25話 夢見る人と竜の夢 ~中~

 周囲は濃霧に包まれたかのように不鮮明で、激しい雨音も窓を叩く風音も、いつの間にか聴こえなくなっていた。

 そんな曖昧に溶けた周囲とは反対に、さっきまでシロが一人で寝ていたはずのダブルベッドとその上に腰掛けた竜の存在感は色めく程に際立っている。

 周囲の無音さなんかお構い無しに、竜の語る言葉の一つ一つが、鼓膜を介さず脳に直接刻まれる。


 まるで、自覚した夢みたいだな。不自然さを認識出来るのに、それを自然と受け止めて納得出来てしまう。

 人の夢は何でもありとマホロは言ったが、その夢に干渉する竜の力こそ何でもあり過ぎて末恐ろしい。オレはマホロをそれなりに信用しているけど、敵対する相手にやられてたらと思うとゾッとするな。

 ベッドの上のマホロが観察するような瞳をコチラに向け、反応を探っている。何か、言葉を待っているのだろうか?


「この嵐は自然の成り行きじゃなく、竜がもたらした『竜害』の一端。そう断じるだけの根拠はあるのか?」

「それまで雲一つ無かった空から急に雨が降る。確かに、それ自体は然程異常なことではありませんね。人間が『狐の嫁入り』なんて名付ける程度には、珍しいなりにありふれた事象だったはずです。人類と比べ自然の摂理に疎い私でもそのくらいは知ってます」


 突然、朧気なだけだった空間に、激しい雨が降り注ぐ。

 これもマホロが造り出した幻覚……なんだろうな。身を刺す冷たさも身を打つも、現実のそれと何一つ区別は付かない。


「はぁ。じゃあなんで竜の仕業だと思ったんだ? まさかとは思うが、同じ竜の勘とか言わないよな」

「ふふっ、勿論言いませんとも。同種の勘も少なからずありますが、根拠はそれだけではありません。至極単純な話、出会ったのです。会うことで知った。これ以上ない根拠でしょう?」


 空もないのに雨降る上方から、突如大きな影が射す。驚いて見上げると、そこには巨大な……本当に巨大な『何か』が浮かんでいた。


 細い身体をうねらせながら、鯉のぼりのように天を泳ぐ異形の姿。それは蛇のようでありながら欠片足りとも蛇に見えず、魚のように泳いでいるが魚らしさは微塵もない。

 大きさは……イマイチ目算しにくいけど、全長ならキョウより上かもな。降り注ぐ雨なんかものともせずに天高くをなびく巨躯きょくは、最早神々しさすら感じる。


 見上げた先にある巨大な幻影が竜であることに、疑う余地はなかった。


「ご覧の通りです。今朝『彼』を見た時は驚きましたよ。まさか、まだ竜の姿のまま生きてる竜がいるなんて。同じ竜ながら、まさに青天の霹靂です」

「………彼って、コイツは男なのか?」

「さあ? 便宜べんぎ上『彼』と呼びましたが、性別は知りません。そもそも、竜に雌雄しゆうがあるのかどうかすら分かりませんので。私自身、人間の女性の姿をしてはいますが、元がどうだったのかは不明です。シロさんといる以上、とっくにご存知なものかと思ってたのですが……?」

「──まあ、知ってたけどさ」


 絶句するもの悔しいので何とか言葉を絞り出したが、虚勢丸出しな検討違いの疑問しか出せなかった。

 確かに、コイツの存在は『竜害』の根拠としては十分過ぎるな。終末の異常の根底には、常に竜の影がある。イルカ程度の大きさのセツですら季節外れの雪を降らせられるんだ。こんな馬鹿デカイ存在なら、世界を沈ませる豪雨をまねけたってちっとも不思議じゃない。


「その時に阻止出来れば良かったんですけどね。残念ながら、今の私では挑むことすら出来ませんでした。この人間並の身体では、空飛ぶ巨大な竜になんて手も足も出ませんから。野放しにしておくと私も困るので試行錯誤はしたのですが、返り討ちどころか門前払いです。手の打ちようもなく、足元にも及ばない。我が事ながら、竜とは恐ろしいですね」


 我が事とか言いながら、どこか他人事みたいな口振りだ。人間ならば恐怖するか達観するかのどちらかに振り切れるしかない一大事でも、マホロは平然としている。


「幸いなことに、私達は学校にいるので災害への備えは万全です。子供達も私自身も今は無事……ですが、この雨がずっと続くのならば、そう長くは持たないでしょう。水害による土砂崩れや浸水。或いは先に食料が枯渇するかも知れません。そうなったらお仕舞いですね」


 ……だろうな。人類の壊滅間際も、災害のバーゲンセールだったさ。その脅威はよーく分かっている。今更竜に説かれるまでもない。


「さて……我々はこのまま、『彼』のたなごころで座して死を待つだけでしょうか。俯き神に祈りながら、天を統べる竜の気紛れを願う。──それしかありませんか?」


 ……神、ねぇ。竜であるマホロの口からその言葉が出たことに少々驚いた。マホロの知識量なら宗教学くらい修めていても不思議はない。ただ、信仰を語る竜の意外性が可笑しかっただけだ。

 うん。そうやって祈ってる奴はいっぱいいたよ。……まあ、全員死んだけどね。


「さあな。少なくとも、オレは神に祈る気はサラサラないよ。所在の真偽は知らんけど、信用出来ない奴に下げる頭はない。そんな無意味な事をするぐらいなら──」


 ここまで口にして、ようやく気が付いた。何故マホロがこんなにも回りくどい手段を用いて、回りくど~く語ったのか。

 ………まったく、いい性格してる。いくら人間に成りつつあるとはいえ、性格まで人間らしさをする必要ないだろうに。


 喉まで出かかった言葉を飲む。マホロの『お願い』とやらに察しは付いたが、それをオレの口から言うのは順序が逆だ。マホロはオレから言わせる腹積もりなんだろうが、知らんぷりを決め込もう。


「──ふぅ。竜でも始末を付けられないなら、人間にだって出来ないさ。オレも死にたかないが、無力な側には選択の権利もない。座して天命を待つ以外に何をしろってんだ?」

「天命を待つ。その言葉の前に付くべき言葉を、タローさんは知っているはずですね?」

「人事を尽くせってか? 随分と他人任せだな」

「ええ。他『人』任せです。今『人』事を尽くせるのは、タローさんみたいな人間だけですから」

「言葉遊びなら、自分の生徒にしてやればいい。オレには口の回る相棒がいるから間に合ってるよ」


 何がそんなに琴線に触れたのか、偽りの雨音をかき消すほどの声を上げてマホロは笑う。シロの笑顔からは朗らかさしか感じないのに、マホロの笑みはやはり何処かズレている。ほんの少しのズレが『不気味の谷』のような違和感を生み、不安を増長させる。

 これは多分、オレの贔屓目だけではないはずだ。


「く、くくっ。ふふふっ。あはは! 本当に、人間は面白いです。こんな面白い存在を、ただ強大なだけの無知な竜が滅ぼすなんて、余りにも惜しい。ねぇ、タローさん。私は人間が好きですよ」

「光栄だな。その言葉、自分達の滅びを竜からの天罰だと悲観してた連中に聞かせてやりたいよ」


 人の滅びは、増長した人類への神罰でも大自然の怒りでもない。少なくとも、当の竜はそんな陳腐な思想なんて一ミリたりとも抱いちゃいない。

 世界そこに竜がいて、結果人間が死んだだけ。そこに大層な意味なんて、ない。


 当たり前のことだけど、改めて思い知ると案外スッキリするな。皮肉でもなんでもなく、今は亡き人々にも教えてやりたいくらいだ。


「そうですね。今度人類の真似事で、墓のようなモノを作ってみるのも悪くないかもしれません。……それはさておき、私自身がそうだからこそ分かるのです。シロさんも人間が好きだから、人間と成りタローさんと生きることを選んだと。そして、それは他の竜も同様です」


 夢想の幻覚が、まるで万華鏡のように複数の風景を映し出す。


 イルカと共に、雪空の下海を跳ねるセツ。

 萌え滾った果樹園で、リンゴの巨木に巻き付くモエギ。

 光輝く遊園地で、イエネコの群れに混ざるライ。

 かつて焼いた人間達の墓場で、人と共に人を弔うエン。

 人類の栄華の幻を描きながら、学校で人間の子供達に教鞭きょうべんを振るうマホロ。


 ──そして、もう一つ。ゴツいスクーターに乗って、人間と一緒に終末を旅するシロ。

 いや…そもそも終末なんて呼び方が、人間本意の勝手な考え方かもな。彼らにとっては、この今こそが始まりなんだ。だからこそ、彼らはこんなにも楽しそうで……それを見るオレの心も踊るんだ。


「失礼ですが、タローさんは間違っています。竜に出来ないなら、人間にも出来ない? いいえ。今、この終末をの竜から守れる者がいるとしたら、それは間違いなく竜ではありません」


 はんっ! マホロよ。アンタ凄く教師が巧いじゃないか。順序立てて語り、生徒の気付きを促している。とても二年弱の教師歴とは思えないな。

 ああ……分かってるっての、そんなことぐらい。


「口惜しいですが、私では役に足り得ません。ですから、タローさんに頼みたいのです。かつて私が子供達と会って知ったように、この世界の全てが竜の巻き添えで滅ぶには勿体ない代物だと、『彼』に教えてあげて下さい。これが私からの『お願い』です」


 マホロはベッドから立ち上がり、深々と頭の下げる。

 お願いされようがされまいが、最初から答えは出ている。オレにとってもこの終末は、かけがえのない大事なモノなんだ。今が失われて困るのは、オレだって同じ。なら、選択肢なんてない。


「………ま、神にこうべを垂れるよりは、こうやって人間に頼る方が多少は建設的かもな」

「ふふっ、ありがとうございます」


 ひねくれた言葉で承ると、マホロはより深く大袈裟に頭を下げる。……けっ、断るだなんて欠片も思ってなかった癖に、良く言うぜ。


「神に祈るなんざゴメンこうむるが、竜に命乞いする分には嫌じゃない。実るか否かは竜次第だけど、努力はするさ。例え出目が分からずとも、自分を賽子さいころの如く投げ込むだけ──ってね」

「サルトルですね。実存は本質に先立つと唱えた哲学者の」

「………ホント、なんでそんな詳しいんだよ。マホロが人間より人間の知識を備えてたら、オレの立つ瀬がない。知識を溜め込むのも程々にしといてくれよ」

「いえ、そんなことはないですよ。私の知識とタローさんの知識はまったくの別物です。経験に裏打ちされた知識は、決して価値を失うことはない。その知識は腐ることなく、未来へ蓄積される。私はそれを、身を持って知っています」


 一端の教師らしい台詞を吐くじゃないか。竜の身でありながら、人間の子供に人間の知識を教えているだけのことはある。

 纏った女性用のスーツが、マホロの異形の身体にとても似合って見える。


「──賽の目は神のみぞ知る。されど神は賽子さいころを振らない。世界を滅亡を阻止する賽子さいころを投げるのは、やはり本質を知る神ではない。これも、実存は本質に先立つの凡例かもしれませんね」

「………かもな」


 マホロも神頼みより人間に頼る方がいいらしい。オレもおんなじだ。神に祈るより、竜に滅ぼさないでと頼み込む方がよっぽど性に合っている。

 かつての滅びを前に、竜を神だとおそれる人々はいたが、オレは知っている。竜が神では雲泥の差があることを。……もちろん、竜の方が雲だ。


 竜は神なんかと違って頼りがいがあるし、何より話しが分かる。オレはその事を、誰よりも深く知ってるんだ。

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