19話 荼毘に伏す火竜が如く
夏の
人類が二酸化炭素やメタンガスを景気良く排出するから地球は暑くなってる──なんてかつて声高に主張されていたが、人類がいなくなっても夏はやっぱり暑いままだ。
「梅雨も過ぎ去って、大分暑くなってきたもんだ。流石のシロも、この暑さには堪えるんじゃないか?」
「……うん」
「『暑さ寒さも彼岸まで』つってな。耐え忍んでいればわりとすぐに過ぎ去るもんだ。それまでは夏ならではを楽しもう。それが賢い暑さの凌ぎかたさ」
「………うん」
「梅雨の雨とおんなじさ。『夏は日向を行け』ってね。季節の摂理に逆らうような真似をするより、順応して楽しむ方がよっぽど理知的だ。ま、この慣用句はそういう意味ではないんだけど」
「………」
「いや、大自然の理さえもひっくり返せる竜からしたら、こんなの釈迦に説法もいいとこか。──とはいえお釈迦様だって、夏場くらいビーチで遊びたがってたと思うけどね。いくら
「…………」
「な、シロはどう思う? それとも釈迦なんて言われてもピンと来ないか? ええと…釈迦ってのはなあ──」
「ふえっ? え、なぁに、聞いてなかった。何の話?」
言わずとも、話を聞いてなかったのは分かってる。もしシロが話を聞いていたのなら、オレの冗長な無駄話なんかどこかでピシャリと遮断していただろう。オレだってそれを期待して無駄話に興じているにさ。返事のない雑談ほど虚しいものはない。
森林公園でドクの死骸と出会ってから、シロはずっとこんな調子だ。上の空で馬の耳。張りのない太鼓のように、打てともろくすっぽ響かない。鳴らせば七色に響くいつものシロとは雲泥の差だ。
リンゴが無くなってショボくれてた時とは一味違う気の抜け方だ。新たなる一面って感じで、これはこれで嫌じゃないけど、流石にここまで長続きだと心配が勝る。ドクの森林公園を去ってもう五日も経ってるんだ。そろそろいつものシロが恋しくなってくる。
オレの水車の如く回る舌も、相手がいなきゃ空回りするのが関の山。無言の終末なんて、張り合いがないにも程があるぜ。
「まだ寝惚けんじゃないのか? ほらよ。シロもコーヒー飲んで目を覚ましな。終末だろうが朝のお供はカフェインと相場が決まってるんだ」
「うん……って、にっがぁっ!! ペッペッ! こ、これっ。砂糖が入ってないっ!!」
「へ? あー…そうだったか? 悪い悪い。何せオレはブラックで飲むのが習慣だから、つい癖でな。それに、シロだって大人のレディだろ? そろそろ苦味を嗜んでもいい頃合いじゃないか」
すっとぼけた顔で
「ぐ、うう…。わ、わざとだなー!? タロー!!」
「あっははっ!
「ムギィー!! こんな……子供っぽいイタズラでエツに入っちゃってぇー。このっ! このぉっ!!」
隣に座るシロが、蒸せながらオレの肩をペシペシと叩く。ちっとも痛くはない。雪のように白い顔が真っ赤に染まっているが、力の加減を見失うほど怒ってはいないようだ。
いや…それどころか、いつも以上に力を加減している。加減し過ぎて、叩くというよりも肩にポンポン手を置いてるだけになっている。
わざと怒らせても、やはり調子は外れたままか。原因は……もちろん察している。
ドクの末路を見て表面化した、シロが持つ人間への罪悪感。遡っての罪の意識。これは、人に対する理解の芽生えと共に生じたモノだろう。そういえば、マホロも同じようなことを言っていたな。
シロの心の底で罪悪感が芽生えていることは、オレも薄々ながら勘付いていた。
やたら人間と竜を比較して語りたがることも、罪悪感を無意識に否定したがっていたからだろう。人が書いた本を好んで読むのも、シロ自身が人間の感性に近付きつつある証拠だ。
シロは、外見以上に内面が人間に寄っている。そんなヤツが『人間並』の罪悪感を抱かない訳がない。だから本や雑誌なんかは自由に読ませていても、『竜害』について記されてる新聞などからはなるべく遠ざけていた。
罪悪感の萌芽自体は歓迎だが、
粗挽きのコーヒーが強く薫りを立てる朝。顔を見せたばかりの太陽が容赦なく夏の陽を振り撒く野原にて、オレとシロはいつものように終末の一時を過ごしていた。
短い草花に覆われた草原には、至るところに小さな岩が点在していた。ミステリーサークルみたいに何者かの意図を感じる並び方だが、ミステリーサークルと同じく観測者のピントのずれた深読みでしかないのだろう。所謂アポフェニアってやつだ。
オレ達以外誰もいない平原を覆う植物被膜は
それも悪くはないが、今は
小さな岩を集めて作った焚き火台の火で沸かしたお湯を汲み、二杯目のコーヒーを淹れる。 シロはまだ、砂糖を加えた一杯目のコーヒーをチビチビ飲んでいる。
目線を向けると、シロもコチラを凝視していたのか肩をピクリと震わす。
「なあシロ」
「な、なにさ? まだあたし、怒ってるんだからね。そうやすやすと口なんか訊いてあげないんだから」
「訊いてるじゃないか。ま、悪かったよ。あれは気付けの為の一杯さ。ほら、ドクの死骸を見てからずっと物憂げな顔をしてただろ? 薄幸の美人みたいな面持ちでさ。容姿だけなら薄幸の美人の肩書きでさえ役不足なくらいだが、シロの性格にはあんま似合わないぜ」
「……ふんっ、なにそれ」
冗談めかしたオレの言葉も、残念ながら反応はイマイチ。これじゃあ言ったコッチが恥ずかしいばかりだ。
「………ねぇ、タローはさあ……怒って──ううん、憎くないの?」
「は? オレが何を憎むんだ? 憎悪を抱けるようなもん、この終末の何処にもないぜ」
「──あ、あるじゃんかっ!!
「例えばさ。オレがある日突然アリになって、アリの群れで生活をしたとする。オレはアリと共に日々を暮らし、アリと苦楽を分かち合い、アリ達と一緒にそこそこ幸せに生きるんだ」
「………なにそれ? なんでいきなりアリの話?」
「いいから。──それで、ある日一匹のアリにこう言われるんだ。『お前は人間だった頃、オレの友人を踏み殺したんだ。そのことについて、どう思う?』ってな」
「……」
「そしたらオレは、こう返す。『そんなの知ったこっちゃない』ってな。だってそうだろ? そりゃアリの一匹や二匹踏み殺してるだろうさ。けど、そんな事実を責められたって、知ったこっちゃない。悪意や害意を持って踏み潰したなら兎も角、普通は潰したアリのことなんて顧みたりしない。例えアリの立場になろうが、遡っての悔恨なんて出来ない。その時は本当に、何も思っていなかったんだから」
銀の瞳がオレを穿つ。うっかり気を抜いたら吸い込まれてしまいそうになる程の、澄んだ銀色。
あの日オレを見下ろした銀色が、今はこんなにも近く…手の届く距離にある。
いったいこの動悸は、何を意味しているのだろう? オレ自身にさえ理解が及ばない。
「………それは、アリになったことがない『人』の言葉だよ。もし本当にアリになったなら、絶対にそんなこと言えない。……絶対に」
「それは感情論だ。『未必の故意』で殺した虫けらに、抱く想いなんて何もない。オレもそうだし、シロもそうだったはずだ。アリになっても、その事実に変わりはない。変わるのは、視点と立場だけ。同じ立場になって、同情心が生まれる……ただそれだけなんだ」
「……う、うう」
「その同情心が、シロの心に
よくもまあ、こんなスラスラ張り子の空論をかざせるものだ。自分事ながら感心する。声の震えもなければ、抑揚も安定している。オレの内心が悟られることはないだろう。
この理屈が真理か否かはさておき、オレの言葉に嘘はないのだから。
「だからオレがシロを責めることはない。例えシロが、オレにとってどれほど大事な人間を殺していたとしても、『そんなの知ったこっちゃない』だ。怒りも憎しみも、あるわけがないよ」
「………タローの話には、何処にもタロー自身の気持ちがないじゃんか」
「だから、それは感情論だって──」
「──っ、そうだよっ!! 感情論だもん。でも、それがすべてじゃないの!? イヤだとか、悲しいとか、辛いとか。そんな感情全部を『知ったこっちゃない』の一言で塗り潰すなんて……出来ないよ」
シロの声は、少し涙で滲んでいる。
喜怒哀楽の
感情こそが全て。……きっと、その通りなんだろうな。理を通しても、道理に心は宿らない。理屈の正誤に関わらず、オレの言葉は屁理屈でしかないんだ。
そんなこと分かってるさ。でも、オレの立場からはこの屁理屈を押し通す他ない。
オレの気持ちが込もってないというシロの指摘は、的を射ている。
──そうさ。下手な
「「………」」
短い草花の擦れ合う音さえ響く、気まずい沈黙が流れる。破ろうにも、今のオレにシロを納得させるだけの説得力ある言葉はない。
お喋りな能弁家が二人して黙りこくること数十秒。ふざけた冗談噺で空気を和らげようと画策していたら、意外にもシロの方から沈黙を破った。
「………ねぇ。あ、あれ…あれっ!」
直前の真剣さが吹き飛んだ、すっとんきょうな声。あれ? あれって──
「──へ?」
すっとんきょうなシロの声が指し示す先にあるモノを見て、シロ以上にすっとんきょうな間の抜けた呟きが漏れる。
そこには、平原を並んで歩く『二人の人間の姿』があった。この終末ではそれだけでも十分驚くに値する光景だが、オレの心を最もざわめかせたのは、そこじゃない。
見間違いかと真っ先に目を疑ったが、どう目を凝らしても網膜に映る光景は変わらない。
『二人』の内の片方は、ただの人間の女性に見えた。遠目だから細かな容姿までの判別は出来ないけれど、若そうには見える。
そして、肝心のもう片方。ソイツはどう見ても『ただの人間』ではない。もちろん、他のどんな生き物とも異なっている。断言していい。あれは……竜だ。
人間と竜が手を繋ぎ、終末を歩いている。まるで鏡を覗いたかのような見覚えのある奇跡に、オレは
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