16話 光竜が指し示す先へ

 つい先日まで不安定だった空がまるで嘘だったかのように、空は雲一つない青色だ。青天白日な空がもたらす眩しい陽光は、梅雨明けとこれから到来する灼熱を予感させる。

 今は見飽きた雨雲ですら、もう少しすれば恋しくなってくるはずだ。オレは経験則からそれを弁えているが、隣の竜にはそれが予見出来ないのだろう。晴れ渡る空を歓迎するように両手を広げて深呼吸をしている。


「んんん~っ。やっぱり晴れてるって気分が良いなぁ。ね、タロー!」

「ま、ここ最近は雨続きだったからな。蓋の外れた空を仰ぐのも久し振りだ。眩しくて疎ましい気持ちもあるが、たまには日差しも浴びなきゃな」

「う~わっ、素直じゃない。相変わらずひねくれてるねぇ」

「からかうなって。実際これだけ眩しいと、上手く狙いが定まらないんだよ」


 日差す空は視界を白光で白く染め上げる。さっきから天に銃口を向けているが、まだ一度も引き金を引いていない。自信を持って引けるほど標的が定まらないからだ。

 もう何度も、空を横切る獲物を見逃している。銃の腕にはそれなりに覚えがあるけれど、こんなんじゃ折角磨いた腕も形無しだ。野鳥を狩ろうにも、今日のオレに飛ぶ鳥を落とす勢いはない。


 元々は川を渡す橋だったであろう、川原に溜まった瓦礫の山の一欠片に腰掛けて、ため息混じりの愚痴を呟く。悲しきかな、不満を口ずさんだところで、日差しが手心を加えてくれる様子は一向にない。


「狙いが定まらないなら沢山撃てばいいんじゃないの? パンパンパーンって」

「そりゃあ下手な鉄砲でも数撃ちゃ当たるさ。なんにおいても、数によるゴリ押しほど有効なやり方はそうそうない。でも、パンパンパンと景気よく振る舞えるほど、弾は無限じゃないからな。折角数を撃って腕前を鍛えたんだから、少ない弾数で狩れなきゃ本末転倒もいいとこだ」

「ほんまつてんとー? ………ふむふむ、確かにほんまつてんとーかもしれないね。うむっ!」


 シロは無駄に大仰に首を縦に振る。知ったかぶっていることが明らかな、形だけの首肯。

 いくらシロが読書家とはいえ、たかが数年ぽっちの知識には限度がある。竜が人の言語に無知だとしても恥じることなんて一つもないとは思うが、それでもシロは取り繕いたいらしい。見栄っ張りなシロらしい、変な背伸びの仕方だな。


「ま、ホンマツがテントウしてるのはいいけどさ。そもそも捕れそうな生き物が全然見当たらないのはどーゆーことなんだろうね? いつもなら、虫も動物もちょっと見回せば簡単に見付かるのにーっ」

「折角川辺にいるってのに、魚も全然見付からないしなー。見かけるのは、たまーに空を横切る鳥くらいなもんだ。いくら終末とはいえ、ここまで閑散としてるとやるせないなぁ」


 川原から周囲を見渡しても、生き物の気配は殆ど感じない。散見されるのは、数年前まで広い川幅の対岸同士を繋いでいたであろう橋の残骸、瓦礫の山ばっかりだ。この荒れ果てた崩落っぷりが閑散とした雰囲気を際立たせているのかもしれない。


「あーお腹減ったぁー!! もう諦めてさ、お昼はリンゴにしようよ~」

「モエギの果樹園で貰ったリンゴは、この前全部喰いきったろ。湿気で腐る前に全部食べちゃおーって、シロが提案したんじゃないか」

「うぐぅ……そ、そーだった」

「それに、好きだからって同じモノばっか喰うのは良くない。味覚の好みにばっか合わせて横着してると栄養が偏るぜ。こんな世だからこそ、健康には──」

「あーもうっ! 分かった、分かったってば。ホンット口うるさいんだから。人間が竜の健康を気にするなんて………変なのっ」


 耳にタコだと言いたげに、シロは先の尖った両耳を両の掌で蓋をする。

 人間が人間の物差しで竜を心配するのは確かに変かもしれないが、それでもシロをおもんばかるのはオレの役目だ。──と、オレは勝手に思ってる。多少口喧しくなるのも仕方ない。


「全くもうっ! ………って、あれ? あそこ、鳥がいるよっ鳥。ほらっ、あそこあそこ!!」

「お、ホントだ。ありゃ鳩だな。ドバト……いやキジバトか?」

「ハト! ふふふっ、美味しいよねぇ~ハト」

「だな。人類が滅ぶまで鳩肉を食う機会なんてあまりなかったが、確かに旨い。種は違うが、味が旨いせいで人間に狩られすぎて絶滅した鳩もいるくらいだからなぁ」

「ふーん。でももう人間の食べ過ぎで滅ぶなんてことはないだろうし、安心して食べよ。ほらほら、外さないよーにねー」


 シロが指差す先には、警戒心を尾首も見せず川の傍の瓦礫の上で立ちつくす一羽の鳩。あまりにも微動だにしないから気付かなかった。

 群れから離れて水でも飲みに来たのだろうか。何にせよ、降り立った鳥を撃つのは飛ぶ鳥わ落とすよりずっと楽だ。してや相手は警戒心の薄い鳩。まるでお膳立てでもされたかのような絶好の好機だ。

 よしよし、今昼は鳩肉のグリルで腹を満たさせてもらおうかな。


「見くびるねぇ。いくら的が小さいとはいえ、止まった的を外すほど腕は錆びちゃいないさ。連日雨続きだったとはいえ、な」

「……?」


 渾身のジョークだったのだが、シロにはさっぱり通じなかった。渾身過ぎたのが災いしたか。……ちょっと恥ずかしいな。


 恥をかき捨て、銃を構える。ジョークは外してしまったけど、この距離、この状況なら銃弾は確実に当てられる。さっさと引き金を──



「………あれ?」


 銃声は響かない。……当たり前だ。オレはまだ引き金を引いてはいない。なのに射線の先の鳩は、透明の弾丸に射抜かれたかのようにパタリと倒れてしまった。

 シロは不思議そうに目を丸くしている。


「……タロー、いつの間に撃ったの? いつもはあんなうっさい音が、今日は全然鳴らなかったけど」

「そりゃそうだ。なにせ、まだ撃ってないからな」

「……でも、あれ。ん、んん~?」


 不可解そうに首を捻るシロ。まあ、怪訝な顔はお互い様か。多分、オレの顔もシロと似たような表情を描いているはずだ。

 倒れた鳩に近付いてみると、やはりピクリとも動かない。触れずとも、死んでいることが容易に判る。出血はない。目立つ外傷もない。でも、あからさまに死んでいる。丁度寿命が尽きたのか? もしくは病気か何かだろうか? ううむ、どちらもしっくりこない。


「ん~、まっいいかっ! 何にせよ捕れたんだし。ほら、食べよったらたーべよ~っ」

「バカ言うなって。突然死んだ鳥なんて、原因も判らずに食える訳ないだろ? 感染力の強い病気を患ってたのかもしれないし、毒が体中に行き渡ってる可能性だってある。食ったら竜でも腹痛じゃ済まないかもな」

「え~っ!? そんなぁ……。き、きゆうじゃないのぉ。うう、お腹減ったよーっ!」

「杞憂かどうか、判断できないから食わないのさ。幸いまだ保存食の蓄えはそこそこあるんだ。たまにはパサパサの食事も悪くないだろ?」

「悪いってばぁ!! そりゃ乾パンとかビスケットだって嫌いじゃないけどさ。もう口がハトの形になってるんだよぉ…」


 イマイチよく分からない表現を用いて、シロは不満を口にする。ハトの口って……なんだそりゃ。言いたいことは伝わらないでもないが、滑稽にも程がある。不満げに尖らせたシロの口が、まるで鳩のくちばしのように見えてしまう。

 言葉にしたらシロの口がますますくちばしみたく尖るだろう。もの凄ーく見てみたいが、今は他に見なければならないモノがあるから口惜しみつつも口を慎もう。


 死んだ鳩の前で腰を降ろし、まじまじと死骸を観察する。

 俗に言う、「眠るように」とは対極にある死に様だ。目は見開き、悶え苦しんだ様子が窺える。口からは血反吐混じりのあぶくが漏れている。ある意味、弾丸で撃ち抜かれるよりも悲惨な終わり方だな。

 ………いや、死んだ当事者に悲惨も何もないか。それを思うのは、死を観測した傍観者の発想だ。この鳩からしたら、死んだことだけが真実で死に様に意味はない。

 何でもないただの死骸の在り様に、少し昔の影が重なる。


「これは……毒死、かな」

「毒死ぃ~? なーんで分かるのさー」

「今はもう見ないけど、昔はそこそこ見たからな。こんな感じの毒死体。……ふぅ。久しぶりに見ても、あまり気分の良いもんじゃないな」


 二年……いや、もうすぐ三年前になるか。

 世界に竜が現れて、人類は戦争やら疫病やらがバカらしく思えるくらいに死滅した。そんな膨大な死の中でも、特に多かったのが毒死だった。

 メディアがまだ機能してきた頃から、『竜害』による毒死は話題に上がっていたし、実際に毒死体も沢山見てきた。この鳩の死に様は、その時に見た死体の様子と類似点が多い。竜の毒に殺られたとみて、まず間違いない。

 この辺にオレ達以外に生き物の気配を感じないのも、恐らくはそういうことなんだろう。付近の空気や水が竜の毒に汚染されているから、あらゆる生き物が逃げ出した。……或いは軒並み死滅したか。


 ──だとしたら、何処かに必ずいるはずだ。ここら一帯に毒を撒く、死をつかさどる竜が。


「なぁシロ。これはオレの勝手なお願いなんだが、昼食は後回しにしないか? ちょっとばかし気になることがあるんだ」

「え~っ!! ちょっと気になる程度のことなら、頭のすみっこに追いやればいいじゃない。空腹の方が大事だってばぁ」

「いや、ちょっとは嘘だな。かなーり気になることだ。オレは腹の虫の鳴き声よりも、頭からくる虫の報せの方が気にかかってさ」

「むぅ……それ、遠回しにあたしのことバカにしてるでしょ? 食いしん坊だーって!」

「ははっ、バレたか」


 迫力に欠いた怒り顔のシロが、屈んだオレの頬を軽くつねる。そこそこの痛いけれど、もしシロが全力でつねったのならオレの頬は引き千切れていたはずだから、シロなりに相当手加減してくれてるのが分かる。

 言うなれば、じゃれてる犬の甘噛みみたいなもんだ。こんなの、痛さよりも可愛さが勝つ。


「ふんっ、まあいいよ。タローがワガママ言うなんて、どーせ竜のことに決まってるんだから。何を確かめるのか知らないけど、先によーじを優先してあげる」


 そう言い残すと、シロは近くに停めてある『クロガネ』の方へ駆けて行った。川原の砂利を裸足で踏み鳴らす音ですら、この静寂の中ではよく響く。

 オレとシロ以外に生の気配が感じられない。そんな辺り一面に、我関せずと陽光が変わらず降り注ぐ。川の水面で光が乱反射し、眩しい輝きをバラ蒔いている。


 ──竜のことに決まってる、か。

 シロの言葉は図星ではあるが、今回ばかりはそれ以外にも頭の中心で渦巻く疑問がある。それは、あまりにも当たり前すぎて見逃すような……眩しい白光の中で生じた盲点のような疑問。


 そう。もしオレの考えた通り、ここが『竜害』による毒で満ちているのだとしたら──


 なんで、オレは生きてるんだろうな?

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