女性も、どういう人で、なのか分からなかった。


 ただ何も分からない彼女が唯一分かったのは、その差し出された手が、人生で初めての『握手』であったということだった。


「……うん。」


 彼女は、その手を握った。

 豆のある荒れた手は彼女の肌をくすぐったが、その手は言いようもないほどに、やっぱりあたたかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る