11話 実りある萌竜の園で ~後~

 日本におけるリンゴの収穫時期は……たしか、夏の終わりのから冬までの間。農家でもないオレ達にとって律儀に守る必要のあるルールではないが、それにしたって春の半ばにまだ実が残ってるリンゴの樹はかなり珍しいんじゃないか?

 ……いや、違うな。それだけじゃない。そこはして重要じゃない。不思議なのは、こんな場所にリンゴの樹が群生していること。収穫期並みかそれ以上に実が成っていること。そして、目を見張る程に異常な樹の大きさだ。


「うわあっ! 絶景だよっ、ぜっけー。目移りしちゃう。凄いっ。とうげんきょーみたい」

「桃源郷なんて言葉、よく知ってるな。最近の愛読書は辞書か何かか? ま、ここにあるのは桃じゃなくてリンゴだけどさ」

「どーでもいいの、そんな細かいこと。むっふふふふっ! あたし、ここにずっと住み着いてもいいなぁ」

「勘弁してくれ。今はまだマシだが、夏になればこんなとこ虫だらけになる。それに、いくら好物でも同じモンばっか食ってたら流石に飽きるっての」

「いっひっひっ、飽きないもんね~。いくら食べても美味しいし、いつだってあたしの『したづつみ』を震わせるんだもん」

舌鼓したつづみな。その台詞は──グルメ本の受け売りか? 確かに沢山食べようが味は変わらない。けれど、限り有るからこそ食べた時の喜びも一入ひとしおなんだ。好きだからって同じモノを食ってばっかじゃ、その感動は味わえない。読んだ本にはそう書いてなかったか?」


 本気でここにきょを構えるつもりじゃないことくらい百も承知ではあるが、それでも語気の必死さに若干の焦りを覚えてしまう。常駐とは言わずとも、数日ここで過ごしてリンゴを腹一杯に満たしたいってくらいのことは言いそうに思えたからな。

 日本の春とはかけ離れた熱気に包まれる、日本らしからぬ環境。数年前の日本の常識とかけ離れた危険な虫や動物がうごめいてても、何らおかしくない伏魔殿ふくまでん。こんな場所で夜を越すなんて無謀な真似は人間にはとても冒せないし、竜にだって冒してほしくはない。


 軽く周囲を見回してみると、植物のつたに巻き付かれて原型が殆んど見えなくなってる立て看板があった。蔦の隙間から辛うじて窺えたのは、木遍きへんの漢字と園という一文字。

 なるほどな。ここは元々リンゴの果樹園だったのか。それが終末に勢力を拡大し、道路を食い尽くすほどに侵食した。恐らくはそういう変遷へんせんだろう。


 それにしたって、いくらなんでも勢力拡大が早すぎる。いったい何処の戦国武将だって突っ込みたくなるほどの猛進軍だ。いくら人間という敵のいない終末とはいえ、こんなの普通はあり得ない。

 竜という終末の腹心を抱え込んでいれば、もちろん話は別だけど。


「じゃあ、喉から手が出るほど欲しかった今なら、その……ひと、しお? の喜びを味わえるかもね! ほら、約束。まさか忘れてなんかいないでしょーねっ」

「たった半日で忘れるほど、人間は鳥頭じゃない。焼きリンゴだろ? グルメなシロお姫様の為に、誠心誠意作らせて頂きますよ」

「ホント!? やったぁ!!! 絶対、ぜぇーたいだからね。よぅし、じゃあ、たっくさん採ってくるんだからぁ」


 シロは太い樹の幹に右手の爪を立て、細い左腕で小さな力こぶを作る。


「お、おいおい。もしかして登って採るつもりか?」

「うん? そのつもりだけど……。だってあたしの翼には、飛べるだけの力なんてもうないもん。でも、これくらいの高さなら簡単に登れるし、危なくもないよ?」

「いや、まあ、そうかもしれないけどさ。危ないのはシロの身体というよりは……ほら、その格好で木登りなんてしたらさ。枝が引っ掛かって服が破けるだろ?」


 ついしどろもどろな口振りになってしまうオレの気苦労なんて露知らず、シロはキョトンとした顔で首を傾げる。


「こんなの別に破れたっていいもん。ほら、元から背中に二つも穴が空いてるんだしさ」

「はぁ……。それは、翼があるから仕方なしにだろ? 服がビリビリに破けて、もしはだけでもしたら単純に困るんだっての………オレが」


 眉間にシワを寄せつつ目尻を指で押さえる。そんな様子を見てようやく察してくれたのか、シロは悪戯っぽい微笑みを浮かべる。


「ひょっとして、あたしの裸を想像してるの? わーっ、エッチだーっ」

「ぐっ……あ、あのなぁ。少なくとも人間社会の常識では、公序良俗に反する装いの奴こそが非難されてしかるべきなんだ。オレはただ、シロがそうならないよう気を配ってる無辜むこの善人だっての」

「あたし竜だから、人間社会のじょーしきも、『こうりょじょーぞく』のことも知らないもんねー。にひひっ!」


 オレの苦し紛れの自己弁護は、もっとも過ぎる正論の矛で打ち破られてしまった。こう言われてしまっては反論の余地がない。

 そりゃ羞恥心を終末向けにアップデート出来るなら、オレだってそうしたいけどさ。無理なもんは無理なんだって。


「でーもーっ! 登っちゃダメだってんなら、どうやって採れっていうの? あんな高いとこ、タローがあたしを肩車したって届かないじゃんか」

「あーそれは……そうだっ! こういう時こそ、今は亡き便利な人類の叡知の使いどころだろ。危ないだけじゃない、かつての文明の利器のさ」


 太ももに着けたガンホルスターから、人類の叡知えいちたる鉄の塊を引き抜く。

 銃身を傾け、狙いを調整する。銃の腕は、この終末で身に付けた数少ない得意技能の一つ。狙い通り命中させる為のコツは、銃を支える腕の安定と──経験数。つまり、慣れだ。


 ──パンッ。


 静かな深緑の地に、乾いた鋭い音が一つ。その刹那、大きく赤い実が一つ軽い音を立てて草花のクッションにポトリと落ちた。


「ほら、どんなもんだ。結果枝けっかしだけを狙い撃ち、まるでウィリアム・テルみたいな腕前だろ?」

「……売り歩い、てる? お金なんて無価値なのに、誰かにリンゴを売り歩くつもりなの?」

「──まぁ、読書家のシロでも流石に知らないか。何でもない、採った側からシロのモノさ。どうぞお食べ下さいな、白雪姫」

「あっ! 白雪姫なら知ってる。リンゴを食べるお話でしょ?」


 拾い上げたリンゴを渡してやると、シロは大きな口でリンゴを丸かじりする。

 当たり前だが白雪姫のように倒れて眠ることはなく、その代わりにシロは幸悦こうえつの表情を浮かべる。


「ん~美味ひぃっ。シャクシャク。やっぱり、ほれはへは……シャクシャク。ひがうねぇ」

「ちゃんと飲み込んでから喋りな。まったく………ん?」


 視界の端で、細長い「何か」が鞭のようにしなる。

 今しがた実を一つ戴いた巨樹の枝に、一匹の蛇──のような生き物が巻き付きコチラを眺めている。銃声に驚いて警戒しているのだろうか?

 細長い舌を忙しなく出し入れする『それ』を遠目で見上げ観察すると、ただの蛇とは異なる点がいくつも見付かる。


 体表が艶やかな緑色の鱗に覆われたニシキヘビくらいの大きさの『それ』は、頭部から不釣り合いなほど大きな枝角を生やしていた。

 尾っぽの方は先端近くで二股に分かれ、目を凝らして見ると胴体からは小さな足のようなモノが伸びている。艶やかな身体から生えた褪せた色の足は、全く動く様子がない。どうやら完全に退化してしまってるようだ。

 遠い上に頭の枝角が邪魔して見えにくいが、その瞳は案の定銀色の輝きをともしている。


 ホント、今日はツイてるな。シロの降って湧いた幸運に加え、こうも簡単に竜が見付かるとは。竜には招き猫のように幸運を招く特性でもあるんじゃないのか?


「シロ。ほら、あそこっ! 見てみろよ。竜がこっちを見下ろしてるぜ」

「ふぁえ? ──ゴックン。あー……ホントだ。よく気付けたね、あんなの。竜のことばっかりめざといよね、タローって。……ケフッ」

「気のない返事だなぁ。こんなところで幸運にもリンゴにありつけたのだって、多分アイツのお陰だってのに。もうちょっと感謝の意を示してもいいんじゃないか?」


 満足気に一息ついたシロは、指に付いた果汁をペロペロと舐めている。採れたてリンゴの味を心行くまで堪能することに比べたら、野生の竜の存在にはそこまで興味をそそられないらしい。

 ま、竜への興味はあくまでオレの指針。竜を探しながら旅をしているのも、オレの意向でしかないからな。あまり興味がないのも当然か。


「そうなの? じゃあ、確かにお礼を言わなきゃね。ありがとう。──ええっと」


 シロは小首を傾げながら、オレの方を向く。何かを問うような、或いは促すような銀の瞳。シロが意を言葉に紡がずとも言いたいことの察しが付いたから、先回りして答えるべく頭を回す。

 ……そうだな。植物の成長を促進させる竜。茂る……いや、萌えるという一文字はどうだろう? うん、悪くない。後はどう名前に落とし込むか……。


「うん、モエギって名前はどうだ? ほら、新緑色のアイツに合った名前だろ」

「モエ……? それって、萌え~……ってやつ?」

「ちがっ……いや、あながち間違ってはいないか」

「モエ……モエギね。うんっ、ありがとーモエギ。うるさくしてゴメンね。もうその樹からは採らないから!!」


 シロの言葉を汲み取ってくれたのだろう。銀の瞳に浮かんだ敵愾心てきがいしんは奥へと引っ込み、それと同時にモエギも樹冠じゅかんの陰へと引っ込んでいった。

 ほんの短い言葉でも、対話が成立した事実がなんとなくとうとく思えた。名前もオレ達の存在も、初対面の竜に受け入れて貰えた気がしたから……なんだろうな。


 モエギを一目見た時、アダムとイブに禁断の実を食べるよう唆した悪魔の化身を連想したけれど、そんなのは見た目からくる貧困なイメージの結晶でしかない。

 異形だからってだけでそんな想像に至る辺り、オレもまだまだ竜の理解が足らないね。反省しなきゃあな。



「──で、それはいいとしてさ」


 シロは少し湿度を帯びたシットリした視線をコチラに向ける。


「あたしはもっと沢山リンゴを採りたいんだけど、一つ一つてっぽーで打ち落としていくつもりなの? いくら弾が沢山あるとはいえ、すごーくもったいなくなぁい?」

「あー……確かに。い、いや、そうだ! 太い枝を撃ち落とせば、一発で沢山採れるだろ?」

「そんな樹を傷付け過ぎるやり方、モエギが怒るんじゃないかなぁ」

「………」


 閉口。開いた口が塞がらないとは反対に、閉じた口が開かない。反論の言葉がちっとも浮かばない。ぐぅの音も出ないとは、まさにこのことか。


「──うん。やっぱり登って採ろっと」


 人外の身体能力で、太い幹をスルスルと登ってゆくシロ。止める言葉はないから、仕方なく妥協した言葉を投げかける。


「なあ! 頼むから、なるべく服を破かないよう気を付けてくれよ。半裸の女の子を後ろに乗せてのツーリングを純粋に楽しめるほど、オレの心臓は図太くないんだからさ!!」


 情けない弱音を固めて出来た嘆願たんがんの声が届いたかどうかは定かじゃない。シロはもうリンゴ集めに夢中になっている。竜の優れた聴覚も、こうなってしまえば馬の耳以下だ。


 筋違いの文句なのは百も承知だけどさ。果実ってのは採られてなんぼなんだから、もう少し採られやすい高さに実らせて欲しいものだ。

 バカみたいに高いリンゴの樹を見上げながら、今はもう姿の見えないモエギへ向けた苦笑いを作ってみる。──まだ世界に上手に適応出来ていない竜へ捧ぐ、一方的な苦笑いを。

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