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 街で同年代の女性とすれ違うと一瞬、彼女なのではないかと思う。つい後ろ姿を目で追ってから、いかんいかんと首を振る。こんなことをもう何遍も繰り返している。

 ログの中で、しかも文字という形でしか見たことのない〈彼女〉を俺は探すようになっていた。能動的に逢いたいというのとは少し違う。ただ、その存在をこの眼で確かめたいのだ。彼女は確かにこの世に存在するという確証を得たいのだ。

 登録の際に社会保障番号を入力する以上、相手が架空である可能性はほとんど考えられない。アプリに存在するアバターは全て実在の人間を元に作られた正式な仮想人格であると保証されている(だからこそ、親密度が一定値に達しないうちはアバターの外見が伏せられている)。それに、ユーザが途中で望めばいつでも交際を打ち切ることができる。お互い、個人の特定に繋がる情報までは持っていないから恨みを買う恐れもない。この権利が行使されず、未だ交際が続いているということは、相手も俺を、少なくとも嫌ってはいないというわけだから安心して構えていても良いのだろう。

 だが——いや、だからこそ逢いたい。ガラスの箱に入ったバナナを見せられ、箱を引っ掻くしかないサルになった気分だ。サルと違うのは、どんなに引っ掻いてもそれが手に入らないと早々に諦められる点だ。

 この〈恋愛〉に於いて自分にできることはただ一つ。親密度を結婚ラインである80%まで到達させることである。

 幸い、というべきか、俺はその術を知っている。俺が変わればあちらの俺も変わる。ガラスの向こうで消えかかる火を前にしても、為す術なく立ち尽くすのではなく、それが消えぬよう薪をくべることができるのだ。

 だから俺は自分を磨くことに専念する。身なりを整え、家事もする。乱れていた生活習慣を改める。仕事に全振りしていた時間もきちんと管理し、〈彼女との(将来的には家族との)時間を大事にする男〉となるよう己をプロデュースする。何も知らない会社の同僚たちからは「彼女できた?」と訊かれるようになった。説明が億劫なので「まあそんなものです」と毎回答える。四捨五入すれば彼女ができたようなものなのだからあながち嘘でもない。

 今では暇さえあればログをチェックしている。そして、折れ線グラフの変動に一喜一憂している。グラフが上がれば祝福を受けたように世界が輝いて見え、下がれば自分の存在そのものが否定されたような気持ちになる。それでも気持ちを立て直し、ジムへ行って体を鍛える、自分でも仮想愛犬を飼ってみるなど、アバターにとってプラスの材料となるような行動をとる。それでグラフが上昇すれば達成感を覚え、ダメならばすぐに次の対策を考える。

 そうしてアプリに費やす時間と脳のリソースは並大抵のものではない。むしろ、人生の中心に据えているといっても過言ではない。

 だが、おかしなことは何もない。これは人生なのだ。ただマッチングアプリに——AIに途中経過を代行されているということ以外は、俺の人生の一場面であることに変わりはないのだ。俺は俺の人生を生きているし、これもその生き方の一つなのだ。

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