第9話 音羽奏の過去
――中学1年生の春
「音羽奏です。小さい頃からフルートを習っています。よろしくお願いします」
私は笑顔でそう挨拶をした。新1年生は私を含めて5人。全員が挨拶し終わると、音楽室にぎゅうぎゅうと詰められた椅子に座るたくさんの先輩たちから歓迎の拍手を受けた。
私以外の新1年生たちは、ピアノの経験はあっても管楽器や打楽器類には触れたことすらない初心者ばかりだった。一方私はというと、小学生の頃から吹奏楽団に所属し、ずっとフルートを専門にしてきた。だから入部してすぐに戦力の一員となり、先輩方に特に可愛がってもらえた。他の1年生よりかなり先を進む私は、ちょっとした優越感もあり毎日が楽しくて仕方がなかった。
フルートパートは私を含め6人いた。3年生が3人、2年生が2人、1年生が私1人。他の楽器パートには性格のキツイ先輩がいたが、フルートパートの先輩は穏やかで優しい人ばかりだった。
しかし、夏のコンクールに向けみんなで切磋琢磨しながら練習をしていたある日、私の楽しい日々は突然終わりを告げた。
その日は、夏休みに入ったばかりでとても暑い日だった。夏のコンクールは3年生の先輩たちにとって最後の舞台だ。フルートは3人が登録されることになっていた。
もちろんその3人は3年生のことだと思っていたし、実際に顧問の先生はこれまで3年生を選抜メンバーに選んできていた。だから選抜メンバーを発表することになったこの日も、何の問題もない一日になるはずだった。
「フルートファースト、音羽奏!」
その瞬間、音楽室が異様な静けさに包まれた。顧問の先生が夏のコンクール選抜メンバーにあろうことか1年生の私を選んだのだ。
先生が音楽室を出ると、私はすぐに先輩そして同級生に囲まれた。お祝いの言葉かと思いきや、各々の口から出てくるのは私への非難と妬みだった。
「1年生のくせになんなのよ! 少しくらい吹けるからってズルい! 音羽さんのせいで3年生が出られなくなっちゃったじゃん!」
「奏ちゃんは残り二年もあるでしょ!? 先輩は今度のコンクールが最後の舞台なんだよ!? 先生にお願いしてメンバーを辞退しなよ!」
「そ、そんな……」
視線をずらすと、私が選ばれたせいで選抜メンバーを外れることになったフルートの先輩が、私が奪い取ってしまったファーストが座る席で泣いていた。3年生の先輩たちがその背に手を当て慰めている。そして私の視線に気づくと、恨みを込めた瞳で私のことを睨んだ。
今回メンバーを外された先輩は、同じフルートパートの中でも特に仲良くしてくれていて、いつも笑顔で優しい先輩だった。しかし今は怒りと憎しみで顔は歪み、真一文字に結んだ口は小刻みに震え、目からは涙がこぼれている。そんな姿を見て私は辞退するしかなかった。
「わかった……。今から先生のところに行ってくる……」
――コン、コン、コン
私は職員室のドアをノックし、顧問の先生の背後に立った。
「先生……」
「んー? 音羽、どうした?」
「コンクールメンバーを辞退させてください……」
先生は椅子を回し、私の方に身体を向きなおした。
「理由は何だ?」
「1年生の私なんかより、今年引退する先輩が出るべきだと思いまして……」
先生は腕組みをし、真剣な顔をした。
「コンクールにはベストメンバーで向かうと決めている。みんなに何を言われたか知らんが、辞退は受け入れられない」
先生は私の、いや部員みんなの考えを突っぱねた。こうなるともう音楽室には戻れない。『辞退しろ』と責める仲間たちと、『辞退は受け入れられない』と断る先生に挟まれ、私の居場所はあっという間になくなった。
「部活辞めたい……」
「どうしたんだい?」
仕事から帰ってきたばかりのパパを捕まえると、私は悔し涙を流した。そして仕事で疲れているはずなのに、パパは私の話を黙って聞いてくれた。
「1年生だからコンクールメンバーを辞退しろって……。でも悔しいよ……。頑張って練習した成果なのに、年下だから譲らないといけないっておかしいよ……。どんなコンクールだってベストな状態で挑まないといけないんじゃないの?」
「それは悔しい思いをしたね。でも、部活を辞めたら一人で練習することになるけどいいのか? 辛いならフルートも無理して続けなくていいんだぞ?」
私の両親は二人とも全国を飛び回るような有名音楽家だ。それなのに両親は私に音楽を強要せず、こんな風にいつも私自身に道を選ばせてくれた。
将来の夢だって『音楽家になれ』なんて一度も言われたことがない。でも、生き生きと自分たちの仕事について話す両親を見てきたからか、自然と両親と同じ音楽の道に進むと決めていた。
「フルートは絶対に辞めない。あんな人たちのために将来の道まで諦めたりしない!」
「そうか。奏の人生だ。奏が決めたことに反対はしない。でもやるからにはしっかりと頑張りなさい」
それから私はすぐに退部届を提出し、みんなに『裏切り者』や『変り者』と言われようが構わずフルートだけに集中することにした。
◇ ◇ ◇
音羽の長い黒髪が夜風によって横になびいた。顔にかかる髪を片耳にかけながら音羽は俺たちを見て微笑んだ。
「私は自分が選んだ道に後悔はしていない。でも正直に言うと、ずっと一人でいるのは淋しかった。だから二人に声をかけてもらえて嬉しかったよ」
この日、音羽は初めて俺たちに心を開いてくれたのだった。
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