24話 夢見る人と竜の夢 ~前~

 窓はひび割れ、あちこちに蔦が纏ってはいるが、外観の劣化が比較的少ない低めのビルを見定め、割れた入り口のガラスドアから『クロガネ』ごと転がり込む。

 終末でしか許されない、ダイナミックなお邪魔します。こういう形だけの破天荒もたまには悪くないな。童心昂るモノがある。


 外観から見繕っただけあって、エントランスホールの内装は終末なりに綺麗ではあった。壁や床には所々風化による亀裂が入っているし、よく見るとあちこち苔むしているが、それでも数年放置された建物の内部としては大分マシな劣化具合だ。

 以前訪れたショッピングモール程じゃないけれど、ここなら嵐を問題なくやり過ごせそうだ。


「偶然ながら運がいい。外観からは気付かなかったけど、ここはホテルだ」

「ほてる? へぇ、これがほてるなんだぁ。知ってる知ってる。あれでしょ、人間が繁殖する為の──」

「違う! あ、いや、多少……一割くらいは当たってるけど、少なくともここは違う。ここは……そうだな。旅人が宿泊の為に利用していた場所だ」


 シロの半端な知識からくる半端な誤解は恐ろしいな。曲解という間違い程、解き難いモノはない。詳しく説明してくれと乞われたら、正直困る。出来なくはないが、シロ相手にそんな解説したくはないぞ。


「わっ! じゃあ、あたし達にピッタリじゃない。にひひっ、らっき~だね」

「だな。寝具は使えるだろうし、建物自体の頑丈さも折り紙付き。雨風凌ぐだけにしては贅沢過ぎる幸運だ。きっとこのホテルも今日まで客がいなくて寂しかっただろうし、有り難く使わせてもらおうか」

「お金を払わないんだから、お客ではないんじゃないの?」


 ふぅ…よかった。シロも然程興味がなかったのだろう。自然に話が逸れてくれた。


 割れたガラスドアから外を眺めると、雨も風も、さっきより勢いが増している。吹き入る風が雨を運び、入り口付近に水溜まりを形成している。

 このまま嵐が続けば、一階全域が水浸しになってもおかしくはない。浸水の心配をしてたらゆっくり眠ることも出来ないし、雨音がうるさ過ぎると会話にも支障をきたす。


 意を決しての告白が控えてるんだ。邪魔な要素は極力省いておきたいね。


「上の階に上がろうか。ここにいたら室内でも雨に浸りそうだ。それに客室は上にしかない。オレ達は客じゃあないかもだけど、折角間借りするんだからフカフカのベッドで眠らせて貰おうぜ」

「うん。……ふぁあ。そう言われると、何だか眠たくなってきちゃった」

「ははっ、お昼寝の時間か? いいけど身体を拭いてからにしろよ。風邪……は引かないだろうけど、まあ一応な」

「むぅ、また子供扱いして……。あたしは強いから、そんな心配いらないもん」


 シロの銀色眼は微睡んでいて、鱗まみれのまぶたも重たそうだ。

 シロは眠りが深く寝起きも悪いが、別に睡眠時間が極端に長い訳じゃない。今こんなに眠そうなのは、昨日フーコと仲良く夜更かししてたからだろう。


「はいはい。兎に角一旦寝ればいいさ。いつ起きようがいつ寝ようが、咎めるヤツなんざ何処にもいない。ほら、拭いてやるからコッチ来な」

「だーかーらぁ、自分で出来るってばぁ……」

「いいからいいから。オレが世話を焼きたいだけなんだから。──そらっ!」

「むうぅぅーっ。……? あれ、どーしたの。急に止まっちゃって」


 不満げにうめきながらも嫌がる素振りは見せず、なついた猫のようにされるがまま頭を拭かれていたシロが、不思議そうに見上げる。

 ………オレはアホか。豪雨に打たれてはしゃぐ子供のように、高揚感に煽られ失念していた。今シロは全身ずぶ濡れなんだから、拭くなら全身だ。それも、濡れたワンピースを脱がさなきゃならない。


 濡れて身体に張り付いた白い一枚の布からは、『人』より少しだけ薄い肌色と、『人』と似た柔らかそうな体付きが透けて見える。下着の代わりに鱗を纏った、『人』のような竜の身体。

 ある意味、裸よりも背徳的かもしれない。シロは微塵も気にしてないが、オレの顔には火が灯り、シロの姿が目に焼き付く。


「うっ………ゲホッ! ゲホッ! あ、あー…うん! そうだな。子供扱いは良くないな。シロは立派なレディだもんな。自分で出来るよな!? あは、あははっ」

「えーっ!? もーなんなのさー。今日のタロー、何か変なの」


 とっさにシロの頭にタオルを被せ、飛び退くように後退りする。


 シロの言う通り……確かに今日のオレは変だ。オレ達と似たフーコとエンとの出会いにあてられたのかもしれない。

 これだけずぶ濡れになっても頭が冷えていない辺り、相当に重症だ。頭の整理も兼ねて、オレも一旦寝た方が良いかもしれないな。



 干した服から滴る水が床に落ちる音と外で高鳴る嵐の雑踏が響く廃ホテルの一室。

 それにしても、窓が割れてない部屋があって助かったな。もし割れてたら、嵐の唸り声はこんなもんじゃ済まなかっただろう。ここには、眠りを妨げる程の騒音はない。


 積もっていた埃を払って多少綺麗になったベッドの上で、シロは眠っている。耳を済ませば、微かな寝息が聴こえてくる。がなり立てる嵐の音と違って、柔らかく耳触りが良い。ずっと聴いていても苦じゃない音色だ。

 寝付きの良いシロは、ベッドを整え終えるとすぐに眠りに落ちた。些細な物音ではビクともしない、深層の熟睡に誘われている。


 寝息を聴き寝顔を眺めるのもそこそこにして、オレも寝るとするかな。

 シロは広いベッドの半分を開けてくれてはいるが、隣で寝るつもりはない。濡れたシロの姿が目に焼き付いた状態で並んで寝られる程、オレの心臓は鋼鉄製じゃないんだよ。もしもそんなことしたら、煩悩の鐘が脳を揺さぶり、下手すりゃ夜も眠れなくなってしまう。


 幸い、この部屋にはソファもある。オレはここで眠ればいいさ。



 目を瞑ると、うつらうつら眠気が訪れる。運転ってのは案外体力を消耗するからな。それも、豪雨の中なら尚更だ。

 睡魔に呑まれながら、霞む視界でベッドの上を捉える。意識が落ちる前にシロの寝顔を見ていれば、きっと良い夢が見られるだろう。


 だが、ベッドの上にシロの寝顔はなかった。愛らしい寝顔の代わりにあったモノは、本来あるはずが──いるはずがない『者』。

 あまりにもあり得なさ過ぎて、驚く気にすらなれない異常。目の前の存在もそれを重々承知しているのか、何も言わず平然とコチラを見つめている。

 うろんな視界に、二つの銀色が瞬く。


「これは………夢、か? マホロ」

「ふふ、タローさんが言うところの『夢』とはほんの少し違いますが、概ね正解です。うつつではない、という意味では違いはないですから」


 霞がかった視界が一瞬で鮮明になる。

 ベッドの上にいたはずのシロは、何処にもいない。代わりにいるのは、三前趾足さんざんしそくの足をぶら下げてベッドに腰掛けるスーツを着た女の姿。スカートの裾から伸びた太い爬虫類の尻尾は座るのに少し邪魔そうだ。

 だが、目を引く特異な身体とは対称に、顔は変わった薄紫の髪と銀色の瞳を持つ美人な『人間』にしか見えない。

 この顔が、竜が人間に適応していった結果だと言うのなら、シロの顔もいずれ鱗を失い、口も人並みの大きさになっていくのだろうか? ………だとしたら、少し寂しく、そして惜しいな。


 見間違えるはずもない。そこにいたのは、以前砂丘で出会った幻竜。『人間』の子供達と一緒に学校で暮らしているはずのマホロだった。


「──ご安心を。シロさんはいなくなったりしてません。ここに貴方と私しかいないのは、ここがまぼろしだからです。シロさんなら、現実にちゃんと存在していますよ」

「目の前のアンタは、夢見るオレが生み出した空想上のハリボテじゃない……ってことでいいのか? オレにはそこんとこ、判別が付かないんだが」

「ええ、その通り。ここはタローさんの夢を土台に造った、私のまぼろしです。造ったのも、タローさんをいざなったのも、どちらも私。ただ、信じて貰おうにも証明は難しいですね。何しろ、人間の夢は『何でもあり』らしいので、何をやっても悪魔の証明です」


 マホロはやれやれと両手を上げる。参ったと白旗を振る敗者の表情を作っているが、相変わらずその顔は人間味に欠けている。

 人間じゃないのだから当然といえば当然だが、顔色豊かなシロを毎日見ているせいで違和感は拭えない。

 ま、マホロの表情だって、エンの文字通り無機質な表情よりかはずっとマシだけど。


「いや、信じるよ。マホロがオレを騙す意味が思い付かないし、そもそもオレからしたら、竜だって『何でもあり』な存在だぜ? 放課後の風景を再現した幻覚を造れる竜からしたら、このくらいはお手のものなんだろうさ」

「ええ。かつてタローさんも見た幻覚の応用です。『私』の幻覚を見聞きさせることで、遠くの相手とコンタクトを取る。電報みたいな用途……とでも例えれば、人間にとって理解しやすいでしょうか?」

「うーん。分かるような、分からないような……」

「ふふ。やっぱり、竜の道理を人間の尺度で説くのは難しいですね。私自身、巧く言語化出来てる自信はないので、分からないのも無理ありません」


 張り付いたように笑みを浮かべるマホロは、とてもじゃないがまぼろしには思えない。あの日、学校で楽しそうに哲学論を語った時と変わらぬ笑顔。

 精巧な幻影とか、そんな次元じゃない。出会った時の映像を直接頭ん中に流し込まれているような……そんな、いいようもない違和感に身の毛がよだつ。


「ま、分からないなりには分かったさ。マホロがオレの頭ん中をちょっくら弄って、『会話をするマホロがいる夢』の幻覚を見せている。丁度寝ようとしてた矢先に、無理矢理怪電波を受信させられるなんて、迷惑千万だ。それに回りくどい事この上ない」

「ごめんなさい。ですが、人間の脳に即時的な悪影響を催すことはありませんので、どうかご心配なく」


 ──安心を一切させるつもりがない忠告、どうもありがとよ。くそっ! 出来ればさっさと遮断したいが、着信拒否も通話終了も何処のボタンを押しゃいいのかさっぱりだ。

 それに………はぁ。マホロが突然こんな物騒な手段でオレにコンタクトをはかるってことは、それに見合う理由があるのだろう。イタズラ電話紛いにしては大掛かり過ぎるし、そんな無為むいな行いで悦に浸れる程の『人間性』をマホロは持ってなかったはずだ。


 何かある。………一体、何だってんだ?


ただちに影響はない、ね。まあ了解。……んで、わざわざ人の脳みそに土足で踏み込んでまで姿を現したってことは、何かあるんだろ? 人間を知る為のお試し実験とか言ったら、流石に怒るぜ」

「別れ際に伝えたでしょう。必ずまた会いましょう、と。それが理由じゃダメですか?」

「………」

「冗談です」


 冗談ならもっと分かりやすく言ってくれよ。笑顔の鉄面皮てつめんぴを張り付けたままおどけられても、どう反応していいやら困ってしまう。

 やっぱりマホロもまだまだ『人間』が下手くそだな。


「お察しの通り、用はあります。それも、火急の用件です。私には手の尽くしようがなく、困り果てた末の苦肉の策。最も頼れる相手にすがっているのです。尤も、選択肢がないだけとも言えますが。ふふふっ」

「火急にしては回り道だな。話好きは結構だけど、まずはその用件とやらを言ってくれ」

「ねぇ、タローさん。少し前から非常に強い雨嵐が天を荒らしているのは知ってるでしょう」

「──ん? あ、ああ。勿論。厄介なタイミングで台風に襲われたんで、今しがた青色吐息で逃げ延びたとこだ」


 今の天候に話が及んだのは、少々意表を突かれた。この話の流れで、何で天気?

 天気の話題なんて話すことがない時の常套句だろうに。


「この暴風雨は恐らく、放っておいても止みません。ずっとずーっと降り続けますよ。それこそ、人類が今度こそ完全に滅ぶまで、ずっと」

「………は?」

「この嵐は竜の力にるものです。それも、私達のように進化し適応した半端者の残り香じゃない。かつて人類を壊滅させた、純粋な竜の力。……まだいたみたいです。世界に適さぬ形のまま生きる、そんなはみ出し者の竜が」


 マホロは表情のようなモノを作ってみせるが、その顔が意味する感情が伝わってこない。困っているのか、怒ってるのか、それとも哀れんでいるのか。その『人間のような』顔からは、相変わらず何も読み取れない。


 もし、竜が竜のままだったら──


 あの日、マホロ自身が口にした言葉が、頭の中で反芻はんすうする。

 辺り一面全てを焼き付くしたかつてのエン。死してなお、あらゆる生物を死に至らしめる毒を撒き散らし続けるドク。彼らが彼らのまま生きていたら──他の生き物との共存なんて、叶うはずがない。


 終末さえも飲み込む、滅びの足音。マホロの言葉が強烈に現実味を帯びた。


 シロの寝顔が恋しくなって無意識に辺りを見回したが、白く無垢な鱗付きの顔は、やはり何処にも見つからなかった。

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