21話 猛る炎竜の想い ~中~
この清涼感溢れる蒼天を眺めていると、ここが墓地であることなんて忘れてしまいそうになる。墓地らしいおどろおどろしさなんて欠片もない、談話も弾む絶好の歓談日和ってやつだ。
「わあっ! 美味しいですね、このコーヒー。あんまり詳しくないですけど、なんというか、本格的な喫茶店の味みたいです」
「中々旨いだろ? 暇な時間はいくらでもあるから、結構凝ってんだ。豆に拘る余裕はないけど、挽き方や淹れ方は工夫のしようがある。豆の粒度における味と香りの差とか、淹れる際の温度とかな。それだけの工夫でも、案外違いが出るもんさ。それに……このコーヒーミルやドリッパーだって、それなりに高価だからな。……もちろん、金なんか払ってないけれど」
「ほえ~っ。こんな終末だってのに、マメですねえ。──あ、これ、駄洒落のつもりじゃないですよ」
「ははっ、終末だからこそ…だろ? 人類が滅びるまでは、こんな些事に拘る暇はなかった。飲食なんて喉を通る程度の味ならそれで十分だったし、コーヒーだって自販機で売ってるモノしか飲んだことなかったよ。人間社会の消滅を
コーヒーの味の比較的な良し悪しなんて、シロには語りようがないからな。人間の客観的な評価は貴重だし、何より称賛は単純に嬉しい。
それで有頂天になって長々と
「あー……やっぱり人間って、もう殆ど絶滅してるんですかね。いや、全然出会わないから、ある程度察してはいたんですけどね」
「海外のことは知らないけど、日本に限っていえば、ほぼ絶滅と言っても過言ではないかもね。──あ、けど…ちょっと前に、学校で子供達と会ったな。オレ達だってそうだけど、捜せば他にも生き残りがいそうなもんだ」
「えっ!? 他の人と会ってるんですか! えっと……そ、その子供達は今何処に?」
「さあ? 多分まだ学校で暮らしてるんじゃないか」
「え、えええー……? ほ、ほったらかしにしたんですか? あの、保護したりとか、人間同士片寄せあって生きようとか、そんな風に思わなかったんですか」
火傷を負った顔からでも、フーコの怪訝な表情が見て取れる。その声色は驚きと、それ以上の
あー……そりゃそうだ。人間と会わなすぎてすっかり失念していたが、こういう価値観を抱くヤツも、そりゃいるか。滅びの中でも集団社会を形成しようとする思想。その思想自体に異を唱える気はないが、オレにだって言い分はある。
「オレが保護するまでもなく、保護者はいたからな。オレなんかよりも、とびっきり頼りになりそうな保護者が」
「………」
盲目の瞳からでも、疑いの念が伝わってくる。
嘘は言ってないさ。その保護者は人間ではないけれど、オレより遥かに強く頼りになるのは事実だもんな。
「集団に後乗りすることによって生まれる不和もある。物資や食料に限りある終末で、既に完成してる集団に異物を加えない方が良いって考え方にも一理あるだろ? それに何より──」
「……何より?」
「オレは好きで二人旅をしてる。旅は手段ではなく目的なんだ。旅する上での指針くらいはあるけど、何処かに根を張る気は毛頭ない。少なくともオレは、滅びかけた人類の保護や社会の再建なんかはどうだっていい。オレにとっちゃ、人類がこのまま消え去ろうがそうでなかろうが、ホントどっちだっていいんだよ」
こんなこと初対面の相手に言うことじゃないが、言えて良かったな。このセリフはフーコにではなくオレの隣にいる竜に聞かせたかった本音だ。直接言うよりも他人をクッションにして伝えた方が真実味が増す。
オレの言葉がどう響いたのか、目の端に映るシロの横顔は少し
目の端に映るシロにばかり神経を割いてると、目の前の人間が放つ剣呑な雰囲気に気付くのが遅れてしまった。
シロ相手なら兎も角、人間であるフーコに語り聞かせるには偏った本音だったかもしれない。偽悪を気取るのは、オレにはちょっとハードルが高い。
「──つってもオレ自身死にたくはないし、もしも苦しんでる人間がいりゃ助けるさ。道徳観や善性まで終末に溶けちゃいない。これは単なるプライオリティ……優先度の話だ。人類と自分を天秤にかけると、後者の方が当然重い。ただそれだけ。ほら、当たり前だろ?」
「それは…まぁ、分からなくもないですけどぉ。なんか、変な人ですね。タローさんって」
この変人という評価は、かなーりオブラートに包んでいるな。多分本音では、冷酷とか冷血漢って言葉が浮かんでるのだろう。言葉とは裏腹に、フーコはあからさまに納得いかなげな顔をしている。
悪印象を与えた気がするけど……まあいいか。所詮は袖振り合っただけの多少の縁。気落ちすることもない。そんなことよりも、彼女を通してシロに本音を伝えたことの方が、遥かに大事だ。
「オレのスタンスの是非なんざ語っても、堂々巡りの
「出会いのお話ですか? う~ん……街が『竜害』に曝されて焼け野原になって、私も当然死にかけてた時、偶然助けて貰ったのが始まり…かなぁ。といっても、私は長い間意識を失ってましたから、詳しくは知りませんけど。何しろ、このケガですからね」
フーコは自分の額に人差し指の腹を乗せる。指し示す火傷痕は、まさに論より証拠と云わんばかりだ。
「その辺は、私よりもエンさんに尋ねた方がいいかもです。ただ──」
「………フーコの話に、訂正する点はない」
「この通り、エンさんは寡黙ですから。私が起きたばかりの頃は一言も話さなかったので、これでもお喋りになってるんですけどね。それに、エンさんは記憶喪失なんですよ。私同様『竜害』の影響なのか、私と会う以前の記憶が空っぽらしいんです」
はあ…無口に記憶喪失ねぇ。このエンって竜は、彼女にそう嘯いているのか。
オレには、この嘘の正体が簡単に暴ける。無口なのは、そもそも人間の言葉を知らなかったから。フーコが目覚め、彼女と語り合うことで初めて言葉を学んだ竜が、口達者な訳がない。
記憶に関しちゃ、失うも何もそもそも持ち合わせてなんかいない筈だ。シロもマホロもそうだった。竜にとっては、世界に現れたその瞬間が記憶の始まりなのだろう。
この竜は嘘を吐いている。少なくとも、フーコに何一つ真実を伝えてはいない。そして……伝えていない理由。この竜の想いが、オレには手に取るように解る。
それもこれも、『人間に成った』シロやマホロと出会って語り合ったお陰だ。この終末の世で、確かにオレは竜を理解しつつある。
だから、この竜からも訊かないとな。その想いの丈を、コイツの口から直接、さ。そうすることで、竜への理解をより深めることが出来るのだから。
「ね、ねぇ……! えと、タツミ? ……フーコ、だよね? あの……あたっ、あたしも、訊きたいことがあるんだけど……」
オレとシロとの出会いや旅路での些細な出来事。フーコから
「うん、もちろんいいよ。何でも訊いて! ──あっ、それと、フーコでいいよっ。名字で呼ばれるよりも、下の名前で呼ばれる方が好きだもん」
「あ、ありがとう……」
なんか、オレと話すよりも露骨に親しげな反応だなぁ。どうやら女の子同士という共通点は、人間同士という共通点より強い繋がりらしい。
「あ、あのさ。ここってお墓なんでしょ。つまり、死んだ人間が沢山埋まってるってこと……なんだよね?」
「うん。手入れは全く出来てないけど、そうだよ。亡くなってる人がいたら、出来るだけここに埋葬してる。まあ、見付けるのも運ぶのも、エンさん頼りなんだけどね」
「……ここには、家族とか友達とか、フーコにとって大切な人間が…埋まってるのかな?」
「うーん、それは分かんない。埋葬を始めたのは私が目覚めてからだから、野晒しで死んでた人達で原形を留めてた死体は一つもなかったんだ。そもそも大半が焼死体だったから、見付かるのは骨ばっかり。オマケにこの「目」じゃ、区別なんか付かないよ」
「そっか……」
オレなんかよりもよっぽど、人の心を汲んだシロの声色。人と生き、人という生き物へ歩み寄ったシロは、オレが竜を理解するのと同じかそれ以上に人間を深く理解しているのかもしれない。
「でも、別にいいの。死体が誰だろうとも、関係ないもん。死んでほったらかしなんて可哀想だから、出来るだけ弔ってあげたい。だって同じ人間なんだから。ねっ! シロちゃんも、タローさんだって、そう思うでしょ!!」
「……まあな」
そういえば、オレもほったらかしの死体を何度となく見てきたが、一度だってそんな気持ちは湧かなかったな。
同じ人間だから…ね。また、だ。この心の芯が凍てつくような感覚。ドクの森林公園で覚えたモノと同じだ。
オレは──オレの心は、同じ人間であるフーコとは、違う答えを出している。
「あの、フーコはさ。お墓……参り? ってのをしに来たんだよね?」
「うん。暇はたっぷりあるから、毎日してるんだ」
「じゃ、じゃあ……あたしも、その、お墓参り…してもいいかな?」
「──うんっ!! もちろん、大歓迎だよ。少しでも多くの人に想われた方が、亡くなった人達も喜ぶはずだもん。ね、エンさん。ねっ!?」
エンのテンプレートな同意の言葉を聞くよりも早く、フーコはシロの手を掴み先導して歩き出した。
盲人の歩みにも関わらず、その足取りに迷いはない。毎日参ってると豪語するだけはあるな。
シロの提案はオレにとっても寝耳に水だったが、この状況は都合がいい。まさしく天の
「なあ、エンさんとやら。オレは知らない竜と二人きりで、大真面目に語り明かしたい気分なんだが、構わないか? 竜であるアンタと人間との馴れ初め話やら、竜の心情の変化やら、私的な話題であればあるだけいい。無口とはいえ、身の上話を語れるだけの語彙はあるんだろ?」
なるべく軽妙かつ挑発的な口調になるよう意識して語りかける。釣り針は鋭く尖っているほど良い。そして、好みの
「アンタだって、人間について知りたい気持ちがあるんじゃないか? でなけりゃ、わざわざ盲目の子と共生したりしないよな。オレは人間について、アンタよりは確実に詳しい。訊きたいことがあるならいくらでも答えてやるさ」
「………話、か。そのくらい、ワタシの頼みを訊いてくれるナラ、いくらでもシテやる」
「頼み? ま、オレに出来ることなら──」
刹那、エンの火山岩みたいな肌に赤熱色が灯る。焦がす音と強い熱気。人の形を歪に模した
「悪いガ、このお願いは絶対ダ。出来るも出来ないもナイ。ハイという言葉以外は、受け付けナイ。断るなら、殺す」
抑揚のない淡々とした口調とは裏腹に、その
──どうやら、ものの見事に釣り針に掛かってくれたみたいだな。
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