第4話
「準備できたかい?さ、行こうか」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね。コート……」
ロドニーさんとの約束から1年と少し。季節は冬になり、戦火は白銀の帳のうち足元にとどまる。
束の間の休日、いつもなら地下室で、もしくはたまに外に出て共に研究に勤しんでいるところ。
最初うちは条件の言葉通りに理論や実験内容を教えてもらいながら傍でただ研究を観察していただけだが、やがて器具の手入れに始まり今では計算や査読の補助もするようになっていた。
こんな寒い日には部屋に籠って研究していたいものだが、今日ばかりはそうはいかない。
苦節すること丸1年と4ヶ月、やっと港町に灯台砲建設の許可が降りたのだ。今日はその計画書を中央街の役所まで提出しに行く日だった。
「ようやくここまで来ましたね」
「僕はもっとかかると思っていたよ。僕もできる限りのことはやったが、やはりミオの頑張りが大きい。ルフォンスに詰め寄ってる時の君、すごい剣幕だったよ」
「あはは……建設地の選定に関してはルアさんが主導でしたからね……」
もちろん港町での下調べは徹底的にやったし、ロドニーさんが手を回してくれたのか町の人々からも思ったより反発が少なかった。おかげで妥当性も十分にアピールできたが、最後の最後は気迫で押し通してしまった。ルアさんには申し訳ないが。
「あ、準備できましたよ」
「さて、いいかげん出ないとね。役所に行った後、寄るところもあるし」
「……?屋外で実験ですか?」
「……あれ、もしかして……忘れてるのかい?」
「えっ」
忘れてる?なにか他に約束をしたり、予定を聞かされたりしたことはあっただろうか?もしそうであればまずい……
「し、資材調達?」
「違う」
「えっと……講演を聴きに行くとか?」
「はずれ」
「???%#¥$!」
「最後なんて言ったんだい……違うよ」
彼は呆れ顔でベージュのハットを被り直し、何処へ行くのか見当のつかない私を見て言った。
「今日は何の日だい?」
「ええと、今日は……あっ」
そうだ、今日は。
「君の15歳の誕生日だ」
「去年もだったが、まだ自分の誕生日を忘れるような歳じゃないだろう……」
「えへへ……研究のことばかり考えてしまって……」
「研究もいいが、今日はお祝いといこう」
車窓から見慣れない景色の移ろいをその眼に映しながら1時間。
中央街へは行ったことがなかった。
中央街北に位置する、小高い駅から鉄道を降りた。
「……わぁ」
こんなに寒いのに、人がたくさん。
煉瓦造りの商店が多い。夜なら目が眩みそうなほどカラフルな電灯、軽く雪の積もったお洒落な看板も飛び出している。
赤い遊覧船が通る川には装飾の凝った木製の橋が掛かっている。幅の広い橋で、その上には何軒かの屋台が連なっていた。一際すごい湯気が立っている店の下では、白くて柔らかそうなものを頬張る子供達。一体なんだろうあれは。
更に向こうへ視線をやると、かなりぼやけるが駅周辺と比べ随分と背の高い建物も幾つか見えた。
どれも初めて目にする。
とても大きくて
「綺麗な街」
「どうだい初めての中央街は」
「まだ来たばかりですけど、すごく賑やかで素敵な街ですね」
「そうだろう。さ、でもまずはお役所に行かないと。それからゆっくり街をまわるとしようか」
丁寧に除雪された石造りの階段を降り、街へ溶け込んでいく。今にも降りそうな雪雲が空を覆っているというのに、暗さを微塵も感じさせない。人も店も空気でさえも輝いているように見えた。
────────
「お願いします」
「はい、建設計画書ですね。確かに承りました。では、また後日ご連絡致しますね。寒い中ご苦労様でした」
「ありがとうございました」
鮮やかな赤色を放つ煉瓦造りの大きな役所。窓口では端麗な女性が丁寧に対応してくれた。
回転扉をくぐって外気に接すると、一気に冷たい空気が肺へと流れ込んできた。
「さむ……」
「役所の中もかなり暖かかったからね……でも、今年は来れて良かった。一昨年は誕生日を聞いた時にはもうとっくに過ぎていたし、去年は忙しくて僕もミオもそれどころじゃなかったからね」
「去年の今頃、まさに馬車馬でしたね。私は灯台砲試作機の設計が佳境で、ケイさんは新機構の要塞壁の主査代理……えっと、何だったかな。というか名称は決まったんでしたっけ?」
「『アルマヒク』だ。未だに仮称だけど」
「もうじき試験運用開始と聞きましたけど、まだ名前決まってなかったんですね……」
「ああ、名前なんてさっさと決めてしまえばいいのにな」
「主査が復帰して代理を降りてからも皆んなケイさんの優秀さを頼って、つい最近まであちこち駆け回ってましたよね」
「おかげで『霧』の研究はあまり進まなかったがね」
「ええ、息つく間もなかったですね……」
休日にこんな煌びやかな街を歩いていても、癖でつい仕事の話をしてしまう。
何か別の話をしようと数秒慣れない思考に手こずっていたが、思ったよりもすぐに単純な質問が思い浮かんだ。
「ケイさん。そういえば、何処に向かうんですか?」
「ここから近い、すぐ着くよ」
彼はそう言って、正面を指を差した。
T字路の丁度真ん中、暖かい色をした光が飽和するような店内に、幾つかの椅子と少し高い机。店員が6〜7名見受けられる。何人かのお客さんが少し背中を曲げているのは、鏡に顔を近づけているのだろうか?
ガラス張りの壁から見える清潔で鮮やかな紅い厚布の上、見てくれの良い置き方で陳列されているのは。
「眼鏡?」
「いらっしゃい……ああケイ君じゃないか」
「こんにちは、おやじさん」
人中に整った茶髭を生やし、小綺麗な格好の少し太っている男性が一人。
その人は、おやじさんと呼ばれた。どうやらケイさんはこの店の常連のようで、『おやじさん』とは親しい仲のようだ。
「今日はどうした?眼の定期検査はまだ先だったと思うが」
「いいや、今日は僕じゃなくて」
「あ、初めまして。国立器術研究所E-2研究室所属のミオベル・ピークです」
「えっ?お嬢さん研究員なの?ケイ君と同じ?隠し子とかじゃなくて?」
「(また隠し子……)」
「冗談よしてくれよ、おやじさん……ああ、優秀な研究員さ。今日は彼女の15歳の誕生日なんだ、祝いに眼鏡を贈ろうかと思ってね」
「……?あっ?ケイさん、眼鏡買ってくれるんですか?」
「自分でも分かってたと思うけど、君最近視力が落ちてきたみたいだったからね。研究者なら職業病みたいなものだけど」
「街を眺める時も、目を細めていただろう?ささやかだが、僕からのプレゼントだ」
「あ……ありがとうございます。その、本当にいいんですか?」
「もちろんだ」
彼は私に、その蒼い瞳も見えない笑顔を向けて言った。
両親や友人にも誕生日を祝ってもらったことはある。恵まれたことだ。
物心ついてから8、9回の愛情と記億。
でも今はそのどれとも違う。
とても、
「嬉しいです」
「改めまして。いらっしゃい、お嬢さん。店主のイドといいます」
「よ……よろしくお願いします」
「ははは。そんなに堅くならないで、たかが眼鏡屋さ」
「ケイ君とはいつ知り合ったんだい?」
「2年と少し前です。13歳で研究室に入って、その時に教育係として私についたのがケイさんでした」
「はぁぁ13歳で学者さん……世の中わからないねぇ」
少々の会話を交えながら、片眼づつ顕微鏡のような形をした機器を覗く。
木目でところどころに丸みのある金縁の装飾が施されていて、店の雰囲気によく似合っている。
先程は右眼で覗いていたので、今度は左眼だ。
視界は、合図があると赤や緑に染ったり、複雑なコントラストの波?海?が映ったと思ったら、今度は遠近感の強い気球の絵が出てきた。
また合図があると、一面真っ暗になった。
「……」
そのまま、気球の残像が消えてなくなるくらいの時間が経つと。
「……お嬢さん、とても綺麗な眼をしているんだね」
「今までたくさんの人の眼を見てきたけど、こんなに綺麗な……孔雀色の瞳は見たことがない」
「美しい」
「…ぇ、ぁぁ……ありがとうございます」
唐突に珍しい褒められ方をして、少し驚いてしまった。
「あ、ああ、すまないすまない。さぁ、これでレンズの中身は決まったよ。どの型も在庫は切らしてないから、あとは好きなフレームを選ぶといい」
「こんなにたくさんの中から……どうしようかな」
取り敢えず椅子から立ち上がって、先程の鮮やかな紅い厚布に近寄った。適当に、べっこう色で少し大きめのお洒落な眼鏡を手にとってみる。値札は何処だろう、この小さい紙がそうか。
「(ぅ……)」
高級品とまで言わないが、かなりいいお値段する……眼鏡のフレームってこんなにするのだったっけ?この店でも特別高いものが集められている所だったのだろうか。
「ここはやめとこう……」
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