第5話
「色や形、鼻当てはこうがいいとか、お嬢さんの希望があれば是非」
「んん、そうですね。じゃあ、軽いのがいいかも」
「なら、あちらの方に」
広く浅い木箱に少しフォルムの細いものや、何だか他とは質感の違った眼鏡が集められている。
レンズ待ちだったケイさんもそこにいた。
「レンズの方は終わったんですね」
「ええ、あとは型が決まれば」
また、適当に手に取ってみる。
さっき目についた質感の違うやつ、黒縁の四角い眼鏡。フォルムは細くないのに他のと比べて軽い、何の素材でできているんだろう。
「うんー、似合わんないね。黒縁」
そう言われて自分でも鏡を覗いてみるが、確かにそんな気がする。
それからまた幾つか試してみたが、何だかどれもしっくり来ない。もしかして眼鏡の似合わない顔なのか……
妥協してもう少し他のも見てみようかな。
そう思った時。
「これはどうだ?」
ケイさんの手が近づいて、黒漆色のテンプルが白髪の隙間をゆっくりと縫っていく。
金属製で丸縁の眼鏡だった。
フレームは上品な金色で、レンズが入る部分は少し大きめだ。
大きさも相まって重さは妥協点といったところだが、これは……
「似合うじゃないか」
鏡の中とはいえ自分の顔をまじまじと見るのは慣れないものだが、今はしっかり見ることができた。今まで試してきたどの眼鏡よりしっくりくる。
「お?お嬢さん似合ってるじゃない」
他の眼鏡を集めてきたのであろうイドは骨折り損ではあったが、私とこの金縁の眼鏡を見て心から笑顔を見せてくれた。
「ありがとうございます、イドさん。あの……これに決めようと思います」
「うん、気に入ったのが見つかって良かった。では、はい、確かに」
それから数分後、レンズの入ったものを再び掛けた。少し耳当ての部分を調整してから、最後にケースを貰っていよいよ店を去る。
少し、物が小さく見える、イドさんの顔もよく見える、ケイさんの蒼い瞳だって輝きを増したように感じた。
「度が合わなくなったり、壊れてしまったらまたおいで。ケイ君も、また定期検査で」
「はい、今日はありがとうございました」
2人で軽く会釈をして、外へと出て行く。
イドさんも店の外へ出て、私達より十秒は長くお辞儀をして送ってくれた。
その格好では間違いなく凍てつくほど寒いだろうに、なんと礼の成った商売人だろう。
「ケイさん、その、本当にありがとうございます」
「ああ、どういたしまして。誕生日おめでとう」
「ふふ、ありがとうございます」
曇り止めつきのレンズにしてもらったので、街の情景はとても鮮明に見えた。
店内にいる間に、また少し降ったのだろうか。元のT字路を戻っていくような形で歩いていると、煉瓦道には指の幅ほどだが雪が積もっているのが目についた。鮮やかな景色も幾分か白く塗られた筈だが、依然として街は美しかった。
パシャ
少年がひとり。橋の上で三脚のカメラを構えていた。こんなに美しいのだ、街の景色をフィルムにおさめたくなるのも分かる。
カメラの下部手前側から手のひら大ほどの写真が一枚出てくる、少し時間はかかるがフルカラーで現像できるようだ、いいカメラなのだな。
「あっ、こんにちは」
「こんにちは」
軽く挨拶を交わして、記憶の片隅に置こうとしたその時。
「あの、すみません。よければ写真を撮らせてもらえませんか?」
「えっ、私たちのですか?私は構いませんが……」
ケイさんの顔を見上げる。彼は微笑んで首肯をひとつ。
「写真家目指してて、修行っていうか経験積んでるんです。背丈の離れた男女の写真は撮ったことがなくて。えっと、親子ですか?」
「ち、違います……」
やはりそう見られてしまうか。
ケイさんは私より14ほど上だが、特に若い顔という訳でもないので、30後半と言われればそう見えなくもない。それに私の背丈にも問題が……
「えっと、一応関係は上司?です」
疑問符がついたのは、全然そういう風には感じないからだけど、上下関係で言えばそういうことになる。
「上?えっ、あー失礼しました。えへへ」
「ははは、ムスッとするなよ。確かになかなか背は伸びないけど」
「くっ……黙ってください……」
「はいはい。写真、撮るんだろう?笑いなよ」
ケイさんは片膝を着いてしゃがみ、私の肩に右手を置いた。肩が彼の目線が同じぐらいの高さになる。
「ちょっと待ってくださいね……えー…もう少し背筋を伸ばしましょうか……もう少し右に……そうです、はい、大丈夫です。それじゃあ、いきますよ」
先程とは違うような気がするフラッシュで何枚か。乾いたシャッター音が心地よかった。
「ケイさんすごい良い笑顔ですね」
「君はほぼ真顔だけどね」
「あまり慣れていないもので……緊張してしまいました」
「はは、じゃあ強張らなかっただけよしということだね。ん……すまない、電話だ。少しだけ待っていてくれ」
彼は橋の束柱に寄って、手摺に体重をかける。氷点下、栄えた街では不釣り合いとも思える澄んだ色の河を下目に話を始めた。通話機器は耳にかけるタイプの円盤のような形で、ケイさんのは艶消しの効いた灰色をしている。
懐中時計を開くと時刻は午後4時を回ったところだった。
「その時計、素敵ですね」
写真の少年が話しかけてきた、どうやら現像が終わったようだ。
「あのこのカメラ、写真のサイズと形を自由に変えられるんですけど、その時計の蓋、写真入れになってますよね。よければ今の写真、入れてみませんか?」
「えぇ……ここにですか?何というか、小恥ずかしいような」
そういう風には思っていないとはいえ、普通上司との2ショットを私物に挟んだりなんてしないと思うのだけど……なんてことを提案してくるのだろう。
「おふたり共すごく仲良いみたいですし、思い出にどうです?ほら、どうしても嫌なら後で簡単に外せますから」
「ああ……そうですね……じゃあ、そのー、一枚お願い……します」
いかにも渋々といった顔で提案を受け入れる。
でも、本当はちょっと欲しかったなんて口が裂けても言えない……
「できました」
「早いですね、ありがとうございます」
ケイさんが電話をしている間に終わってくれた、ありがたい。
蓋に丸くカットされた写真を挿し入れて、じっと眺める。
装飾や模様のない、シンプルな銀色の懐中時計。特に何でもない時だったが、母からもらった大切なものだ。
かなり丈夫にできていて、そう頻繁には壊れないが、気に入っているので長年の間(といっても8年やそこらだが)壊れても修理して使っている。
改めて見ると、今度は文字盤の角度が少しずれているようだ、後で直しておこう。
写真入れがついているのはもちろん最初から知っていたけど、そもそもあまり写真を撮る機会が無かったし、このサイズに切るなんてことは一度も無かったから写真入れはずっと空っぽのままだった。
しかし、そんな写真入れも9年目にしてやっと役目を与えられたというわけだ。
背景には所々が白く染まった煉瓦の街と絹糸で縫ったような冷たい川、橋の上にしゃがむ笑顔のケイさんと真顔……の私。
この写真、眺めているとやっぱり少しだけ、笑みが溢れてしまうな。
「待たせた」
パチンッッッッッ!!
「……?どうかしたかい?」
しまった……見られるわけにはいくまいと、あり得ないぐらい思いっきり時計の蓋を閉めてしまった。
「いえなんでも!ちょっと手が悴んで。あ、ほら写真の現像できたみたいですよ!」
「本当だ。へぇ、綺麗に映るものだ」
危なかった、なんとか誤魔化せただろうか。
「帰って部屋に飾っておこう。少年、ありがとうね」
「いえ、こちらこそ」
「将来、立派な写真家になったら通りすがりの僕でも鼻が高いね」
「あはは、頑張ります」
街の写真家見習いと2人の研究者。
ひとときの交差の後、お互い橋を反対の方向へと歩いて別れた。2人は元来た駅へ、少年はどこへ向かうのだろうか。
降りた時は丁寧に除雪されていた階段も、また薄く雪が積もっていた。滑らないように気をつけて登っていく、冷たいけど手摺もちゃんと使おう。
売店の一角からはすごい湯気。いつか見た白くて柔らかそうな食べ物、駅でも売っていたみたいだ。
2人でひとつずつ、ホームで列車を待つ間に誰もいない待合室でおやつの時間。曇り止めがついてはいるけど、流石にレンズが曇った。
「美味しいですね……」
「うん、近場にも探せば売っている所はあるけど、やはり中央の方が美味いな」
やがて列車が到着する。馬力の出そうな大きな頭。前斜めへ突き出した吸入口からは、止まった瞬間少しだけ熱を持った空気が逆流して陽炎を生み出す。
「なんだか、あっという間でした。また行きたいですね……」
「そうだな、暇になったらまた来よう。眼鏡の度のこともあるし」
「ふふ、楽しみです」
来た時とは反対側の車窓、まだ知らない景色の移ろい。もう1時間、列車に揺られればその景色の続きは見慣れたものへと変わる。また、論究と考証の日々へと帰っていく。
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