第3話
「そうだ、頼んでたものは?」
「あーそこに置いてある」
指の差した方を見ると、黒い天板の実験台の上に茶色の紙袋が置いてある。
ケイさんが中身を探ると、微かにカチャカチャとガラスの音がした。小瓶がいくつか入っていたようで、彼は無作為に小瓶をひとつ取り出して中の粉末を眺めた。
「流石だ、お代はいつも通りでいいかい?」
「ああ」
「ったくそんなもん何に使うんだか。世の中変わったやつばっかりだ」
「そういう君だって、相変わらず何の援助もなくこの店を続けてる。言い方は悪いが、十分変わってると思うよ」
「……うるせぇよ」
「いくら親父さんの形見でも、ここまで完全に個人でやってると、そう思ってしまうよ」
「今どき個人の薬屋なんて殆どない、どこにも所属しないでやっていくのはもう厳しいんじゃないか?」
「……」
確かに、看板にも内装にも所属が分かるようなものが見当たらない。大抵の薬師は対象区域内の病院や研究所に所属していて、薬局の看板にそのロゴが付いていたりするものだ。どうやら本当に個人でやっているらしい。しかし、そんなことが可能なのか?
「そりゃ、そうすりゃ楽だろうけどな」
「ロドニー、君の調薬の技能は僕の知る薬師の中でもトップレベルだ。国内で君にしか出来ない調薬だってある。だからこそ所属要請だって何度もきてるはずだ」
「今日はいつもよりしつこく言わせてもらうが、君が薬師としてやっていけなくなるのは僕も困る。いいかげん研究所に所属してくれないか」
店の佇まいから予想はしていたが、やはり薬屋の状況は厳しいらしい。
彼自身でも言っていたが、見るからに客足ほぼゼロ、お世辞にも収益があるようには見えないし周りを見渡しても内装の所々にガタがきているのがよく分かる。
口ぶりからして、うちの研究所の対象区域なのだろう。
ケイさんの言う通り、病院や研究所に所属すれば、額に差はあれど最低限の給金や経営上の支援は安定して受けることができる。
その代わりそれらの機関の窓口的な役割を担ったり、一部を販売所として提供したりと、当然代償はあるし仕事も増える。時には給金の割に合わない調薬依頼が来たり、末端だとたまに人手不足の業務に駆り出されることもあると聞いた。
だが、本来所属の申請は薬屋側からするものだ。私が知らないだけで、彼は相当優秀な薬師なのだろう。所属要請がきているとなれば、待遇も通常のものに比べて相当に良いはずだ。デメリットなどひとつも無いように思える。
一体何がネックになっているのだろう?
その疑問は当人にそのままぶつけることにした。
「あの、何か不都合があるんですか?渋る理由があるようには思えないんですが……」
「ああ、ロドニーは……」
「あーケイ。いい、俺が話す」
ロドニーさんは私に向き直ると、トーンはそのままに話を始めた。
「嬢ちゃん、20年以上前の話だが西の港町で空襲があったは知ってるか?」
「23年前の『メレシー湾域空襲』ですか?」
「ああそうだ」
「あの町な、俺の故郷なんだ。ガキの頃の記憶だが、かなりの惨状だったぞ」
「え……ああ……それは……大変でしたね」
「その様子だと、察しがついたみてぇだな。ま、嬢ちゃんが気にする必要はこれっぽっちもないが」
「……あの事故はうちの研究所が原因だと文献で見ました。正確にはその前身ですが」
「本来は偽装も施されたシークレットの施設でしたが、うちの研究所の実験でベスラドイト水溶液が流出したせいで、場所がバレて標的に……と」
「流石。今頃じゃ、上等校で1コマの授業のうちにチラッと出てくるかどうかだと思うが、そこまでよく知ってる」
ロドニーさんはその後、祖父と父親がそれによって帰らぬ人となったことや、町の復興が未だ続いていることを話してくれた。
「でだ。近頃、あの実験場の再建計画が興されてる……のも知ってるよな」
「ええ、つまりは……」
港町の住人としては、とてもじゃないが受け入れられることではない。
「止めるのが難しいのは十分理解してるが、それでも俺としちゃあ勘弁な話だ。港町でも反対運動が盛んらしい」
「『再建計画の中止』この条件つきじゃねぇと俺は所属要請には応えない」
と、いうわけだ。とケイさん。
なるほどこれは厄介だ。
申し訳ないが、ロドニーさんの要求を通すのはかなり難しい。たったひとりの薬師のために、組織が動くとは思えない。町で反対運動と言っても、それが最終的に功を奏すケースは殆どない。かと言って、彼もそう簡単には折れないだろう。でなければ、とっくの前にケイさんが説得できているはずだ。
しかし、彼にしか出来ない調薬もあると聞いたし、ロドニーさんが薬師を辞めてしまったら。霧の研究が長期に渡って滞ってしまう。私も何としてでもそれだは避けたい。
何とかならないものだろうか……
「よし、わかりました」
ひと回り張った声に、一体どうしたのだと2人共少し目を見開いて私の方を見る。
「止めてみせます。実験場の再建」
ロドニーさんはゆっくりと口パクで、はぁ?と言いながら眉をひそめる。
「その代わり、妥協して下さい」
「妥協?」
「実験場の再建は止めます。でも、無条件に中止させるのは無理です。だから」
理由の前に、隣でああという声。ケイさんは察したようだ。
「ミオ?まさか灯台砲絡みで何かするつもりかい?」
「だめですか……?」
「……規模問わず、プロジェクトに私的な事情を持ち込むのは良くないことだ。が」
「僕も賛成だ」
私は彼のその顔を見て、自然と微笑みを返した。
「だが、難易度は高いぞ?相当の妥当性やメリット探し、またそのアピール、権利関係。問題は山積みだ」
「でも、研究が停滞するよりずっといいです!」
「同感だ」
「ちょ、おいおい置いてくな。俺にも分かるように話せって。何だその灯台砲?とかってのは」
ロドニーさんは椅子から立ち上がって困り顔。ああ、いけない。つい置いていってしまった。研究員ではないロドニーさんには何が何だかさっぱりだったろう。
「ロドニーさん、さっきの『妥協』の話ですが……」
実験場の再建計画を止めるには、別の計画で押し出すのが現実的だ。
今、私が開発メンバーとして携わっている試作用の防衛兵器『灯台砲』その建設地を港町にしてしまえば、計画を押し出せるという算段だ。
研究所関連の施設であることに変わりはないが、今度は『防衛兵器』という前提がある。町を護るという役割を持たせれば、渋々でも納得してくれる人は多いはずだ。
もちろん、解決しなければならない問題は山積みだ。
試験的な兵器なのだから場所なんてどこでもいいじゃないかなどと、まず間違いなく言われるだろう。
「でも、これが今できる一番現実的な案です」
「防衛兵器……ね……」
旨を伝えた後、ロドニーさんは暫くの間、口に手を当て目を閉じていた。
「……」
「防衛、ってぇと聞こえは良い。町のメリットにもなるだろうな」
「じゃあ……」
「だが、お前らの研究所が関わってると知りゃあ、実験場ほどじゃねぇにしろ中身も知らず反対する住民は多いぞ。やれんのか」
「やります」
「ぅ……」
「あーあーそんな目で見んな。分かった分かったよ」
「その代わり、出来なかったら俺はすぐに薬師を辞める。いいな?」
「……!はい!」
「ふぅ」
ため息を吐きながらどかっと座った椅子の上、姿勢を崩して彼は呟いた。
「……綺麗な眼ぇしてんな」
「え?」
「いや、何でもねぇよ」
────────
晩夏の帰路。時期相応に暑気を奪われた夕暮れの駅舎にて、歩き疲れた身体をしばし伸ばす。左に座るケイさんも眼鏡を外し、壁に背を預ける。
さて、明日からまたやることが増えてしまったな。何から手をつけようかと空をみるが、ゆっくり考える間もなく列車が到着する。
「座れるといいな」
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