2−4

 交際を始めた二人はそれまで以上に密に連絡を取る。毎週のように逢う。そしてある晩、横浜の山下公園で、周りに誰もいないことを確認してから唇を重ねた。親密度17%。

 その後は折れ線が微増と微減を繰り返しながら進んでいく。ログを見てもめぼしいイベントはない。俺の価値観に基づいて行動が為され、それと彼女側のデータを照応させ、結果として出力されているようだった。やはり先の実験は正しかったらしい。

 それにしても、ログを繰る手が止まらない。大したイベントがないにも関わらず。いや、大したイベントがないからこそ、読むのをやめられないのかもしれない。

 正直に言おう。俺は次にやってくるであろうイベントを探していた。唇を重ねた次に控えているであろうイベントを。アルファベットは次の文字へ進まねばならない。世の中はそういう風にできているのだ。

 グラフをスクロールし、手っ取り早く折れ線の山が高くなっている箇所の〈麓〉に当たる部分をクリックする。数ヶ月分を飛ばしたログが表示される。

 時はクリスマス。二人は一緒に過ごそうと兼ねてから予定しているが、前日になって俺の方に急な仕事が入ってしまう(現実でも充分あり得る)。彼女はこれに激怒。折れ線が半分まで割り込んだ。

 俺は必死に仕事を片付けた。それこそ、トイレに行く間も惜しんで手を動かした。前に見た時に暗かった窓の外をふと見ると、日が暮れようとしていた。24日の夕方。彼女には何度もメッセージを送っているが返事はない。怒っているのだろう。俺は更に仕事に打ち込む。

 全て片付けた時、十時を回っていた。俺は急いで会社を出て、彼女の家へ向かう。小雪がちらつき始める(ここで大昔に新幹線のCMで使われたクリスマスソングが流れ出すが、それはあくまで俺の脳内だけでの話だ)。彼女の家に着き、インターホンを鳴らす。彼女は出てこない。ドアの前で何度も謝る。彼女は出てこない。雪は大きくなり、勢いを増していく。白いため息。ダメ元で最後に一度インターホンを鳴らし、応答がないので踵を返す。背中で鍵の外れる音がする。小さく開いた扉。その隙間から橙色の暖かな光が漏れる。カーディガンを羽織った彼女が立っている。その目は真っ赤に腫れている——

 あまりに個人的なことなのでその後の詳細について記すことは控える。ただ、親密度が32%まで激増したとだけ伝えておく。行為そのものにイベントとしてそれだけの熱量があったのか、俺が彼女と会うために起こした行動がそれほどの増加を実現したのかは定かではない。俺は後者であってほしいと願っているが。

 何にせよ、このクリスマスで二人の距離は一気に縮まった。互いの家を行き来する機会が増え、やがてどちらからともなく同棲という流れになった。その後、細々した増減を繰り返しつつ着実に愛を育み、親密度68%。今に至るというわけである。


 ログを読み終える。画面から意識を離すと、部屋がいやに静かに感じられた。

 一人なのだ、と当たり前のことを今更実感する。俺はこの部屋に一人なのだ。自分では滅多に見ないテレビの音も、台所で野菜を切る音も、じゃれついてくる仮想愛犬の鳴く声も聞こえない。

 つい今し方まで没入していた〈恋愛〉は確かに存在する。ただ、その幸福も面倒もAIが代行しているという話だ。どちらか一つを——幸福だけを引き受けたいと思うのは、俺だけだろうか。いや、こんなアプリに頼っている人間なら、誰しもそんな考えを抱くはずだ。もしかすると、そんなことを考えさせるのが、このアプリの目的なのかもしれない。

 面倒だと避けていたものを、俺は心の底から欲しいと思っていた。

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