2−1
2
砂漠で穴を掘るように、こなしてもこなしても仕事が舞い込む日々が続いた。ようやく一段落ついた時には、うるさく鳴いていた蝉はいなくなり、街路樹の葉は散っていた。
いつ以来だかわからない、丸一日の休日だった。朝起きて溜まった洗濯をし、パンを焼いてコーヒーを淹れた。洗濯物を干して部屋の掃除をすると真人間に戻れたような気がした。その後の予定は何もないので、映画を観に行こうと部屋を出た。
座席は九割方が埋まっていた。選んだのは大作のアクション映画だったが、二人連れの客が多かったように思う。というより、一人で座っているのは俺だけだった。右を見ても左を見ても、後ろを振り返っても前を向いていても、誰もがことごとく誰かと肩を寄せ合ってスクリーンを見ていた。もちろんスクリーンの中でも、主人公がヒロインと熱い口づけを交わしていた。
帰りの地下鉄で、例の個人広告をまた見かけた。恐らくそれまでもずっと表示されていたはずだが、疲れ切っていたかそもそも家に帰ることすらできなかったかでずっと見過ごしていた。何ならこの時までサービスに登録したことを忘れていた。
携帯端末でアプリを起動すると、円グラフが現れた。画面上部に〈ステータス:交際中〉とあり、その下に〈親密度68%〉と出ている。グラフは円の三分の二あたりまでが水色で、残りが薄いグレーになっている。画面を下へスクロールすると、今度は縦横の軸が直角に配された折れ線グラフが現れた。折れ線は縦軸の真ん中を起点とし、上昇と下降を繰り返している。横軸は月日、縦軸は相手との親密度となっているらしい。縦軸の上下それぞれ五分の一あたりのところに破線が横に引かれている。ここに折れ線が達した時、上であれば結婚、下であれば破局となるようだ。
折れ線をタップすると、グラフがより詳細になった。横軸の目盛を〈時間〉にすると、株価のように刻々と変動しているのがわかる。今この瞬間にも、俺のアバターはどこかの誰かと恋愛をしているようだ。
ベルの形をしたマークに赤い点が付いている。タップしてみると、アカウント宛の通知がずらりと表示された。何ヶ月も放置していたとあって、何度もスクロールしなければ一番下まで辿り着けなかった。通知は大半が〈交際ログ〉の更新を知らせるものだった。ベルの隣にある時計のマークをタップすると、こちらもタイムスタンプが縦に並んでいた。試しに最新のものを開いてみる。
2031/10/07 18:01
銀座駅で彼女と合流。予約していたフレンチレストランへ向かう。
丁度、地下鉄が銀座駅に着いた。多くの人が降り、同じかそれ以上の人数が乗ってきた。ドアが閉まり、地下鉄は再び走り出した。次の駅に到着する頃、ログが更新された。
2031/10/07 18:12
レストラン入店。窓辺の席へ案内される。
夜景の見えるレストランで恋人とフランス料理。想像しても、映画や何かから借りてきた一場面しか浮かんでこない。俺自身にはそんなことをした経験が一切なく、よしんば恋人がいたとしてするとも思えない。こいつは本当に俺を元にしたAIなのかと疑ってしまう。あるいは、親密度68%まで達する間にそうしたことをする甲斐性を獲得したということなのだろうか。
2031/10/07 18:28
ワインを飲みながら談笑。和やかな雰囲気。
折れ線がじりじりと上がっていく。
俺が乗った地下鉄は、銀座からどんどん遠ざかっていく。何か、自分の一部分から引き離されていくような感覚を味わいながら、俺は携帯端末を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます