20話 猛る炎竜の想い ~前~

 平原をゆっくりと歩く『二人の人影』は、どうやらコチラに向かって来ているようだ。逃げも隠れもせず、かといって近寄りもせず、成り行き任せに動向を窺っていたオレ達に気付く様子もなく、『二人』は足音が聴こえる距離まで近付いてきた。

 見晴らしの良い平原で、ここまで距離を縮めても気付かないとは、中々に鈍感な二人組だな。……まあ彼女らも、他の『人間』との邂逅なんてまず想定してないはずだし、無理もないか。


 こっちから声をかければ流石に気付くだろうが……さて、どうしよう。

 ──ま、そう警戒しなくてもいいか。竜と人の二人組ってことは、オレ達と対立する思想は持ってないはずだ。それに、人間の女性を庇うようにして歩く竜からは、危険な感じは一切見受けられない。

 なら、薮蛇やぶへびになる危険もあるまい。こんなにも希少な出会い。些細な懸念を理由に見過ごすのは、流石にもったいない。


「おーい! どなたか存じませんが、そこのお方ぁ」


 二人組の片割れ、女性の方が露骨に肩を跳ねさせる。どうやら耳には届いてるようだ。


「珍しく……本当に珍しく『人の姿』が見えたんで、袖振り合うもなんとやら。少し世間話でも──」


 オレの呑気なセリフが鼓膜を通るよりも早く、女性は音の方に──つまり、オレとシロの方に歩を向けて進む。慌てた様子で急いでもいるが、走ってはいない。まるで夜闇を行くかの如く、手探りでせわしない。こんな見通しの良い平原の朝には似つかわしくない不自然さだ。


 女性──いや、女性と呼ぶにはまだ幼く、かといって子供とも呼べない十代半ばくらいの少女は、感極まった風に身体を震わせながらオレ達の前までやって来る。彼女の同行者である竜も、手を離して歩を速めた少女の後を保護者のように付き従う。


「わ、わ、わぁ……!! え? ほ、ホントにっ!? ホントに人間!? あ、言葉を話してるんだから、人間に決まってるか。……うわぁっ!! エンさん以外の人に会うのなんて、何年振りかな」


 震える声を絞り出す少女。目の前で昂りを発奮する少女の姿と言動で、彼女が持つ不自然さの正体には即座に気付けた。


「あっ、す、すみません。勝手になんか、興奮しちゃって。こ、こんにちは……じゃないな。おはようございます。え、ええと……」

「興奮する気持ちは痛いほど分かるけど、慌てる必要はないよ。終末とはいえ──いや、終末だからこそ、時間に限りはないからね。ただの合縁もこんな世の中なら最上の奇縁だ。そして、一度結んだ縁はそう簡単に逃げたりしない。追い立てるモノは何もないんだから、のんびり話せばいい」


 興奮を冷ます時間的余裕があったお陰で、少女に比べると大分冷静でいられてるな。興奮と困惑から動揺が一挙手一投足に表れていた少女は、大袈裟に深呼吸をする。


「すー、はー……よしっ! あの、話したいことや訊きたいことはたっくさんあるんですが、まずは自己紹介でも──あ、それよりず……ここに居るのは、あなた一人だけですか?」

「……いや、もう一人いるよ。こっちも二人組だ」

「わっ! そうなんだ。あ、すいません。変なこと訊いちゃって。あの、私──」

「ああ、盲目なんだろ? 見たら分かるさ」


 少女の瞳は開いてこそいるが、明らかに焦点が合っていない。それに、さっきから会話をしているオレの方だけを向き、あらゆる意味でオレより遥かに目を引くはずのシロに一瞥いちべつもくれない。少女の目が正常に機能していないのは、火を見るよりも明らかだ。

 相変わらずの『人』見知りに驚きが合わさって無言を貫くシロを、そもそも認識出来ていないのだろう。


「あ、はい。その通りです。視界全部が真っ白で、モノの動きが微かに見えるぐらい。所謂全盲ですね。『竜害』で顔を焼かれ、さっぱり見えなくなっちゃいました。ま、焼かれて死んだ沢山の人と比べたら、助かっただけ幸運ですけどね。エンさんと暮らしてるお陰で、視力が無くとも未だに生き延びられてる訳ですし」


 言葉の通り、少女の顔の上半分には目立つ火傷が刻まれている。もう癒えて久しいだろうが、痛々しさの痕は拭えない。

 刻まれた火傷のせいでイマイチ表情が読み取れないが、少なくとも口の形は笑っているし、声も明るい。不自由に慣れてるのか、それとも気にしない振りが巧いのか、話す内容の割りにあっけらかんとしている。


「うふふっ。もう一生、私達以外で生きてる人間に出会うことなんかないのかも~って思ってましたよ。いやぁ幸運だなぁ。ほら! エンさんも、もっと大手を振って喜ばなきゃ。人類は滅びてなかったんだー、ってさぁ!」

「………ああ、そうだナ。フーコ」


 少女のすぐ後ろで立ち尽くす背後霊のような異形が、低く濁った声で同意する。


 その異形の容姿はシロやマホロと比較しても、遥かに人並み外れていた。


 頸の上に火山岩でも乗っけてるのかと勘違いしそうになる岩肌の頭部。髪の毛一本さえ生えていない頭からは、キリンの角みたいな短い突起が二本伸びている。

 身体はというと、二足歩行する爬虫類……と称するのが一番近いだろうか。ただ、爬虫類特有のしなやかさは微塵も感じない。頭部同様、岩のように角ばっている。特撮の巨大怪獣を無理矢理人間っぽい形と大きさに作り替えたような、強烈な歪さと滑稽こっけいさ。ファンタジー作品に登場するリザードマンのイメージとも異なる、比類なき異形。

 オマケにこの竜は、シロ達と違って服を着ていない。そのせいで、異形な部分が異様に目立つ。少女の火傷痕なんか目じゃないくらい、コイツはオレの目を引いた。


 シロの白鱗と白翼と一回り大きな口。マホロの巻き角と尻尾と鳥のあしゆびのような手足。露骨に人外っぽい部分こそあれど、おおよそは人間を上手に模倣出来てる『二人』に対し、エンと呼ばれた竜は余りにも下手くそだった。

 凝視するオレを、岩肌の顔の隙間から覗く銀の瞳が見つめ返す。


「とにもかくにも、まずは自己紹介ですね。私はフーコ。タツミフーコって言います。たつみから吹く風の子、です。そして彼がエンさん。二年以上前から、二人っきりで一緒に暮らしています。──といっても、本名じゃないんですけどね。エンさんは記憶喪失で、自分の名前も覚えてないんです。だから、私がパパっと名付けちゃいました。『炎』のように体温が温かいから、その一文字を取ってエン。あと、私にとって救いの『縁』でしたから、その一文字からも取ってます。あははっ! 自分事ながら、安直ですね」

「安直かもだけど、良い名前だよ。安直さは平易の裏返しだ。分かりやすさと呼びやすさが、名付ける上での大原則だと思う。今の世なら、例え安直でも名前が被る心配もないし、非の打ち所はないさ」

「……ですよねっ! ちょっと卑下しちゃいましたが、実は私もそう思ってます。うふふっ! ほら、風と炎ですからね。そこも意識しちゃってたりして」


 フーコの名乗った少女はやたら嬉しそうに喉を鳴らす。他の人間に会えて気がたかぶってるのか、初対面とは思えない気安さがあるな。盲目でも物怖じしない態度は、年頃の少女らしいっちゃらしい。


「なるほど、気炎万丈きえんばんじょうが如くって訳か。風炎合わされば、二人っきりの終末も気丈に乗り越えられて然るべき──ってね。うんうん、安直どころか深いじゃないか」

「うぇっへっへっ! そこまで誉められちゃうと、照れちゃいますねぇ!」

「──んじゃ、次はオレ達の番だな。オレはタロー。で、こっちがシロだ。ま、こっちと言っても見えちゃいないだろうけど。フーコよりちょっと小さい背丈の……女の子だ。ほら、シロ」


 いつの間にかオレの後ろに隠れていたシロを引っ張り出し、挨拶するように促す。


「え、あ、うん。えーっと……。は、初め…まし、て」

「わぁ!? 嬉しいなぁ。同年代の女の子までいるなんて。やったっ! あ、握手握手っ。握手して欲しいなっ」

「う、う~……うん」


 シロがおずおずと差し出した手を、フーコは手探りながらに握る。

 相手のテンションの高さに気後れこそしているが、なすがままに腕をブンブンと振るわれてるシロは少し嬉しそうにも見える。


 人見知りには違いないが、マホロの学校の子供達にも好かれてた辺り、『人』付き合いが嫌いな訳じゃないのだろう。初対面の相手に尻込みはしても、決して拒絶はしていない。

 まあ、わざわざ人間オレと一緒に旅をしてくれてるんだから、そこら辺は分かりきったことではあるけどな。


「それで、タローさんとシロちゃんは、どうしてここにいたんですか? ひょっとして、実は二人もこの近くで暮らしてた…とか?」

「いやいや、俺達は二人で旅をしてるんだ。縛る鎖やしがらみが何一つない世を、宛てなくブラブラさ迷ってる。人類の終末を放浪するのは、案外楽しいぜ?」

「へぇ……二人っきりで放浪の旅かあ。それはロマンがありますねぇ。私も目が見えたら、そういう選択を取ってたかも。見えない私に根なし草は、ちょっと荷が重いですから」


 声色こそ呑気ではあったが、フーコの言葉の端々からは若干の寂寥感せきりょうかんみたいなモノを感じた。


「あー……悪い。ちょっと配慮に欠いてたな。すまない」

「あ、いえいえ!! そんなことないですよっ!? むしろ私からしたら、そういう旅のお話なんて沢山聴きたいくらいです。それに、根有り草だって悪いことばっかりじゃないですよ。お家は全部空き家で使い放題ですし、比較的安全です。それに、こうして毎日お墓参りも出来ますから」

「……お墓参り?」

「はい。そうは見えないかもですが、ここは墓所なんですよ。ほら、あちこちに岩が置いてあるでしょう? あれが墓標のつもりです。私とエンさんの二人で作ったモノなんで、凄く簡素なモノですけど」


 フーコは見えない目で平原を見渡す。

 確かに、この平原にはあちらこちらに不揃いな形の石が点在していた。

 こんなもの偶然の配置でしかないと高を括っていたが、どうやら意味があったらしい。しかもよりにもよって墓石とはな。知らなかったとはいえ、中々にバチ当たりな真似をしてしまった。


「あー………ゴメン。墓石とは知らず、勝手に焚き火台代わりに使ってた」

「うえっ!? あ……あははははっ。ま、まあ、石は誰のモノでもない訳ですし? そもそも知らなかったんですから、気に病む必要はないですよ。あはっ、あははは……」

「──ホント、ゴメンな。すぐに戻しておくからさ」


 フーコの空回りな笑いが、余計に申し訳なさを駆り立てる。別にオレは信心深い方じゃないが、墓石を蔑ろにして平気なほど背信的でもない。

 それに、わざわざ墓標を作ったという事実は、この墓所がフーコにとって如何に大切な場所かということを物語っている。それこそ、家族や友人がここに埋まっているのかもしれない。──悪いことをしてしまったな。


「いえ、確かにちょっとビックリはしましたけど、構わないんです。所詮、石はただのしるしですから。そんなことより、私は二人ともっとお話がしたいですっ。二人の旅のお話とかも是非お訊きしたいですし、私達のことも二人に知って貰いたいです。ねっ、エンさんもそう思うでしょ?」

「──ああ」

「ですよね!? こんな世の中で私達『四人の人間』が出会ったのは、きっと神様がもたらした必然なんですよ。ほら、残った人間同士、仲良くしたまえ~……みたいなっ! 袖振り合うは多大な縁。でしょ、エンさん!!」

「───ああ、そうだナ」


 出来の悪い人工知能みたいな返答に満足したのか、フーコは一人で勝手に頷いている。


 それにしても──四人の『人間』、ね。さっきからフーコの言葉の端々に宿る違和感の正体に、今ハッキリと気付けた。

 言うまでもなく、ここにいるのは四人の『人間』ではない。この場に人間は二人だけだ。盲目である彼女が、初対面のシロの人外さを察知出来ないのは至極当然の話。けれど、エンに関しちゃ話が違う。いくら見えないからって、長い間一緒に暮らしてりゃ人間じゃないことくらい気付けそうなもんだし、エンの方から自分が竜であることを伝えていないことも不自然だ。


 本当に気付けていないのか、或いは──


 人間と竜。異なる存在同士、オレとシロとは違う形の絆を結んだフーコとエン。出会い頭の情報をかき集め、二人の関係性に想いを馳せる。

 ………ほんの十数秒間だけ、彼女達を頭の中で思い描いた。この終末の世界を、二人がいっいどのようにして生きてきたのか。その発端から顛末までを、頭の中に凝縮して妄想する。


 オレが突然黙ったからか、フーコは少し不安げに口元を歪ませる。

 いやいや、別に悩んでる訳じゃないさ。こんなもの即決も即決、二つ返事だ。


「もちろん、是非もなしだ。丁度ここに、目覚めの朝に相応しいコーヒーが用意してあるんだ。味と香りは保証するぜ。人類の生き残り『四人』で、コイツを飲みつつ語り明かそうじゃないか。ま、墓石の焚き火台で沸かしたコーヒーで良ければ、だけど」

「………あ、あはは」


 フーコは火傷顔を引きつらせて苦笑いをする。コーヒーにかけてブラックジョークを言ってみたが、言わなきゃ良かったな。

 そんな先に立たない後悔を抱きながら、おずおずとカップに残ったブラックコーヒーを飲み干した。


 

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