22話 猛る炎竜の想い ~後~

 変な臭いだ。岩肌を焦がす臭いとも、人肌を焼く臭いとも違う。

 フーコ曰く、炎のように温かいらしいエンの身体は、最早温かいなんて生易しい次元じゃない。それなりの距離が離れていても、その身の放つ灼熱が伝わってくる。


 まだ電波が機能していた頃に見た、一つの『竜害』ニュースを思いだす。

 燃え盛る炎に包まれた、巨大な岩のような竜。その竜が少し寝返り身を捩らせただけで、大地が焼け街が人間ごと焼失した時のニュースだ。


 ……うん。改めて見ると、間違いようがないな。姿形…特に大きさは、当時見た映像の竜とは違う。けれど、確信を持って断言出来る。あの日数万近い人間を焼き殺した炎竜が、このエンと同一の存在であると。


「──殺す…殺すねぇ? 嫌に物騒なセリフだな。あの二人に聴かれてなくて良かったよ」

「聴かれるような状況なら、言わナイ」

「オレと二人きりになる機会を見計らってた訳か。しくもお互い好都合な状況だった、と。殺す殺すと脅されたって、肝心の脅す目的が分からないんじゃ何とも言い難いね」


 目的について大体察してはいるけれど、敢えて素知らぬ顔ですっとぼける。

 盲目の人間と、人間を偽る異形の竜。手を繋いで盲目のフーコを庇いながらゆっくり歩くエンの姿を思い浮かべれば、予想を立てるのは然して難しいことじゃない。


 さながら風炎の如く、風が炎を猛らせている──その理由に。


「脅しってのは交渉の手段だ。交渉しなきゃ、ただ無意味に力を誇示してるだけでしかない。まずはそのお願いとやらを言ってみな」

「旅を止メ、フーコと共にここで暮らセ。ワタシの願いは、それだけダ」

「──アンタの願いなのに、随分他人事だな。それ、あの子も了承してるのか?」

「イイヤ。だかラ、ワタシの願いなんダ。受け入れなければ、オ前を殺す」


 炎熱の塊みたいな竜が、コチラに向けて指を差す。

 ……ふんっ、これで脅してるつもりかよ。下手くそにも程がある。人間相手のネゴシエーションは、もう少し人間を学んでから行うべきだな。無知が過ぎると力があっても脅迫にならない。むしろ余計に滑稽なだけだ。


「──はぁ。殺す殺すと喚いているが、どうやって殺すつもりだよ」

「……バカか。オ前は、ワタシが竜だと知ってるンだろ? なら、竜が人間一人くらイ一瞬で消し飛ばせることも、知ってルはずだ。以前より遥かに弱くはなったガ、オ前を焼き殺すには十分な炎で、灰にしてヤる。どうダ? 恐ろしいダろ」


 く、くくくっ。何だそりゃ。今時ハロウィーンのお化けだって、自らの恐ろしさを相手に尋ねたりはしない。

 大真面目にこんな事を問うなんて……ああ、ダメだ。腹の底から沸き上がるモノに、これ以上蓋を出来そうにない。


「あーっはっはっはっ!!! バ、バカはアンタの方だっての。墓場で人を焼き殺すとか、冗談でも言うもんじゃない。オレの言えた義理じゃないが、不謹慎にも程があるぜ。人間の弔意ちょういってもんが分かってねーなぁ?」

「何故、笑う? 冗談のつもりはないゾ」

「くくくっ! そういうの、虚仮こけ脅しっていうんだよ。よく考えてみろ。アンタの願いはオレを殺したら成就しないじゃないか。それとも、叶わないならいっそのこと──ってか? いくら力の差があれど、そんな自棄やけっぱちの脅しは虚仮こけでしかないね」


 エンは言葉を失い沈黙する。


 コイツがその気になれば、オレを一瞬で蒸発させられる。それは事実だろう。けど、そんな事実は所詮、張子はりこの虎でしかない。

 脅しとは、相手に恐怖があって初めて成立する。そして恐怖ってのは、不理解から生じる感情だ。エンは人間をあまり理解出来ていないようだが、オレはコイツを──竜をそれなりに理解出来ている。少なくとも、このペラペラの脅しを虚仮こけだと断じれる程度には。


 恐怖なき脅しなんて、弾のない銃とおんなじだ。バレてる時点で交渉の道具にすらならない。


「アンタの言う通り人間は弱いが、アンタが思ってる程人間は簡単じゃない。そのくらい、あの子との暮らしで学ばなかったのか? そんな薄っぺらな脅迫じゃあ、人間相手にイニシアチブは得られない。それよりも、オレの定住を望む理由を説明する方が、よっぽど有意義だと思うぜ?」

「命デ脅してモ、意味がなイと?」

「まあね。そもそも終末で命を盾に脅すなんてのがお笑い草だ。笑わせて貰った身としてはあまりくさしたくもないんだけど……出来の悪い脅迫で得られるモノはないよ」

「ムゥ、そうカ……」


 エンの岩肌の顔に変化はない。きっと悔しくもなければ怒ってもないのだろう。ただ純粋に『お願い』を聞き入れて貰いたい一心で、手探りながらの交渉を試みているだけ。

 表情こそサッパリ読めないが、分かりやすいことこの上ない。


「──ならバ、素直に話そう。ワタシは、人間は人間と共ニ生きるべキだと思っていル。人間ガ滅びを避けるには、そうあるのが最善ダ。繁殖ヤ生存のことヲ考えれば、当然ダ。だが、オ前にとって違うのだろウ? だから、強引ナ手段を取った」

「フーコなら兎も角、なんでアンタが人類の滅びの瀬戸際に関与しようとするのさ?」

「………」

「山程人間を殺したことへの罪滅ぼし。もしくは、あの子の為を考えてか? いや、その両方だな。どうだ? 図星だろ」


 エンが答えようとしないから、先んじて答えを示してやる。


「……どうなんだろうナ。ワタシ自身、何故なのか分からナい。だが、フーコにハ比護する存在が不可欠ダ。だからワタシはフーコと共に暮らしてルが、本来一緒になどいるべキではなイ。人間を滅ぼした竜ガ、人と共にいるなどオカしい。……オカしいんだ」

「──あ?」

「人間を比護するのハ、人間であるべキだ。その方ガ自然で、フーコの為でモある。オ前がフーコと暮らしてくれルのなら、ワタシはフーコの元を去ル。ソの方が、フーコの幸セに──」


 努めて冷静に、温厚に、エンの話を聞いていたオレの頭ん中で、何かが弾けた。


 所謂、堪忍袋や逆鱗ってヤツだろうか。これでも比較的気の長い性格を自負してはいるのだが、こればっかりは我慢ならない。自分の命をおびやかされたことよりも、遥かに許せない。頭の中で、炎竜も顔負けな火柱が立ち上る。


「何、勝手なことを吹いてやがる。人間をろくすっぽ理解してないアンタが、何故偉そうに代弁者を気取れるのさ? いる「べき」ではない? そうある「べき」? なんだその上から目線。ベキベキほざくだけの知識が、その岩みてーな頭の何処に詰まってるんだよ」

「ワタシの主張ガ、気二食わないのカ?」

「ああ、気に食わないねっ! そんなもん、犬さえ食わない愚考だ。浅知恵どころか空っぽのスカスカ思考。アンタの主張は根本の所から間違ってんだよ」


 激昂する頭でも自覚出来るくらい、口調が荒くなる。

 コイツの心の内側が透けて見えるようだ。今のエンの言葉に嘘はない。そもそも人間理解の乏しいエンに、虚言の駆け引きなんざ出来ないだろう。


 何万の人間を焼き殺した自分。その中で、息も絶え絶えながら生き延びた一人の少女。その少女を比護する暮らしの中で芽生えるモノ。芽生えた先に立ちはだかる過去。そして、人と竜の断崖の隔たり。

 熱く溶解した無数の想いが混ざりあって、エンはこんな下らない脅迫に走ったのだろう。


 エンは、自分が抱いた想いの正体どころか、想いの火種にすら気付いていないのかもしれない。頭の中で蒼くたぎる名状しがたき炎に、誰あろうエン自身が一番戸惑っているんじゃないか?


 血の昇った頭が、少しだけ冷静さを取り戻す。


「……はあっ! 無知だなぁ…ホント無知だよ、アンタ。誰が為には明白なのに、肝心の相手の想いをちっとも分かっちゃいない。──なあ、エンよ。さっきそうあるべきとほざいた妄言の未来を、フーコが望んでると……本気で思ってんのか?」

「それハ…そウだろう? ダからフーコは、人間を弔いヲ続けていル。人類に未練ガあり、人類の滅びヲ嘆いていルから……。ダからワタシは、フーコの前デ人間のフリを──」

「だーかーらーぁ!! そこが間違ってるって言ってんだよっ」


 怒気混じりに、エンの肩を拳でつ。エンの身体はビクともせず、オレの拳には強烈な痛みと熱さが刻まれる。

 こうなることはやる前から分かってたから、我慢は出来た。分かってても、拳を収められなかった。


 オレと違って痛くも痒くもなかったであろうエンは、いぶかしげにたたずむ。


「ぐうぅ……っ。ア、アンタより遥かに人間について詳しいオレが断言してやるよ。あの子は、アンタが人間じゃないことぐらい気付いてる」

「………え」

「当たり前だろうが。群盲象を撫でるとはよく言うが、象皮を一撫でしただけなら兎も角、そこそこ長いこと一緒に暮らした形だけ人間っぽい竜を、見えないだけで人間と間違うワケもねぇ」


 見た目からは全く推察出来ないが、それでもエンが戸惑い狼狽しているのは分かる。もしもシロやマホロ並に人間のフリが上手ならば、きっと銀の瞳を丸くしているはずだ。

 ほら。目に映らずとも、そのくらいは見えるもんさ。


「言うに事欠いて、なーにが人間のフリだ。殴ってもビクともしない。触れば堅くて岩みたい。体温も人肌とは程遠い。オマケに服すら来ていないっ。アンタらここに来るとき、確か手を繋いでいたよな? そんな風に触れ合っておいて、騙しおおせていたとでも思ってんのか。勘違いも甚だしい。とんだお笑い草だな」


 エンが下手くそな人間のフリをして、その嘘にフーコは騙されてるフリをする。そうして成り立っていたのが、この二人の関係だったのだろう。

 初対面の人間に即刻看破されるようなハリボテの関係だけど、二人だけの世界だから成立していた。そりゃそうだ。いくらほころびまみれの嘘でも、それを指摘する者がいなければ破綻はしない。


「ひょーっとしたら、あの子はこの街を焼いた竜であることにも、頭の片隅で気付いているのかもなぁ。体温の高ーい人間擬きが、罪悪感を抱いて甲斐甲斐しく自分を世話してくれるんだ。察しの良いヤツなら、頭をよぎっても全然不思議じゃない。ほら、アンタの記憶喪失設定なんて、笑えるぐらい都合が良いもんな。くっくっくっ!」


 フーコがエンを人外だと見抜いていたという予想には確信を持っているが、こっちは口からデマカセだ。流石にそこまでは定かじゃない。


「ふム、そうなのカ……」

「ああ。それで、こっからが肝要だ。フーコはアンタが人外だと気付いていた。或いは人類のかたきであることにすら……気付いてたかもしれない。──にも関わらず、フーコは敢えてそれを指摘せず、アンタとの繋がりを維持することを選んだ。それが何を意味するのか、足りない頭を働かせて考えてみろよっ」


 自分のこめかみをつつき、強い口調で吐き捨てる。一体何でこんなにも、エンの言葉の一つ一つが苛つくんだろう。


 ………なんてな。こんなもの、自問するまでもない。

 オレはただ、怒ってるんだ。人間と竜の間にある絆を、人間と竜だからという短絡的な理由で否定するコイツが、堪えようもなく腹立たしいんだ。


 シロとオレ。マホロと子供達。そして、エンとフーコ。人と竜の間に生まれた絆を誤りだと決め付けることだけは、絶対に許せない。


「悪いがアンタのお願いとやらは聞き入れられない。オレ達にはオレ達なりの幸福があるからな。どう脅そうが宥めようが、オレの意見は梃子てこでも動かんよ。多分、シロだって一緒の思いだ。……そして、それはフーコにだって当てはまる。あの子がアンタと共に生きることを選んだってことは、あの子にとってそれが──」

「ああ、もう…分かっタ」


 エンが重苦しい声で呟くと、まるで憑き物でも落ちたかのように、肌に帯びた赤熱色が消え失せる。物理的にも心情的にも、ようやく冷めたと考えてよさそうだ。

 それと同時に、血が昇って沸騰したオレの頭も平温を取り戻した。なんというか……改めて思うとお互いバカみたいないさかいだったな。分別の付かない子供同士が行うような、発憤するのも躊躇われる愚かな口喧嘩。


 それでも、数日前から心を覆っていた暗雲は去り、胸すく思いなのも事実だったりする。告げたいことも、吐き出したい想いも、全ては口を付いて出た。

 たまにはガキみたいに喚くのも悪くない。うん、何より気分が良いもんな。エンにはかなり苛つかされたけど、今は許せるどころか感謝すらしている。


「………ほら、あれを見てみなよ」

「あレ?」


 オレが顎で指した先には、遠くの方でシロとフーコが二人して小さな岩に向かって合掌をしている。シロのはフーコの見よう見まねだろうけど、それなりに様になってるな。

 人間と竜が揃って祈りを捧げる姿は、注ぐ晴天の陽射しも相まって、何処か神々しく映った。


「そりゃ、竜と人とは大いに違うさ。でもさ、それを結論にしてしまうのは、あまりにしょうもなくないか? 異なる部分が多いってのは、これから理解を重ねていける余地も多いってことだ」

「──ああ…そう、だナ」

「そうさ。アンタは無知だが、無知なだけ。知らないってのは、知ることが出来るって意味でもある。オレも竜を知らなかったし、シロも人間を知らなかった。んで、これは友人からの受け売り言葉なんだが──異なる部分を理解したいと思うこと……それこそが、愛なんだとさ」


 んー…やっぱりオレが言っても、様にならないな。やっぱり照れがあるからか? マホロぐらい泰然としていれば、陳腐なセリフもカッコ良くなんのかね。

 ただ、オレが自分のセリフを陳腐に感じてるだけで、エンがどう感じたのかは分からない。


 岩の如く、エンの表情は固い。ただ、思うことはあったはずだ。読めないのは、ひとえにオレがまだエンを十分理解出来ていないからに他ならない。もっとエンのことを理解していれば、この岩肌の能面に描かれてあるはずの表情だって読み解けたはずだ。


「アイ……アイ、か。──愛」


 これからもっと竜と出会い、もっと竜のことを知っていけば、エンの想いだって今よりもっと鮮明に想像出来るんだろうな。ふっ! 竜を理解する楽しみが、また一つ増えてしまった。

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