23話 嵐竜の訪れ

 昨日と変わらず、静謐せいひつな空気と暖かな陽気に満ちた朝。辺り一面の荒廃ぶりとは、文字通り天地の差だ。

 かつて焼け果てた地に辛うじて残った数少ない民家を背に、天を仰いで大きく息をく。


「よいしょっ…と! ふぅ、出発の準備は完了だ。んじゃ、これでお別れだな。色々と話を聴かせてくれて助かったよ。それに楽しかった。な、シロ?」

「あ、う、うんっ…! た、楽しかった、と思う」

「はい、私もです。……あの、もし良かったら、もっと居て貰っても構わないんですよ? 急ぐ旅でもないでしょうし、出発を遅らせても良いんじゃ──」

「有難い提案だし、ごもっともでもあるけれど、決断を反故にするのはよろしくないからな。ほら、思い立ったが吉日って言うだろ。空も快晴で出立日和だ。それでなくとも、三泊は長居し過ぎだ。これ以上長居するとち辛くなる」


 別れを惜しむフーコと照り尽く朝日に見守られつつ、重たい荷物を全てスクーターに積み終えた。一応服やら保存食やらをいくつかフーコ達に譲ったから、これでも少しは軽くなってるはずなんだけどな。

 終末の旅ってのは、何かと身重になりがちだ。


 昨日の墓所での出会いの後、フーコの強い要望に応える形で彼女らの『家』に宿泊した。無論『家』と言っても、ギリギリ住める形を保っているだけの廃屋一歩手前なコンクリ造りの民家だ。ま、ここで起きた『竜害』の件を考慮すれば、住める『家』が残ってるだけ奇跡みたいなもんだけど。

 フーコ達は二年以上この『家』を住み処にしていたらしい。焼け跡の多く外観に比べ内観が意外と綺麗だったのも、二年かけて住みやすく修繕した努力の証なのだろう。


 二人からもっと話を聞きたかったオレとしては渡りに船の要望。フーコからすればオレの存在はオマケで、本音はシロと親交を深めたかっただけなのだろうけど、ありがたく提案を飲ませて貰った訳だ。

 ──前にも思ったけど、何でシロはこんなにも人間に好かれるんだろうな? マホロのとこの子供達はたった一日遊んだだけでシロを気に入っていたし、フーコもシロをすぐさま受け入れた。どちらにせよ、人間であるオレよりよっぽど人間に慕われている。フーコの盲目を考慮すると、メラビアンの法則って訳でもないだろうし……不思議だ。うーん、ちょっと悔しいかも。


「別に、ずっと居たっていいんですけどねー。ほら、シロちゃんもさ! 後ろ髪引かれる思いとか……なぁい? 三日も一緒に過ごしたんだからさ。ねっ?」

「……後ろ髪? ええっと…引っ張られるとビックリするから嫌、かなぁ?」

「そうじゃなくてぇっ! ええっとぉ、別れるのが寂しいー…とか、もっと一緒に居たいー…とか、そんな感じ。どう?」


 見えないながらも期待の眼差しでシロの手を握るフーコ。話し相手の身体にやたら触れるのは、盲人故の癖だろうか。

 おそらくエン相手にも、こんな感じでコミュニケーションを図ってたんだろうな。なる形を幾度も触る少女を思い描くと、人間のフリをしていたと豪語するエンの滑稽さが、いっそう際立つ。

 フーコがエンの非人間さを気取けどるのに、そう時間を要さなかったはずだ。オレもシロも竜云々については敢えて口外しなかったけど、シロの異常すら察していてもおかしくはない。鱗に覆われた手の甲、ザラザラとした指先の感触。たとえ見えずとも、伝わるモノはあるのだから。


 もしもシロが人間でないと知った上で別れを惜しんでくれてるのなら、他人事ひとごとながらちょっと嬉しい。


「あたしは………いろんな所を見て回るのが好きなんだ。それに、タローがこう言うんなら、あたしもついてってあげないと。タローってば、あたしが傍にいないと寂しくて泣いちゃうからさ」

「おいおい。いくら寂しかろうが、大の大人が泣きはしないっての」

「へへ、またまた強がっちゃって。だからさ、たとえウシロガミを引かれても、一緒についてってあげないと。あたしもタローも旅が好きだし、何よりあたしはタローのホゴシャだからねっ!」


 自信満々の言葉につい吹き出すと、連鎖するようにシロも笑う。オレがエンに怒りをぶつけてスッキリしたように、シロもフーコと話して得るものがあったのかもしれないな。

 ──良かった。どんな表情も魅力的だけど、やっぱり笑顔は格別だ。


 こうやって笑い合ってると、人と竜のいただきを越えた比翼連理ひよくれんりの繋がりを感じる。

 寂しそうなフーコには悪いが、オレにとっちゃこの絆を実感出来ることが何より嬉しいね。


「……そっかぁ。残念だな。ねぇ、エンさん?」

「ああ、そうだナ」


 エンは相変わらずの棒読み口調で同意する。フーコの言葉に常に頷いてるが、真意の程は確かでない。

 これだからフーコに寡黙だと思われんだっての。オレにはそこそこ思いの丈を伝えれたんだから、もっと感情的に語ればいいのにさ。この二人の関係がどうなるかは、これからのエン次第かね。


「あたし達が旅をしていたから……今、フーコやエンと会えた訳だし、ね? そう考えたら、あたしはやっぱり旅をしたい…な」

「……うん、そうだね。ごめんね、無理言って」

「ううん。それに、これがこんじょーの別れって訳じゃないし……また会えばいいでしょっ?」


 大きな口から牙を覗かせつつ、シロは見えない相手に笑顔を向ける。

 人見知りのシロにしては、出会って一日足らずの相手に良く話すし、良いことを言うじゃないか。余程仲良くなってなきゃ、ここまでは語らない。


「シロの言う通りだな。もしも寂しいのなら、自分から動いて誰かを探せばいい。人が住んでた学校の場所は教えたし、他にも何処かで誰かが生きてるかもしれない。なら、フーコ達も旅をして、そいつらを探してみるのも一興なんじゃないか?」

「……意地悪ですね。タローさんは。あたしは目が見えないから無理だって、言ったじゃないですか」

「そりゃ、盲人一人なら夢物語だろうさ。けど、フーコにはエンがいる。だからこそ今まで生きてこられた。自分でそう言ってただろ?」

「それは…そうですけど……」

「ちょっと目線を広げれば、旅の手段なんて幾らでもあるぜ。車にバイクに自転車に──殆どは使い物にならないだろうが、まだ使えるモンも探せばある。言うまでもないが、今なら免許なんて不要だしな。……記憶がなかろうが、老若ろうにゃく問わず誰でも運転出来る。旅を妨げる理由は何処にもないぜ?」

「でも、でも……死んだ人達を見捨てるなんて──」

「あー……いや、墓守り役を悪く言う気は毛頭ないが、選択肢の一つとして頭の片隅に置いとくといいさ。アンタら二人なら、オレ達に負けず劣らず楽しい旅が出来るだろうよ」


 エンがいる以上、盲目は留まる理由には足り得ない。こんなのは単なる自分への言い訳。その殻を破った先にあるものこそが本心。彼女をこの地に縛り付けるのは、今は亡き人々が眠る墓。ひいては、滅びの前にこの地で過ごした日々の思い出。

 フーコはまだ、捨てきれていないのだろう。──過去と、過去に焦がれる未練の心を。


「それにしても、見捨てる…ねぇ。墓場に生者が縛られるなんて、冗談みたいな話だな。悼む心は尊いモンかもしれないけれど、オレはイヤだね。死人に脚引っ張られる余生なんて」

「な……っ! なんですか、その言い方。撤回してください!!」

「撤回なんてしないよ。昨日も言ったろ? オレは終末以前の倫理や道徳を捨てちゃいない。今のは、アレだ。生者の幸せは死者より優先されるべきっていう一般論をなぞっただけだよ。今言った、死んだ人を見捨てられないからってズレた迷妄が本心なら、オレよりフーコの方が終末ボケしてるなぁ。──ってね」


 ……ちょっと言い過ぎたか? いや、先に立たない後悔をしてもしょうがない。大人気おとなげない言葉の方が、まだ子供のフーコには伝わりやすそうだしな。


 フーコはもたげた怒りを飲み込んで、オレの悪辣あくらつ一歩手前なセリフを咀嚼そしゃくするように頷いている。

 フーコがオレの言葉にどう影響を受けるのかは分からない。ちょっとは感銘を受けて今後の行動に反映させるかもしれないし、神妙な面持ちで頷いてるだけでちっとも共感を覚えていないのかもしれない。


 どちらにせよ、フーコとエンのこれからが少しでも幸福に近付くなら、それに越したことはない。袖振り合った相手の為に祈れるくらいの優しさは、オレにだってあるのさ。


「………死体探しと弔いは、終末を認めたくない愚か者の迷妄、ですか。耳に痛いことを言いますね。でも、言葉自体に悪意がないことは、それこそ痛いほど伝わります。はぁ…タローさんってホント、正直者で……イヤな人」

「オブラートに包む意味もないからな。ま、言うは易し。どうするかは二人で悩めばいいさ」

「………ええ、ありがとうございます。あ、イヤな人とは言いましたけど、嫌いではないですよ。タローさんのこと。だから、私からも一つ助言をさせて下さい」


 口元を得意気に歪めると、フーコは口の前で人差し指を立てる。顔の半分を占める大きな火傷さえ上塗りする、勝ち誇った笑み。


「タローさんは、もう少し『人間』を好きになった方が良いと思いますよ。過去から目を背け、『人間』の滅びを受け入れた上で現在いまに浸る。タローさんにとってそれは幸せなのかもしれませんが、同時に『人間』の滅びを悔やみ、『人間』を好いてくれる『誰か』の傷を抉っちゃってるかもしれませんから…ね」


 ………ちぇっ。深淵を覗く者は、深淵から覗き返される。オレがエンの心を看破したように、フーコもオレをとっくに看破していたんだな。

 切れ味の鋭い意趣返しだ。フーコはオレの想像よりもずっと賢くて鋭い奴だった。何れだけ頭を回しても、負け惜しみな捨て台詞しか浮かんでこない。

 ま、黙って別れるのもそれはそれで癪だし、折角だから思い付いた皮肉を一つ置いて去ろうかね。


慧眼けいがんだな。盲目が妨げにもならないくらい、良く見えてるじゃないか。そんだけ見えてりゃ、何の心配もいらないな」


 フーコは笑う。オレも、釣られて笑う。シロは怪訝そうにオレを見上げ、エンは怪訝な顔すら浮かべられずに黙ってる。


 この出会いには感謝しないとな。お陰でオレは答えを得た。今ならシロに、オレの想いを恙無つつがなく伝えられそうだ。



 フーコ達と別れて一時間が過ぎた頃、突然空が曇り、激しい雨が降りだして来た。少し前までの晴天が嘘のような、凄まじい豪雨。更には突風のオマケ付きだ。

 いくらなんでも『クロガネ』に跨がって走るには雨風が強すぎる。雨粒がまるで石みたいに顔を打ち、目を開けるのさえ一苦労だ。嵩張るからってヘルメットを常備していなかったことを、終末になって初めて後悔した。


「あいたたたたたっ!! うううー! 急に大雨が降るなんてきーてないよぉっ。やっぱりフーコの家にもうちょっと泊めて貰った方が良かったじゃんかぁー」

「ぐうぅ……! シロはオレの陰に隠れてるから、そんなに雨ざらしに、なってないだろっ。──でも、確かにこれは、無理…だな」


 雨の弾丸に白旗を挙げ、速度を下げて物陰へ逃れるように舵を切る。


「もー、なんなのこの雨は!? 今まで雲一つなかったのに、いきなり降ってきちゃってさ。ぐぬぬぬぬ。人間お得意のてんきよほーで、この雨を予想出来なかったの?」

「だから、オレには天気予報が出来る程の知識なんかないってば。最近の晴天続きは、嵐の前の静けさだったらしい。参ったなぁ」

「まったくけーかくせーがないなぁ。ふふんっ。こーいうの、『かいしょーなし』って言うんだっけ?」

「ちょっと違うと思うけど……。偏った女性誌でも読んだのか? どうせ学ぶなら、もうちょっと終末に役に立つ言葉を覚えような。それ、人間社会が滅んだ今じゃ使い道のない言葉だぜ?」


 小馬鹿にしたように鼻で笑うシロは、言葉とは裏腹に楽しそうだ。雨に濡れて萎れた翼を気にしつつも、そこまで嫌がってる素振りはない。昨日の朝までの鬱々なシロとは大違いだ。

 エン達が造った墓場での一時、そして二人と過ごした一泊がシロの気分を晴らしたのは間違いない。多分シロも、他『人』と話せたことで何かしらの答えを得たのだろう。何にせよ、機嫌が直って良かった。


 流石に一時間も走ると、エンの『竜害』によって更地と化した一帯を抜けて、古ぼけてるが朽ちてはいない街並みが戻って来た。

 雨風避けの隠れ場所はいくらでもある。水も滴るシロの笑顔は惜しいけど、雨宿りする他ないな。無理して走ってたら事故しかねないし、また『クロガネ』のバッテリーが切れて立ち往生となっては最悪だ。


「頑丈そうなビルにでも入ろうか。『竜害』を耐え抜き終末にそびえ立つ強度なら、強風も豪雨も平気だろ」

「あんだけえらそーに旅について語ってたのに。ホンット…ダメダメだなぁ、タローってば。ホゴシャのあたしがいなきゃ、今頃どーなってたことやら」


 シロがいなけりゃ、とっくの昔に死んでたさ。

 そんな言葉をグッと飲み込み、わざとらしくため息を吐く。こんなの今更言う必要はない。今言いたいことは、こんな当たり前のことじゃない。


 ──なあ、シロ。オレはお前に話したいことがあるんだ。二人きりの雨宿りをしながら、今度こそ伝えたい。シロの語った罪悪感への、オレなりの応えを。


 

 

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