3−2

 親密度は小さな上下を繰り返しながらも着実に上がっていく。初めは慣れない同棲でぶつかることも多かった二人だが、譲歩と折衷、そして理解を繰り返しながら徐々に関係を深め合っていった。

 遠い頂に見えていた80%という数字も現実のものに思えてきた。親密度がここに達した時、初めてお互いの真の個人情報が開示される。ネットのレビューを見る限り、ここで破談となる確率は地球に大型の隕石が衝突するよりも少ないらしい。全くの0でないことに不安は拭いきれないが、それよりも期待の方が遙かに大きくなっている。

 親密度76%。実際に同居するとなったらそれまでの部屋では手狭で、やはり引っ越しが必要となる。部屋探しを始める。

 親密度77%。職場でそれとなく結婚を匂わせる。扶養手続きの段取りなどを調べる。

 親密度78%。両親への紹介の日取りを考える。相手のご両親への挨拶のことも考え、スーツを新調する。

 親密度79%。彼女からメッセージが送られてくる。ログ上に出てくるそれではなく、俺自身に宛てた、現実のダイレクト・メッセージである。そこにはこう書かれていた。

〈一度、直接お会いしたいのですが〉


 待ち合わせは仮想上での初デートと同じ新宿御苑。現実の彼女を見るのはこれが初めてだったが、入場ゲートの前に現れたその女性を一目見ただけで彼女だとわかった。ログに記された特徴が、ことごとく的確に合致していたのだ。

 俺は驚きのあまり呆けたように彼女を見つめてしまった。それは彼女の方でも同じだったようで、しばしのあいだ小さな口を丸く開けていた。

「思ってた通りの人ですね」

 やがて発せられた彼女の言葉に、俺は強く同意した。

 チケットを買い、園内に入った。歩きながら、互いについて話し合う。といっても既に知っていることばかりだ。知らなかったのは顔と本名だけ。アバター間でやり取りされた情報に嘘はない。

 初めのうちは、会話はギクシャクしたものだった。だが、それも物理的な初対面に対する緊張ゆえのこと。ログの中から抜け出てきたような相手に旧知の仲であるような安心感があるため、歯車は程なくして噛み合い始める。どこに球を放れば打ち返してもらえるか、手に取るようにわかる。緊張は日なたに置いた氷のように溶けてなくなる。

 やはり彼女は、俺にとって最良の相手だ。膨大な情報の海から彼女を見つけ出してくれたAIには素直に感謝しかない。

 だが、そうだろうか? 彼女は本当に、俺の理想とする相手なのだろうか?

 日本庭園の中で、俺は小さく首を振る。仄かに萌した邪念を払おうとするが、上手くいかない。それは瞬く間に頭の中へ広がっていく。

 自分は彼女のことを好きだと思おうとしているのではないか?

 自分はただ選ばされているだけなのではないか?

 自分は本当に、自分の気持ちを持っているのか?

 向かいから小さな子供が駆けてきた。男の子だ。ぼんやり眺めていると、彼は何かに躓いて転んだ。一瞬、何が起きたかわからないような表情を浮かべた後、顔を歪めて大きな声で泣き出した。俺はふと、救急車のサイレンは赤ん坊の泣く声と同じ周波数だという話を思い出した。それから、ログでも同じような場面があったことを。

 隣に立つ彼女が近づいていき、男の子を助け起こす。「大丈夫?」と土を払いながら訊いてやる——それは幻視だった。泣きわめく男の子を起こしたのは母親と思しき人物で、俺の隣には女性が立ったままだった。

「助けに行くと思いましたか?」彼女は前を向いたまま言った。

 俺は否定も肯定もしなかった。それは肯定と同じ意味だった。

「そうですね。あなたの知っている〈わたし〉なら、助けに行ったでしょうね」

 聞こえてくる彼女の言葉は耳の中を通り抜けるだけで、一切の意味も拾うことができなかった。ただ何かが聞こえたという実感だけが俺の中に残る。そんな言葉だった。

「そろそろ本題に入りましょう」

 何も言えずにいる俺を置いて、彼女は歩き出した。

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