007 逃走


 その弾丸は、青年に届かなかった。突如二人の間に投げ込まれた巨大な盾が、弾丸を防いだのだ。

 コウスケの表情は、その盾に刻まれた紋章を見るなり一変した。


「逃げるぞ!」

「え?」


戸惑うフレイヤを軽々と抱きかかえ、彼は青年たちに背を向ける。


「魔眼起動──」

「ちょ、ちょっと、おじさん!?」

「──”加速せよアケラレティオ”」


 その言葉じゅもんが聞こえた瞬間、フレイヤの視界は流動した。景色は崩れ、ありとあらゆるものが形を失って光の筋となった。フレイヤが虹の中を走っているのではないかと思うほどに、男の山を駆けあがる速度は常軌を逸していたのである。


「おじさ──っ!?」


 フレイヤは口を開けることも出来ない事実に驚き、小さな恐怖を抱いた。

 口を開けた瞬間に、息が詰まる。氷のように冷たい空気が鞭のように頬を叩き、落雷の如き爆音に意識を失いかけた。

 何が起きているのかは分からない。けれど、そんな中で自分は何もすることができない──その状況に、彼女は不安を覚えたのだ。

 だから耳を支配する轟音が少し治まり、頬を叩く風の強さが弱まった時、彼女は目を見開いて力の限り叫んだ。

 

「お、おじさん!まってまって!」

「すまない。悪いが説明は後だ。今は逃げなくてはならない。」

「まって!何がおきているの!?そして、今はどこにいるの──って、ええええええ!?」


 状況を見極めようと男の腕の中から外界を見渡して、少女は驚愕の声を上げた。

 それもそのはず。わずか1,2分前には街の外れにいたはずなのに、今彼女たちがいるのは山頂だったのだ。一息の間に、男はなんと山一つを越えようとしていたのである。


「お、おじさん……!」


 フレイヤは眼下に自らの家を捉えて、慌てて声を発した。

 だが彼女の言葉に、コウスケは立ち止まらない。尾根伝いという不安定な足場にもかかわらず、彼の歩みは止まるどころか、どんどん速くなっていく。

 フレイヤは彼の真剣な表情に、そしてその何かの紋様が浮かび上がっている左目を見て一瞬身をすくめた。──が、彼女は冷たい空気を肺一杯に吸い込み、勇気を振り絞った。


「おじさん、どうして逃げているの?こんなにも遠くまで逃げなくても大丈夫じゃないかしら。ほら、もう街も家もあんなに小さくなってしまったわ。」


苦笑するフレイヤの指さす方角を見て、コウスケは顔をしかめた。


「いいや。問題はあんなチンピラどもじゃない。今俺達を追ってきているのは──!

 フレイヤ!少し、投げるぞ!!」

「え?」





ーーー「ソウル・マジック──」ーーー




 その浮遊感に、少女は声を上げなかった。

 目にしたものに呼吸を奪われ、心臓が凍てついてしまったからだ。

 それは突如宙に投げ出されて見えた、灰色の空にではない。

 天から見下ろす山並みにではない。


 それは、“矢“であった。

 しかも普通の矢ではない。


 枝だ。


 森に茂る、針葉樹の枝。

 その鋭い枝葉が鳥のように群れを成し、矢の如き速さでコウスケを貫かんと迫っていたのである。


「おじさん!!」


 彼女が叫んだその瞬間には、“矢“は男を掠めて飛び去っていた。

 あと拳ひとつ前に出ていたら蜂の巣という寸出のところで、男は尾根を蹴りこれを躱したのである。


 だが──


「そんな──」


 “矢“の群れは、一つでは無かった。

 続けざまにやってきた第二群は第一群のそれより更に太く更に鋭い、もはや空を貫く“槍“だった。


 逃げ場などありはしない、視界を覆う凶器の群れ。

 

 その様に少女は絶望し、瞼をきつく閉じた。


 だがしかし、彼の目は向かい来る“脅威”をはっきりと捉えていた。

 左目の紋様が赤く輝き、火の粉のように淡く儚い光が彼の周りに現れる。光は燃え上がる炎のようにリボルバーの中へと凝縮され、瞬きの間に真っ赤な弾丸を創り出した。

 そして彼の肌に枝先が触れるその瞬間、“矢”の群れの中心に向かって、彼は引き金を引いた。


「ソウル・ブレイク!」


 空気を割る爆音。

 はじけ飛ぶ枝の群れ。

 黒こげになった木の葉を浴びながら、彼はフレイヤの落下地点へと滑り込む。そして難なく彼女を受け止め、再び走り出した。


「な、何!?今の!?」

「魔法だ。」


 何事もなかったかのように走りながら、コウスケは静かに答える。


「あの街の中央に教会があっただろ?あの鐘突き塔の下から俺達を狙っていた。」

「ええ!?あんな遠いところから!?もう山一つ二つの距離があるわ!?一体、何の魔法なの!?そ、それにおじさんがさっき使っていたあれも、何なの!?

 う、ううん。それよりも一体、何が起きているの!?」

「説明は後だ。今は逃げるしかない。奴らはこの世界最強の戦士たち。それが、今俺達を追ってきている“敵”だ。」

「……敵?」


 フレイヤは眉を顰め、コウスケの顔を見る。


「奴らの名は──」


 彼は目を細め、うなるように言葉を漏らした。


「『ヴァルキリーズ』だ。」





「仕留め損ないました。」


 白髪交じりの男が、背後にいる自分より若い男に報告する。

 彼等のすぐそばには枝の無くなった大樹が悶えるように蠢き、幹の割れる痛烈な音を響かせていた。しかしその異常な光景を意にも介さず、若い男は白髪の男に穏やかな微笑みを見せていた。


「いえ、上出来です。

 何しろ相手はあの隻眼オクルス。『フェンサリルの悪魔』と呼ばれた最強の人物です。我らカエルム帝国騎士団『ヴァルキリーズ』の中でも、あれほどのはそういません。批判するよりも“彼に『ソウル・ブレイク』を使わせた”という点を評価すべきでしょう。なにせ、『ソウル・ブレイク』は莫大な魔力を消費しますからね。」


 その男の顔立ちは、その場に立つ者の中で最も若い。艶やかな肌に、左右の整った顔立ち。碧の眼はどこまでも透き通り、鮮やかなブロンドの髪が風に揺れる、見目麗しい青年であった。

 その青年に、白髪交じりの男は恭しく頭を下げる。


「はっ。ありがとうございます。」


 青年はその言葉に再び微笑むと、話をつづける。


「確かにオクルスは強いですが、僕たちのようには魔法が使えません。

 彼は体内に『魔素』がないため、魔法の力の源である『魔力』を生成できない。

 彼の魔力は全て左目の義眼──魔素蓄積装置である『ミーミルの魔眼』に頼っている。

 故に、使える魔法には限度がある。

 では……」


一呼吸おいてから、青年は尋ねた。


「今、彼は身体強化の魔法を使っています。あなたの見立てでは、その状況で彼は後どれくらい『ソウル・ブレイク』を使えると思いますか?」

「はい。おそらく”今宵”は使えて2回かと。」

「なるほど。……であれば、夜が明ける前に片を付けたいですね。」


 彼は曇天の向こうにある太陽を一瞥し、周囲に集う自分より年上の部下たちに命令を下す。


「第3隊は青年たちの救護、第2隊はあの少女の家──ニョルズの家の家宅捜索を。そして、第1隊の皆さんはオクルスを追ってください。」

「はっ!」


指令を受けた彼等は一斉に頭を下げ、瞬時にその場から消え去った。


「よし。では、スキールニル。」

「なんでしょう。フラーテル隊長。」

「あなたは『ソウル・ブレイク』、あとどれくらい使えますか?」

「──何度でも・・・・。」


 一切表情を変えずに言い切ったその言葉を聞いて、フラーテルの口元に笑みが浮かぶ。


「それは良かった。やっぱり、強い。」

「……」

「であれば、『ソウル・マジック』もまだまだ使えますね。

 では、ここら一帯の指揮を任せます。

 必要であればソウル・マジック『使者の呪い』を使用して構いません。

 この街の住人には“彼女”の存在を口外しないよう伝えてありましたが、今回の件で騒ぎを起こさないとも限りませんので。」

「……承知しました。では、ご武運を。」


 長の真意を悟った白髪の男は、音もなくその場から姿を消した。

 男の気配が消えたのを確認してから、青年は隣に横たわる樹を見下ろした。街の中心にあった大樹は既にその形を残しておらず、無惨にも風化して塵となっていた。

 青年はその塵をつまみ、手の中で遊ばせて静かな笑みを浮かべた。


「スキールニルは『ヴァルキリーズ魔法学園』を首席で卒業した天才。その彼の魔法を、一撃で破壊するんですね。

 ふふ……やはり──」


彼は灰を風に乗せると、山に向かってつぶやいた。


「さあて。僕がたどり着くまで、死なないでくださいね。。」





「ここは……?」

「……隠れ家、だ。」


 コウスケとフレイヤは、人一人がやっと通れそうな小さな洞窟の入り口に立っていた。


「隠れ家?それ、どういう──」

「説明は後だ。今は一刻も早く逃げなければならない。あいつらの狙いは俺達だ。捕まったら──」


フレイヤの不安げな顔を見て、コウスケはその先を言うのを止めた。


「……とにかく、中に入るぞ。」


 彼はそういい、腰に下げた黒い筒を取り出す。それは先ほどの枝を飛散させ、青年たちを次々と倒し、あの狼を殺した武器だった。

 フレイヤはその黒光りする筒を一歩引いて見つめる。


「それは……?」

「これは、『銃』というものだ。」

「じゅう?」

「ああ……“よくないもの”だ。決して、触ろうとは思わない方がいい。」


彼はそれに”何か”を詰めて前に突き出し、左手でフレイヤの手を握った。


「気を付けろ。──。」



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