008 洞窟に潜む影

 隠れ家と言うのだからきっと小さな洞穴なのだろうと、フレイヤは想像した。

 だから予想を越えたその光景に、彼女は恐怖を忘れて息を飲んだ。


「わぁ──」


 その洞窟はおとぎの世界にあるような巨大な秘境であった。

 見上げるような大樹の如き鍾乳柱。星の如く自ら光を放つ金剛石。それらが地底へと続く石段の傍に連なり、さながら巨人が住む宮殿のように、彼女の前に露われた。


「綺麗……。この山に、こんな不思議な場所があったなんて──」

「フレイヤ、すまないが……」

「あ、ああ、ごめんなさい。どんなところなのかと思ったのだけれど、想像以上に綺麗で、つい、見惚れてしまったわ。」


 フレイヤは慌てて首を横に振り、足を進めた。


 彼女にはまだ実感がなかった。


 確かにパーニスに襲われていたことは恐ろしかったし、その後に起きた出来事もただならぬことだということは分かっていた。

 けれど“敵”という存在が、どのようなものなのか分からなかった。災難とも痛みとも違う漠然としたものを、彼女はうまく理解できなかった。

 故に洞窟の奥深くへ踏み込んでいくほどに、フレイヤの意識は眼前の神秘に奪われていった。


「あら?風が吹いているわ。」


 暫く歩くと、洞窟の奥から幽かな風が吹いていることに少女は気づいた。彼女は左手を金剛石の光が届かない闇へとかざし、その風の出どころを感じ取ろうと前に出る。


「もしかして、この向こうに入り口とは違う出口があるの?」

「……ああ。」

「……こっち、かしら……?」

「フレイヤ、危ない!!」


 突然の叫び声。そしてそれと同時に、金属と金属がぶつかり合う音が洞窟の中に響く。


「な、何!?」


 驚いたフレイヤは、自分をかばう様に飛び出してきたコウスケの前方を見やる。そこにあるのはどこまでも広がる漆黒の闇。そして、さっきまでは無かった小さなナイフが、地面に突き刺さっていた。


「──まったく、つくづく勘のいい男だな。」


 光の届かない暗闇の奥から、黒く毒々しい女の声が響く。


「だが、未だに状況を理解できない小娘なんぞと一緒にいて、何分もつかな?」

「だ、誰かいるの!?」

「フレイヤ、じっとしていろ。」


 コウスケは左手にナイフを、右手に銃を構えて暗闇を睨みつけた。殺気で張りつめた闇は深く、そこに潜む者の姿かたちを認識することはできない。しかしその張りつめた気配の僅かな揺らぎを、コウスケは見逃さなかった。


(来る!!)


 

 息を吸う間もなかった。コウスケが闇の中の幽かな揺らぎを感じ取ってから、ものの1秒と経たぬうちに、闇から数本の刃が飛び出してきたのだ。


「ふん!」


 コウスケは鮮やかにナイフを回し、そのすべてを弾き返す。さらに闇に潜む”敵”の気配の中心へと、間髪入れずに引き金を引いた。

 が──。

 確かに誰かが倒れる音が聞こえたというのに、その声は不敵に洞窟に響いた。


「その“銃“とかいうも、10年も見ていれば見切れるようになる。魔法ではない鉛の弾……だったか?ふん。そのような石つぶて、この私には通用しないぞ?

 たとえ貴様の武器が音速を超えようとも、私の暗器はそれより早く、貴様の心臓を仕留めるのだから。」


女の声が、洞窟の四方から耳に響く。


「我らはカエルム帝国騎士団『ヴァルキリーズ』。この国の頂点に位置する戦闘能力を持つ者たちだ。そして──」

「!」


コウスケの右眼に、刃が迫る。


「くっ!!」


コウスケは体を翻し、刃を寸でのところで交わした。


「──私はその暗殺部隊隊長、ウィオレンティアだ。貴様のような騎士名称アーリアスを与えられているにもかかわらず隊長に成れなかった負け犬が、どうしてこの私に勝てると思っている!」

「!」


声がした方向とは逆の向きに、コウスケは発砲する。それと同時に、誰かの断末魔が小さく洞窟に響いた。


「お前のやり方はよく知っている。ウィオレンティア。」


コウスケは銃を構え直し、敵の気配を探る。


「お前は自分で得物を追い詰めることはしない。部下を使い捨ての駒のように特攻させ、弱った相手を刈り取るただのハイエナだ。」

「──ふん。負け犬は良く吠えるな。

 結果がすべてを物語るのだ。どんな手段を使おうとも、私は相手を殺してきた。

 私は生き残り、敵は死んだ。

 それが全てだ。」

「……」

「そして私は言ったはずだぞ。お前の技は見切っていると。

 故に貴様の武器など、恐れるに足らん。だから──」


その言葉と同時に、フレイヤの背後の闇が、勢いよく両腕を広げた。


「──いつでも、殺れる。」

「伏せろフレイヤ!!」


 全ては一瞬だった。

 闇の中から一振りの太刀が現れるのも、無機質に輝く冷酷な刃がフレイヤの首めがけて振り下ろされるのも、そしてコウスケの拳銃が火を噴くのも、全てが瞬きの間に起きた事だった。


「くだらん。」


 闇は刃の向きを瞬時に変え、電光石火のごとき速さで鉛の弾丸を斬り裂く。


「遅い。」


 闇はそのままフレイヤを飛び越え、コウスケに向かって突進した。

 その動きは目で追えず、また暗闇に紛れてその人物は全く見ることが出来ない。故にその様子は、まるで白い刃がひとりでにコウスケの首に吸い寄せられているかのようだった。


「死ね──」


 事をなす直前。闇の暗殺者ウィオレンティアは予想もしなかった事態に見舞われた。コウスケが洞窟の壁に向かって発砲したのだ。そしてその銃声が鳴りやむ前に、ウィオレンティアは全身を走る激痛に悶えることになった。


「ガッ!?」


 洞窟に響き渡る爆音と爆風に押され、暗殺者は訳も分からず洞窟の端へと吹き飛ばされた。


「逃げるぞ、フレイヤ!」


 コウスケは瞬時にフレイヤに駆け寄り、その手を取って洞窟の奥へと駆けだした。


「おのれ!者ども追え!この際あの小娘諸共殺して構わん!!」

「いや、お前たちには無理だ。」


 コウスケの低い声が、静かにウィオレンティアの怒号を塗りつぶす。

 彼はそれぞれ違う暗闇に向かって発砲した。そしてそれに続くように、誰かのうめき声が静かに闇に消えていった。


「っく!殺せ──ギャ」


 誰かが声を上げた瞬間、その者の断末魔が響く。

 足音1つすれば、彼の銃口が火を噴いた。風のように俊敏に、流れるように滑らかに、その右手は得物を捕らえ、仕留めていった。そして放たれる弾丸はたった一発。暗闇の中に潜む敵を穿つその正確さは、まさしく暗殺者そのものだった。

 

「弾切れか。」


 彼は走りながら片手でリボルバーの留め具を外し、腰にひっさげた別のリボルバーに叩きつける。空になったリボルバーははじけ、予め鉛の・・弾が込められたリボルバーが銃へと装填された。

 彼はこれを繰り返し、ただの1人も行く手に立ちふさがらせることなく、その洞窟の最奥──もう一つの出口へとたどり着いた。

 

「──」


 フレイヤはただ彼に導かれるまま、走るしかなかった。何が起きているのか分からなかったし、何故自分がこのような目に遭っているのかも分からなかった。

 ただ分かったのは、もし脚を止めてしまったら、先ほどの影が自分に刃を突き付けてくるということだった。

 それが今自分が置かれている状況だと、はっきりと実感した。

 だから彼女は必死で走った。コウスケの歩みは山を駆けあがった速度に比べれば明らかに遅かったが、彼女にとってそれは尋常ではないほど早く、何度もこけそうになった。それでも彼女は脚を動かした。迫りくる死から逃れるために。





 そこにあったのは、布を張り合わせて作られた“大きな三角形”だった。まるで翼を広げた鳥のような形をしたそれに、フレイヤは見覚えがなかった。


「これは……?」

「グライダー“もどき”だ。」

「グライ……??」


 首を傾げるフレイヤをよそに、コウスケは背後の壁に向かって一度発砲する。すると弾の当たった箇所が大きな音を立てて崩れ落ち、その出入り口を瓦礫でふさいだ。


「おい、なんだこれは!?」

「さっさと瓦礫をどかせ!!」

「爆撃魔法の使える奴はいるか!」


 瓦礫の奥から聞こえる声に、フレイヤは身を竦める。


「ど、どうするの!?」

「こいつで逃げる。」


 コウスケは銃を腰のホルスターにしまい、グライダーの後ろの棚に手を伸ばす。彼は棚から縄をひっつかみ、同じく棚に置かれていた水晶球に手をかざす。そして彼は何かを確かめた後、フレイヤに向かって言った。



「フレイヤ、高いところは平気か?」


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