17話 独りぼっちの毒竜と ~前~

 川辺から離れて少し、潰れた民家の残骸に囲まれながら、スクーター『クロガネ』を走らせる。案の定、生き物の気配は何処にもない。それどころか植物ですら枯れ果てていて、草の根一本の緑すらスクーターを走らせながらでは見付からない。

 これ以上ないほど生命の息吹に乏しい景観だが、強い陽光に照らされた『クロガネ』は生き生きと調子良さげにタイヤを回している。走路が邪魔な植物で阻まれていないってのも機嫌の良さを後押ししてるのだろう。

 モーター音がまるで平原を駆ける馬のいななきのよう。生命を感じない地で機械が生き生きしてるってのは、中々に皮肉だな。


「閑散としてるな。ライの遊園地が異常に喧しかったのもあるけど、ここまでの孤独感はいくら終末とはいえ不気味だ」

「そーんないつもと変わんない気がするけどねー。タローは変なとこで繊細だなぁ。──モグモグ」

「ま、竜とは世界の見え方が違うのかもな。オレには知る由もないことだけど、その銀の瞳には矮小なモノなんざ映らない…とか?」

「むーっ! モグモグ──そんなことある訳ないじゃん。人間に見えるんなら、あたしにだって見えるもん。だいはしょーを兼ねる、だよっ!! ──モグモグ。あ、あたしにだって感じられるんだからねー孤独感っ。──モグモグモグ」


 固い乾パンを磨り潰すモソモソとした音と鋭い牙が擦れ合うカチカチという音。その音の合間の声。混ざり合う音の調子から、背後に座る竜の不満げに口を動かす様が目に浮かぶ。

 そこそこの速さで走るスクーターの荷の上でバランスを保ちながら食事をするなんて、シロは平然とやってのけてるが並大抵の平衡感覚じゃない。オレなんかにはたとえ心臓に毛が生えたとしても真似出来ない荒業だ。

 こんな真似が出来るやつに『人』並みの繊細さが備わってるとは思えない。繊細さと大胆さは、大小のように兼ね合えないっての。


「──ゴクン。……はい、タローも食べる?」

「おー、ありがと。あー……」

「はいっ」


 巣で餌を待つ雛のように口を開けていると、背後から伸びた腕が口の中に乾パンを入れてくれる。酸っぱく甘いリンゴジャムに浸された、口内を大いにくすぐる味だ。

 ただ、オレの口は味覚よりも触覚に強く反応した。唇に触れたざらりと粗いシロの指。その指の腹の感触は味覚と触覚の境を失わせるくらいには鮮烈で、酸っぱく甘いのが口に含んだモノのなのか唇に触れたモノなのか、一瞬判別が付かなくなった。


「ふふーん!! ほーらっ、タローだってお腹空いてたんじゃんかぁ。あたしばっか食いしん坊扱いしてさっー! 口を開けてれば、あたしが食べさせてあげるから……あーんしてればいいよ、あーんって。ふっふっふっ!」


 何を嬉しそうに……。ま、言われるがままに口を開けるオレに反論する資格はないけどさ。

 シロは幼く見える容姿に反して、意外と世話焼きというか……甲斐甲斐しかったりする。『他人』がそもそもオレくらいしかいないので発揮される機会に乏しいが、お節介な優しさが心に根差しているのは確かだ。

 二年以上も一緒に旅をしていれば、こういう見えにくい奥底の性格も見えてくる。子に餌をやる親鳥みたいな優しさこそが、シロの心根の本質。

 いくら相手が自分と異なる存在とはいえ、まったく理解に及ばない──なんてことはないものさ。これを知れたことが、終末の世で得た二番目の収穫かもしれない。一番は……今更言わずもがな、だ。


「でさー。タローの気掛かりはどうなったのさ? どーせまた竜を捜してるんだろうけど、まだ見付からないの?」

「どうせって……。ま、図星なんだけどさ」

「だってタローの行動ほーしんなんて単純で分かりやすいんだもん。どーせだよ。どーせどーせっ!」

「悪かったなぁ。頭ん中の引き出しが少なくて。──モグモグ…ゴクン。すぐ見付かると楽観視してたけど、案外見付からないな。もしかしたら、どっかに隠れてるのかも」


 すぐ見付かるとタカを括り、食事を後回しにして竜を捜していたが、それらしい影は未だ見当たらない。

 こんな生を感じぬ滅びた街でお目当ての生き物を捜すだけなのだから、もっと楽に発見出来るとばかり思ってた。──いや、それだけじゃない。オレの勘が正しければ、今回の竜はモエギやライよりよっぽど見付けやすいはずなんだ。

 それが見付からないとなると、遠目からじゃ見えない場所に隠れている可能性が高い。洞窟とか森とか川の中とか、はたまた建物の中とか……。こんな壊滅した瓦礫まみれな更地の街に隠れ場所なんて、そう多くはない。捜すとしても、場所は限られてくる。



 更地と化した街並みを眺めつつ『クロガネ』を走らせていると、景色の赴きがいつの間にか変化していることに気付いた。

 コンクリートの破片や崩れた家屋の残骸。辺り一面にあった瓦礫の山が殆ど見当たらない。それに舗装されてる訳でもないのに道が綺麗で走りやすい。舗装が剥げてひび割れた道路とは雲泥の差だ。


 何より大きな変化は、瓦礫の代わりに視界を埋め尽くす、無数の枯れ木。立ち並ぶ木々の枝には、たった一枚の葉っぱすら付いていない。正真正銘、死んだ枯れ木の群れだ。

 枯れ木も山の賑わいとはよく言うが、枯れ木だけが集まると賑わうどころかわびしさしか生まれない。まるでファンタジー小説とかによくある、魔女や魔獣が住まう寂れた森のよう。──いや、魔女や魔獣の姿さえ見えない分、こっちの方がより寂しい。敢えて詩的に表現するならば、この景色そのものが森という一個の生き物の死骸とでも言うべきか。

 これはこれで……壮観だな。


「うっわあ……! 木がいっぱい。でも、モエギがいたとこに比べたら鮮やかさが足りないね。あっちは緑まみれだったのに、こっちは緑色が何処にもないや」

「あれほど極端な極彩色と比べるのも酷だけど、こっちはこっちで極端だな」

「モエギとは正反対。やっぱりこれも竜のせい?」


 口には出さずに小さく頷き、スクーターを道のど真ん中に停める。降りて見に行こうとする意思が伝わったのだろう。オレがシートから離れるよりも早くシロはキャリーバッグから華麗に飛び降りて、我先にと死んだ森へと歩き出した。


「あ、ほらほらっ! あそこの石に何か彫ってあるよ。えーっと……『みどり森林公園』? だってさ。へぇ! ここ、公園なんだぁ。探せばブランコとかあるのかな?」

「石銘板だな。石で出来た看板なら終末でも残るから、オレからしちゃ有難い。名が分かるってのは大事なことだ。ブランコは……どうだろうな。街を見た感じ、あったとしても残骸しか残ってないんじゃないか?」

「え~っ。ブランコで遊びたかったぁー。公園といえばブランコなのにぃ!」

「代名詞といえば聞こえは良いが、期待に沿うようなモンじゃないと思うぞ。ライの遊園地にあった遊具を見た後じゃ、きっと肩透かしに感じるよ」

「そーゆー理屈じゃないんだってば。タローはふぜーってものを分かってないなぁ」


 何を一丁前に。風情なんて語るのは、まだ十年は早いだろうに。

 遊具が潰れ、木が枯れ森が死に絶えても、石には関係のない話。二年前とは大きく異なるであろうこの公園で、を記した石銘板だけが滅びを忘れて鎮座していた。


 『みどり森林公園』なんて名前をしている癖に葉の一枚分の緑すらない、名前負けも甚だしい公園。広大な森林面積が、逆に侘しさを際立たせている。

 だが、いくら侘しかろうとも公園の広さは本物だ。それに、いくら木々が枯れてるとはいえ森林は森林。『何か』が隠れ忍ぶには十分過ぎる場所でもある。

 終末で鍛えられた勘が囁いている。──ここに竜がいる、と。



 森林公園内の森林部を、オレとシロは並んで進む。モエギの果樹園と違い、歩きやすいことこの上ない。

 雑草や蔦の一本さえなく、昆虫や野鳥の一匹すらいない。歩を妨げるモノといえば、そこら中に立ち並んだ枯れ木だけ。その枯れ木ですら、葉がないお陰で然したる邪魔にはならない。

 生命に満ちたモエギの果樹園が此岸しがんの果てだとすれば、ここはさしずめ彼岸ひがんの入り口か。三途の川を隔てて生死をわかついなる岸も、旅人目線で眺める分にはどちらも等しく魅力的な風景でしかない。


「息づく音や枝を踏む音すら耳に残る静寂。ここまで寂寥感せきりょうかんに溢れてると、流石に感嘆かんたんするしかない」

「あたしは一本くらい実ったリンゴの樹がある方が嬉しいけどなぁ。かんたんなんかしなくていいからさ」

「……ついさっき風情を語った口は何処にいったのさ。折角の珍しい景色なんだから、無い物ねだりをするよりあるモノを楽しもうぜ」

「むー。だって枯れた木以外なーんにもないじゃんかーっ! ブランコはないし、滑り台だって何処にもない! あたしはこんなのにふぜーなんて感じないもん。つーまーんーなーいーっ!!」


 シロはブンブン両手を振り回し、全身を使って駄々をこねる。

 つまんない…ね。ま、ごもっともだな。枯れ果てた森林の壮観さは、代わり映えのしない退屈さとイコールでもある。見飽きてしまえば、つまらないと感じるのも無理はない。オレだって別に面白さを求めて枯れ木の森を探索してはいないからな。


「つまんないってのは一理あるけど、枯れ木以外に何もないってことはないはずだぜ」

「竜がどっかにいる…ってこと? ぜんっぜんそんな気配ないけどぉ」

「……多分。オレの勘に狂いがなければだけど」

「うーわぁ。しんよー出来ないなぁ」


 シロの言う通り、この森林にオレ達以外の命の気配は微塵も感じない。うーん。オレの勘が狂ってんのかねぇ。………ん?


 枯れ木の枝の隙間から、枯れた木肌きはだ以外の『何か』が覗く。その毒々しい濃紫色の『何か』は、生き物の体躯の一部に見えた。

 ──いたっ! あれは竜だ。うんうん、オレの勘も捨てたもんじゃないな。


 歩を速め、小走りとなって、視界に捉えた濃紫色の方へと近付く。死の森で唯一生きる、終末の森林公園のあるじの元へ。


「──お、おおお」


 枯れ木のない開けた場所に丸まって横たわる、巨大な濃紫色の塊。伏せているので高さはそこまでじゃないが、全長は相当なモノだろう。

 二十……いや、三十メートルはあるか。


 やっぱりというか何というか、巨大な『それ』はオレが予想していた通りの姿だった。

 枯れ木が小枝に見えるくらいの巨大な体躯。太く強靭そうな手足には、巨大なナイフみたいな爪が伸びている。折り畳まれた背中の翼は、身体の巨大さに見合うくらいに大きく羽ばたくのだろう。艶やか過ぎる濃紫の体皮は、枯れ木の森にそぐわなすぎて目がチカチカする。オレの頭くらいに大きな双眸そうぼうは厚いまぶたによって閉ざされているが、その瞳はきっと銀色なはずだ。


 目の前の竜は、はっきりと『竜の形』をしていた。

 目も眩むほどに荘厳そうごんで、雄大で、精強な……。かつて人類を滅ぼした竜の一匹が、かつての姿のままでここにいる。


 推論でしかないが、きっとこの竜は適応出来なかったから、未だにこの姿のままなのだろう。

 イルカの群れと一緒に海面を跳ねていたセツは『イルカの形』をしていた。人間の子供達と共に学校で暮らしていたマホロは『人間の形』をしていた。

 そのマホロが得意げに語った、『収斂進化しゅうれんしんか』の話を思い出す。


 『ヘビの形』をしていたモエギも、『イエネコの形』をしていたライも、きっと同じだ。彼らにとってその形状こそが、世界に適応するための変化──『収斂進化しゅうれんしんか』の指標なのだろう。

 そして、その指標を持てず適応出来なかったのが、目の前の竜。所詮は仮説でしかないが、この毒竜の末路を眺めていると、仮説が信憑性に裏打ちされる。


 シロ達とは違い世界に適応出来なかった毒竜は、枯れた森林の開けた更地で独りぼっち──眠るように死んでいた。

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