18話 独りぼっちの毒竜と ~後~
何の前触れもなく世界に現れた竜が『竜』と呼ばれるようになったのは、現れてから少し経った後のことだ。
現れた竜達は、その大きさも形状も個体ごとに大きく異なっていたが、彼らは一様に竜らしい見た目をしていた。
長い体躯をしならせながら、空を行く者。岩のような巨体を地鳴らせながら、地を鳴らす者。巨大な翼で風を切り、巨体に構わず軽やかに飛び立つ者。空想上に在った竜の姿。人間が太古の昔から頭の中で描き続けたファンタジーな竜の形。
まるでアリストテレスの卵と鳥の問答のように、想像と現実のどちらが先に立つのか分からないほど不可思議に空想と似通っていた彼らが『竜』と呼ばれるようになるまで、そう時間はかからなかった。
ちっぽけな人間視点で見上げれば、その厄災めいた力は途方もないほどに強大で、生物として完成しているとさえ思えた。だからこそ人類は竜を恐れたし、終いには竜によって滅びた。
確か当時は、竜を神の使いか神そのものだと崇め奉り救いを乞うた宗教団体とかもいたっけな。他にも、人類を罰しにやって来た外なる世界の調律者だの、闇の組織が造った生物兵器の暴走だの、バカみたいな宗教論やら陰謀論やらがやたらめったら唱われていた。
ま、バカみたいなことを唱えてないと、正気を保って終末と向き合えなかったのだろう。バカみたいとは思うが、
妄想の体現である竜を前に、これらの妄論を嗤う資格なんて、オレにはない。
今オレの目の前にある竜も、人間と比較するのもバカらしく思えるくらい、生物として完成して見えた。
美しく、強靭で、しなやかで、逞しい。枯れた枝の合間から降り注ぐ陽光に当てられた姿は生命力に満ちていて、時価数億の美術品よりも人の心を奪う求心力に溢れて見えた。
そして──それらの印象全てが、曇ったオレの観察眼が生み出した砂上の幻想だと言わんばかりに……
「タ、タローぉ! どうしたの、いきなり走ったりしちゃってさ。いくら人間がノロマだっていっても、急に駆け出したらはぐれちゃうかもしれないでしょっ。あたしは平気だけど、迷子になったらどうするの!」
「え、あ、ああ……ごめん」
「んー? 珍しく素直だね。──って、わあっ!? でっ…かい、竜? ……ああ、これを見っけて駆け出したんだ。ふーんっ! 竜を見かけて一目散だなんて、相変わらず視野が狭くて子供っぽいことっ」
「………なにさ、その変な語尾?」
小走り程度の速さで近寄ったつもりだったのだが、どうやら自分で思ってる以上に
置いてけぼりのシロが追い付いてオレの傍で憤慨を示す頃には、狭まった視野も多少は回復した。不意に駆け出し、唖然とした面持ちで立ち止まるオレの姿は、シロの銀の瞳にさぞバカらしく映ったことだろう。
「前はこんな見た目のお仲間ばっかりだったけど、最近だと珍しいね。キョウくらいじゃない?」
「キョウ? ………ああ、あのデカブツか」
「自分で名付けたクセに、覚えてないの? シツレーだなぁ。キョウに聞かれたら怒られるよ?」
「ははっ。あのデカブツに怒られるのは、怖くて想像するのも
それに、この木の骸の群れに囲まれていては、天までそびえる巨竜の姿は確認出来ない。そもそもオレ達は、もうキョウの骸からは大分離れた場所にいる。例え見晴らしの良い場所から眺めても、巨竜の死骸はボンヤリとしか見えないはずだ。
杞憂云々以前に、これは単なるシロの冗談だな。それが分かっているので、オレも飄々と言葉を返す。
「遠く離れた死骸のことよりも、今考えたいのはこっちの死骸についてかな」
「え!? この竜も死んでるの? き、気付かなかった……。まるで眠ってるみたいね。あの鳩と一緒で、毒を摂取して死んじゃったのかなぁ」
「それは多分違う。ここら一帯の生物を排し、この森林公園を枯れ木の森に変えた毒の大元は、十中八九コイツ自身だ。これは断言してもいい。んで、毒の主が自身の毒で死ぬはずもない。いくら竜の生態が人間の常識の外にあるとはいえ、毒性生物が自分の毒で中毒死とかお笑い草もいいとこだろ?」
それだけじゃない。この竜の死に様は、毒でもがき苦しんだようにはとても見えない。安らかで静かな……それこそ、眠るような死だ。オレ達の前で苦しみ果てたあの鳩とは死相からして異なっている。
「ふーん。んじゃ、なんで死んだのかなぁ? 竜オタクなタローなら、その辺も分かったりするの?」
「竜オタクって……。そんな終末スラング名乗れるほど詳しかねーよ」
「じゃ、この
「………いや、それは概ね分かってるけど」
「あははっ、やっぱり竜オタクじゃんかっ! なんであたしでも分からない竜のことが分かるのさ。気持ち悪ーい」
シロは大袈裟に身を捩らせ、わざとひきつった笑い顔を作ってみせる。まったく散々な言い様だな。コイツの死因に思い至るのは、別にそう難しいことじゃないっての。竜に対する深い知見なんか必要ない。これは、あらゆる生物に当てはまることだからな。
「コイツは、独りぼっちだから死んだんだよ」
「──へ?」
シロは虚を付かれたように目を丸くする。
「寂しくて死んだ…ってこと?」
「ははっ。ウサギは寂しいと死ぬとはよく言うけど、そんな不確かな理由じゃない。もっと単純明確な理屈さ」
「何さ何さ、偉そーにもったいぶっちゃって。もっとタントーチョクニューに言えないの?」
「大抵の生き物は、周囲に生命のいない状況で生きてはいけないんだ。食物連鎖の原則に則り、命は他の命を糧に成り立っている。例えピラミッドの
「ん、ん~?」
敢えて捻った言い回しをしたせいか、シロは首を捻って混乱している。難しい話でもなんでもないのに言葉のディテールを凝ってしまうのは、オレの悪い癖だ。もっと単刀直入に言わなきゃな。
「もしオレらの周りから動物も植物もまるっといなくなったら、いずれ食うもんがなくなるだろ? 狩りは出来ないし、シロの大好きなリンゴだって採れないんだからな。本物の孤独が行き着く先は、極論この末路しかない。つまり──」
「あーっ! そっか。あれだね、あれ。えっと……そうっ! 餓死ってことね?」
「竜をオレの知る生命の規格に当てはめて考えるなら、それしかないと思うぜ。ま、竜のことだから断言はしないけどな。竜の検死なんか出来っこねーし」
鳥の
『竜が竜のままだったら、世界が壊れるか、他の種を絶滅させたのち竜が自滅するか、この二択の末路しかなかったでしょうね』
辺る全てを滅殺し、その後餓死したであろう竜。コイツはマホロが語った竜の末路を、そのままなぞってしまったのだろう。
何れだけ強かろうが、優れていようが、独りぼっちでは生きていけない。シロ達と違いコイツは、独りのまま世界に適応出来ず死んでしまったんだ。
「そう、独りぼっちで死んだんだ。………哀しいな」
人間も含め、大量の生き物を殺した竜。けれど、そんな事実などお構い無しに、オレの心はこの竜を哀れんでいる。
コイツは、望んでこの末路を迎えた訳じゃない。望んで皆殺しにしたはずがない。ただコイツの存在がそのまま災害となり、結果的に色々なモノを滅ぼしただけ。大分贔屓目な擁護かもしれないが、きっとそうだ。
沢山の人を焼き殺した竜も、羽ばたきで街を破壊した竜も、津波を起こし島を沈めた竜も、コイツと同じくただ生きていただけ。人類の滅びなんて、竜にはきっと眼中にもない。だからオレも、人類の滅びなんか意に介さず、目の前にある竜の死をただ
この安らかな表情がコイツにとって救いであれば良いと、心の底から切に願う。
「ドク……ってのはどうかな?」
「──もしかして、この
「ああ、そうさ。
「ふーん、どうだろーねーっ。名付けられたドク自身に聞いてみたら?」
「聞いたところで返事がないからなぁ。死者は黙して語らず。ま、きっと喜んでくれてるさ」
「きぼー的な観測だねぇ。別にいーけどさー」
そうそう、希望的観測で構わないのさ。死人──死竜に口なし。語らぬ相手の言葉なんだから、わざわざ都合悪く解釈することもない。
シロはドクの骨張った紫色の顔を撫でている。その表情は、オレの位置からでは確認出来ない。木漏れ日の
オレと同じくドクを哀れんでいるのか、それとも同じ竜のよしみでしか受信出来ない感傷に浸っているのか。はたまた──
「ん、んんー……? あれ、そういえばぁ……ドクはこれ、死んでるんだよね?」
「どう見ても死んでるな。ピクリとも動かないし、呼吸をしてる様子もない。腐敗がないのは気になるが、キョウや他の竜の死骸も腐敗してはいなかったからな。これが竜の自然なんだろう」
「もう死んでるのに、毒を周りに振り撒いてるの?」
「毒の主が死んだからって毒そのものが消えてなくなるとは限らない。死んだ蜂の毒針に刺されることだってあるし、捌いたフグの肝臓には死に至る毒がたっぷり詰まってる。『竜害』規模の毒ともなれば、消え失せるには二、三年じゃ足りないってことだろ。死骸だって残ってる訳だし、不思議はないさ」
「むむむ、そう…なんだぁ」
イマイチ納得いかない顔でこちらを向くと、シロは細く真っ白な眉を寄せる。への字に曲がった顔すら映えるのは、オレの贔屓目のせいだけじゃない。
「そうそう。それに、そんなことよりよっぽど不思議なことがあるじゃないか」
「んー? それってなあに?」
「ドクの毒が
「あー、それこそ別に不思議はないよ。だってそれは──」
そこまで言ってシロは慌てて口を閉じる。閉じた口を覆った両手が、シロの失言を物語っている。手の甲も口の周りも硬い白銀の鱗で覆われてるってのに、口に立つ扉は酷く脆い。
これは竜の特徴ではなくシロの性格だ。この性格を熟知しているからこそ、敢えて失言を誘う言い方をしてみたが、思惑通りに転がってくれた。
シロから漏れた一言だけで、オレの一番の疑問は解消された。
終末の異常の根底には、必ず竜の姿がある。この地に満ちる異常な毒の原因が竜だったように、この毒の中でオレが生きていられる『異常』もまた、いつも傍にいてくれる竜のおかげだったって訳だ。
セツの雪、マホロの幻、モエギの繁茂、ライの電力、ドクの毒。それらと同列に並ぶ強大な能力がシロにもあり、知らず知らずの間オレはシロに救われ続けていた。強いて名付けるなら、回復……いや、違うな。無害化か。
そう考えると腑に落ちることも多い。医者もいない終末、オレは病気の一つも患った試しがない。それに数年前まで売ってあるものだけを食って生活してきたオレが、野生の動植物を食して腹を下したことがないのも、よくよく考えれば妙な話だ。人類が残した公害汚染の傷痕の影響を受けていないのも、ひょっとするとシロのおかげかもな。
『竜害』によって一変した環境で、オレなんかが生き残ってる異常。多くの疑問に確証ある答えが導き出せない終末で、この答えにはハッキリと確信が持てた。いくら口を覆ったところでシロの表情は口以上にモノを言ってる。シロが言葉を濁そうが、口を紡ごうが、二年以上一緒に旅したオレにはその程度お見通しだ。
ずっと独りぼっちだったドクとは対照的に、オレはシロとずっと一緒だった。だからこうして生きている。図らずも、独りぼっちじゃ生きられないという生命の摂理をドクとは違う形でオレも体現しちゃってたのか。
「だって──シロの持つ竜の力がオレを護ってくれてるから…か?」
「………」
「なんで言い淀むんだ? シロからすれば、ひけらかすことはあれどひた隠す
「う、うん。でもぉ……」
観念して口元を隠す両手を下ろしたシロは、普段とは異なる珍しい表情をしていた。喜怒哀楽の何れとも異なるうつむき顔は、
万華鏡のような多彩さで感情を表現するシロだけど、こんな顔は本当に珍しい。
「………ドクは多分、数え切れないほどいーっぱいの生き物を殺したんだよね?」
「ん、まあそうだろうな」
「その中には多分人間もいたんだろうし、もしかしたらタローと仲良しな人もいたのかも。そう思うと、上手く言えないけど……嫌だなーって、うううーってなるの」
シロ自身、感情を言葉に整理出来ていないのだろう。絞り出す言葉は失敗作の陶器のように頼りない。いくら読書家とはいえ、シロはまだ思考を言葉に変換するのが巧くはない。でも──だからこそ本音で語っていると分かる。
「だけど、あたしだってドクとおんなじだ。よくは覚えてないんだけどさ、あたしも竜の姿だった頃は色んな生き物を殺してたと思うんだ。知らずに踏みつけて潰したり、壊した建物の巻き添えにしたりしてさ。その中には、人間だっていただろうし……タローの、し、知り合いとかだって、いたのかも……」
体の芯が、一瞬凍える。
「あたしは竜。自分の能力がどんなものか、誰に教わるでもなくホンノーテキに知ってるよ。あたしの存在が、タローを病気や毒から護ってたことにも当然気付いてた。──けど、言えないよ。だってあたしは、タローのことは護っても人間のことは護ってないもん。それどころか、沢山殺してる。あたしは、人間を滅ぼした竜の一人……一匹だもんっ」
歪む顔に映される躊躇と後悔。その二つの感情が指し示すモノの正体を、オレは知っている。
それは、シロが『姿も心も』竜のままだったら絶対に感じ得なかった思い。目の前で死に伏すドクが最後の瞬間まで抱けなかったであろう感情。──そう、罪悪感だ。
シロの顔が、別れ際のマホロの顔と重なる。
出来損ないの頭をフル回転させても、気の効いたセリフ一つ浮かばない。何一つ口を吐いて出てこない。
普段はいくらでも回る舌の癖に、こんな時ばっかり役に立たない。クソッ! 情けないったらねーな。
独りぼっちのドクと、二人ぼっちのオレとシロ。生きてる竜と死んでる竜。罪悪感を知った者と、知らぬまま逝った者。
同じ竜でも、差がでるものだな。まるで
朽ちた森林公園で一人、人間は竜の想いに思いを馳せる。これで少しは竜の想いに近付けてるといいんだけど。
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