13話 雷竜の輝きに誘われ ~前~

 どんより──なんてありふれた表現が似合う、厚い雲に覆われた空。天にふたされた空の下、竜と人を乗せたスクーターは今日も今日とて大地を駆ける。


「う~っ! なんか、じと~ってしてや~な天気。どことな~く翼が重~い感じがする。ね~、タローもそう思わない?」

「ん? んー、そうかぁ。イマイチ抽象的な上に翼のない人間には共感しづらい感想だな。オレはこの曇り空、嫌いじゃないぜ」

「えーっ! なんでなんでぇ? こんな太陽の隠れた空じゃあリンゴの樹だって育たないのに。知らないの? しょくぶつが育つには、水と日の光がひつよーふかけつなんだから」

「そりゃもちろん知ってるが、だからってずっと晴れがいいってのは頭でっかちな思考だ。たまの雨雲も歓迎しなきゃ、水と光で育つことは出来ない。そうだろ?」

「それは……そうかもだけどぉ。でも、嫌いなものは嫌いだもん。明るい空の方が、あたしは好きだし……みんなも好きに決まってるもん!」


 みんなとはいったい何処の誰のことなのか。おそらく深く考えての言葉ではないな。ただ口から出任せに喋ってるだけ。先日までのポカポカした陽気が余程恋しかったんだろうな。



 モエギの果樹園を去って五日が過ぎた昼下がり。真っ昼間とは思えない薄暗さが支配する道すがら、オレとシロは立ち込める暗雲についてどうでもいいほど白熱した議論を交わしていた。

 暇というのはいいものだな。こんな掃いて捨てる程下らない議論に、時間を忘れて熱中出来るのだから。この無限の余暇よかは人類の滅びのおかげ。この点は──いや、この点も、終末の美点と言えるだろう。尊い終末に感謝の意を込めて、無駄なバカ話に花を咲かせようじゃないか。


「そりゃ青く輝く晴天も代えがたく良いものだけど、暗くかげりのある空もこれはこれで自然の美しさの一面だ。悪天候とはよく言うが、天気には本来、良し悪しなんてない」

「良し悪しはなくても、好き嫌いはあるでしょーがぁ」

「それはそうだけど……ま、これ以上は平行線か」

「あー逃げたー。んじゃ、あたしの勝ちってことでいい? むふーっ!」


 後ろから、勝どきを上げよとばかりに鼻息の音。いったい何にどう勝ったのかは本人以外に知りようもないが、その本人が満足げなので水は差すまい。


 昼でも夜のように暗い曇天の空。厚い雲に隠されて、遠くにそびえ立ってるはずの巨大な竜の骸は確認出来ない。いや…それどころか、一寸先すら暗闇だ。ライトで前を照らさなきゃ、怖くてスクーターなんざ乗れやしない。

 これじゃ月明かりの分、夜の方がまだマシだ。ただ、暗いだけで怖くはないのは、後ろに座る竜の喋り声のおかげだろう。こんなのを乗っけていては、例え常闇の底に落ちようとも恐怖なんて感じようがない。


「あー、はいはい。まあ、景色の良し悪しは兎も角、オレだって雨に打たれたくはない。降りだす前に雨宿りに適した場所を見付けないと」

「………ねぇさ。もしかして、この空模様も竜の仕業だったりして」

「いやぁ、流石にそれは穿ち過ぎだろう。なんもかんも竜のせいと疑ってたらキリがない。単なる梅雨入り時の空ってだけだと思うぞ」


 時期的に、そろそろ梅雨の入り口を跨ぐ頃合いなはずだ。梅雨時の空を雨雲が覆うのは至極普通の現象。竜が引き起こす異常とは結び付かない。

 いるかどうかも分からない竜に嫌疑を向けるなら、天変地異とまでは言わずとも、せめて季節外れの降雪くらいの異常さはないとな。

 

「ま、シロは嫌いかもしれないけど、こんな曇り空くらいは常識の範疇さ。これからの時期は特に、ね。嫌でも上手く付き合わなきゃ──」

 

 ピーッ! ピーッ!


 突如耳を突き刺す、機械的な警告音。人口の音がすっかり馴染まなくなった鼓膜が必要以上に震えるのを感じる。

 ただ、馴染まなくなったとはいえ、この音が何処から聞こえて何を警告しているのかは、即座に理解出来た。


「うげぇ……バッテリー切れか。なんつー嫌なタイミングだ」

「あれぇ? ごこーせつを説いてたクセに、タローこそ天気と上手に付き合えてないじゃんか」

「……ごもっとも。反論の余地もない。偶然じゃない以上、オレの確認不足が原因だ。──やっちまった」

「ふへへっ。タローもこの厚ーい雲が少しは憎らしくなったんじゃない?」

「グゥの音も出ない。手のひら返しで太陽の光が恋しくなったよ。オレも、多分コイツも。なぁ『クロガネ』?」


 警告通りに走るのを止め、苦々しい思いを込めてスクーターのボディを小突く。高効率の太陽光パネルが搭載された黒い車体は小気味良い音で返答してくる。


「あいっかわらず、みょーちきりんな名前ー。そんな名前なら付けない方がマシなんじゃない? 文句を付けたくても付けられないこの子が可哀想だよ」

「妙ちきりんってほど酷くはないと思うんだがなぁ。──ってか、妙ちきりんなんて死語、滅んだままにしとけっての。まったく……何を読んで知ったのやら」


 大体一年くらい前のことだ。シロが肉体の変化に合わせて空を飛ぶ能力を失ったことで、オレ達は『空飛ぶ竜』ではない別の移動手段を探さざるを得なくなった。

 『竜害』によって世界は大きく変化したが、それでも「人類が滅んだにしては」文明の置き土産は沢山あった。それこそ、偶然生き延びた人間がそれにあやかれるくらいには。この前立ち寄ったショッピングモールもそうだし、マホロの学校なんかもそう。

 例えシロの翼が飛行の力をなくしても、快適に旅を行う手段は滅びの中に遺されていた。


 太陽光と動力による発電を利用して走る電動式のスクーター『クロガネ』。もちろんオレが名付けた名前であって、商品名ではない。

 語るに及ばず、太陽光パネルに覆われた黒く頑丈そうな車体を由来とした名前だ。単純ではあるが、決して妙ちきりんなんかじゃあない。……うん、決して。


 竜程速くは走れないが、今のオレ達には上等過ぎるくらいの「脚」。オレはもちろん、シロだってコイツにそれなりの愛着はある。だからシロも『クロガネ』が太陽の光を原動力にしてることぐらいは知っている。前にオレの口から説明したからな。

 だからこそ、シロはしたり顔を満面に描きながら勝ち誇ったように鼻を鳴らす。


「ふっふっふーん! とーもーあーれー、あたしの正しさが証明されたって訳だね。一対一なら平行線だけど、『クロガネ』も嫌だってんなら二対一だもん。やっぱりこの天気は「悪」天候。悪だよ。あーくー」


 なんつーかシロの奴、どんどん口達者になってる気がするな。竜の進歩は目覚ましい。いずれ、口八丁の舌戦ですら竜に太刀打ち出来なくなる日が来るのかもって思うと、憎たらしくもあり楽しみでもある。

 まあ、心中で拮抗する程五分五分の感情じゃない。九対一で楽しみの方が上回ってる。今ですら、毎日飽きもせず溢れる竜との会話が楽しくてしょうがないのに、これ以上舌が回るようになったらと想像したら、期待で小憎らしさなど吹き飛んでしまう。


 ちょっと前までは言葉を喋ることさえ出来なかったのにさ……。この進歩の速さも竜の異常の一端と言えるかも。オレはいつだって、シロを通して竜の神秘を目の当たりにしているんだ。


「──シロの正誤はともあれ、だ。降り出す前にさっさと雨宿り出来る場所を探さないと。「脚」が使えない以上、近場から見付けるしかない」

「あーっ! またそーやって話を逸らしてはぐらかすぅ。素直に敗けを認めなさいっ」

「……シロはホント、どうでもいい勝ち負けにまで拘るなぁ。──参った、参りましたとも。お姫様。言い負かされた以上、白旗上げて降参しましょう」

「わぁいっ!! またまたあたしの勝ち! ふふんっ、竜のえーちを見せ付けちゃった」


 滑稽な程に不毛な言い争いに終止符が打たれ、誇らしげに胸を張るシロ。この愉快なまでの負けん気の強さは、出会った頃から一切変わらない。

 多分シロが言葉を話せるようになって最も口にした台詞が「あたしの勝ちー」だろう。耳にタコが群生するくらいには聞いた台詞だ。


 『クロガネ』の後ろ乗せに縛り付けられたキャリーバッグの上ではにかむシロは、自分の言葉を肯定するようにウンウンと頷いている。

 小さく白い竜の一つ一つの仕草が目を引き、一言一言が耳を引く。


 徐々に人間のように変化している外見と、それに合わせて適応している内面。そして変わることのない性格。出会って二年経った今でも、シロの一言一行いちごんいちぎょうからは無数の発見がある。

 そんな発見を少しずつ積み重ね、竜の──シロへの理解を深めていく。それだけのことが、ただただ楽しい。シロの生意気さも、幼稚さも、無駄に長けた減らず口も、全てがシロの美点に思えてくるほどに。


 これこそ、恋は盲目ってヤツかね。



「ふんふんふ~ん。か~ち~か~ち~あたしの勝ち~。──って、んん? なんだありゃ? ねーねータロー。あれ、なぁに?」


 シロが指差した先に目をやると、終末にはおよそ似つかわしくないカラフルな光が瞬いていた。

 周囲が薄暗いからこそ目立つその輝きは、不自然極まりない色をしている。そう、不自然。つまり人工的な明かり。──人工的? 人間なんて殆ど残っていない終末でか?


「………なんだありゃ?」

「ねぇねぇー、あれがなんなのか確かめに行ってみない?」

「いやいや…今さっき雨宿りする場所を探すっていったばかりだろ? 目に付いた灯りにいざなわれるなんて、火に入る虫じゃあるまいし」

「あっちに雨宿り出来る場所があるかもしれないじゃんか。アテがないなら何処探しても一緒でしょ? それに、虫じゃなくて竜だもーん。勝者めーれーだよ。命令。れっつごー!!」


 ま、あながち短慮とも言い切れないか。うん、虫じゃなくて竜だもんな。例え向かう先が燃え盛る業火の中でも、シロなら問題なく耐えるだろう。

 それに、異常への興味に異を唱えられる立場じゃないしな。この好奇心に関しては、オレの方こそしっかり有しているんだから。


「……ふぅ。了解しました、お姫様。飛んで火に入る──人と竜。揃って誘導灯にいざなわれようか」

「うんうんっ。ごー!!」

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