第12話 俺の好きな人

 俺は‟トイレに行く”という口実で教室を出た。あんな噂どうしたものか……と考えながら廊下を歩いていると、突然背後から声をかけられた。


「響くん! なんか、私たち噂になっちゃったね!」


 その声にドキッとし後ろを振り向くと、そこには息を弾ませた東雲が立っていた。東雲は、教室を出たところで俺を見かけ、後を追ってきたようだ。

 俺は咄嗟に東雲の腕を引き、近くの物陰に隠れる。そして、二人の会話が通りすがりの人に立ち聞きされないよう距離を詰め小声で話した。


「東雲、そんな噂早く否定しろ! お互い困るだろ?」

「ん? 私は全然困らないよ? 響くんは私と噂になるの嫌なの?」

「そ、それは……」


 そんな状況下、偶然にも俺たちの様子を見てしまった下級生の女子たちは、何を勘違いしたのか茹でダコのような顔色で、『す、すみません!』と言いながら風のようにそばを走り抜けていった。

 こんな人目につかない所に二人でコソコソと隠れ、東雲の耳元に顔を近づけたこの姿は、中学1年生の女子たちにとってかなり刺激的だったようだ。


「あらら、また噂が拡がっちゃうね」


 そんな恐ろしいことをのんきに言いながら、下級生たちの初々しい姿を微笑ましく見送っていた東雲は、その姿が見えなくなると俺の方を向きなおし、急に真面目な顔をした。途端に二人の間に沈黙が流れ、教室にいるみんなの騒ぎ声だけが異様に大きく聞こえてきた。


「もしかして響くん、好きな人でもいるの?」


 東雲に『好きな人』と言われ、真っ先にある女子の姿が頭に思い浮かんだ。


 屋上に立ち、カールした黒髪を風になびかせながら、目の前に広がる空に向かってフルートを吹くその後ろ姿だ。


 ……なんで音羽の姿が?


 ……そうか。俺は音羽が好きなのか。


 音羽への気持ちを自覚し、急激に顔が熱くなる。その様子を見た東雲はパッと笑顔を作ると、それ以上追求せず『じゃ〜ね〜』と手をヒラヒラ振りながら教室に戻って行った。


「お、おいっ! 噂を――」


 キーン、コーン、カーン、コーン――


 俺の願いは、授業開始の予鈴により無情にもかき消されてしまった。



 顔の熱を冷ましながら教室へ戻り、何でもないフリを決め込んで正面だけを見ていると、こんな時に限って窓際からの視線を感じた。誰の視線かはもう見ずとも分かる。俺は意を決し立ち上がると、窓際の席へと向かった。


「おいっ、音羽」

「なに?」

「……ご、誤解するなよ!?」

「なにを?」

「俺と東雲は付き合ってないから!」


「……なんでそれを私に言うの?」

「そ、それは……、バンドのためだ! と、とにかく噂はデマだから、気にするなよ!」


 俺が半ば無理矢理にそう言うと、音羽は姿勢を正してコクリと頷いた。



 《人の噂も七十五日》ということわざを信じ、噂がこれ以上広がらないよう、俺は東雲と二人きりになるのは避けた。そのおかげか噂は段々と終息し、俺の周りもようやく落ち着いてきた。


 別にこれは噂への対策のためではなかったのだが、タイミング良く、4人になってから【カラフル】の練習を楽器担当とボーカルに分かれて行っていた。さすがに全員一緒に俺の家の防音室で練習するのは狭すぎるためだ。

 しかし文化祭のことを第一に考えると、そろそろ4人での練習を再開しなければいけない。


 俺と禅は職員室を訪ね、文化祭までの間だけでも音楽室を借りれないか交渉した。そして、吹奏楽部の練習がない日であれば音楽室を使って良いという許可を得た。

 



 そして初めての練習日。

 気合十分で音楽室のドアを開けると、目の前で繰り広げられている光景に目を疑った。

 

 先に来ていた音羽が複数の女子たちに囲まれている。顔ぶれから吹奏楽部員たちだとすぐに分かった。


「奏ちゃん、匹田くんたちとバンドやるんだって? コンクールの時は私たちを裏切ったくせに、自分だけ楽しくしてるんだ? わかってる? 奏ちゃんのせいであの時のコンクール、金賞取れなくて先輩たち泣いてたんだからね! 奏ちゃんには私たちの苦しみなんて分かんないでしょ!?」

「そうだよ! だから奏ちゃんに音楽室は使わせない!」


 くそっ……! 何なんだコイツら!

 自分たちが音羽を追い出したくせに! 賞を逃したのだってとんだ言いがかりじゃないか!

 お前たちのせいでどれだけ音羽が傷ついたと思ってるんだ!?


「おいっ! お前ら、いい加減に――」


 すかさず俺は女子たちを止めにかかった。しかし、それを音羽が止めた。


「匹田くん、いいの。みんなを裏切ったことは事実だから」


 そして音羽は吹奏楽部の面々に向かって頭を下げた。


「あの時はごめんなさい。部活から逃げるしか方法が思い付かなかった……。私は何を言われてもいい。でも、バンドのみんなはそれぞれ想いがあってステージに立つの。だから、文化祭までは音楽室を使わせてほしい」


 音羽の小刻みに震える肩を見て、俺は音羽を“守りたい”と強く思った。


「学校からの許可は出ている。俺からも頼む」


 そう言って音羽の隣に立ち、俺も頭を下げた。すると吹奏楽部員たちは『匹田くんのお願いなら……』と去っていった。


 音楽室には俺と音羽だけが残った。


「匹田くん、ありがとう」

「気にするな! なぁ音羽、文化祭のステージ絶対に成功させような!」


 夕日のせいか、音羽の頬が少し朱に染まった気がした。

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