10話 実りある萌竜の園で ~前~

「うう…ぐううううう……」


 スクーターの走らせてると、後ろから悔しげな呻き声が絶え間なく聞こえてくる。声の主はもちろん、キャリーバックの上で肩をすぼませ、露骨なまでに落ち込んでいる白い竜。その原因は……言うに及ばずだな。


「なーシロ、そこまで気を落とすことないだろ。食べ物である以上、期間の差はあれ腐敗は定めだ。勿体ないが諦める他ない」

「………うん」

「まぁ、腐る気持ちは分からないでもないけどな。期待感が大きいほど、当てが外れた時に落差でガッカリ感も大きくなるよな」

「………うん」

「これでも防腐には気を使ってたんだぜ? ただ、採ったのが冬真っ盛りの頃だったからなぁ。二ヶ月以上は経ってるし、必然の腐敗だよ。冷蔵庫でも使えれば違うんだろうけど、こんな終末じゃそれも叶わない。高望みが過ぎるってもんだ」

「………」

「シロの望みはなるべく訊いてやりたいが、それでもない袖は振れない。この時期にまだ実を残してるリンゴの樹はないだろうし、新しく実が成るのは早くても夏頃だろう。残念だが、それまでお預けだな」

「ん………はぁ~」


 振り向くと、ガックリという擬音が聴こえそうなくらいに肩を落としたシロの姿があった。今のシロは人間の範疇で比較しても小柄な部類だ。そんな小さなシロが、よりいっそう小さく見える。


 シロだって、嗜好品の有限さについては理解が及んでるはずだ。二年近く終末を生きていれば、無理なものは無理と正しく妥協出来る。その道理は竜だって変わらない。

 ただし、それはそれ。理屈で意気消沈した心を抑え込むことは出来ない。これもまた、人間にも竜にも共通する道理のようだ。


 そも、こんな二人っきりの終末で不満を抑え込む必要もないし、オレとしても抑え込んで欲しくはない。

 喜怒哀楽の情緒が激しいシロだけど、こんなあからさまに落胆の表情を浮かべるのは珍しいからな。これはこれで普段とは違ったのおもむきがあって……結構愛らしいとさえ思う。我ながら、やましい考えだ。



 竜の貴重な面持ちを振り向き様に堪能しながら、貸し切りの公道で自転車を走らせる。道幅が広く車線の多い道路。おそらく昔は見晴らしもよく走りやすい道だったのだろうが、今となってはその面影はろくに残っちゃいない。

 舗装の為のコンクリートは、生い茂る植物達の成長という抗い難き力に負け、無惨にも大半が瓦解している。かつて道路だった名残のコンクリート片だけを残し、太い木々や草花が伸び放題。みちと呼ぶにはあまりにもそぐわない。まるで小規模のジャングルみたいだ。

 コンクリートジャングルよりかはただのジャングルの方が景観に優れているとも評せるが、それでも見通しの悪さは如何いかんともし難い。それに──


 ガタンッ!


「おわっ!?」


 隆起した木の根っこだかコンクリート片だかがタイヤとぶつかり大きくぐらつく。端から安全運転をしていたおかげて、スクーターごとスッ転ぶのだけはなんとか踏み止まれた。

 ふぅ……危ない危ない。みちが荒れてると、これが怖い。こんな場所で転けたら怪我は避けられないし、こんな終末で怪我は避けたい。それに、大事な『脚』が壊れるのもゴメンだからな。


「大丈夫か? シロ」

「んー……うん。だいじょーぶ」


 杞憂に終わると分かりつつ、シロに心配の声をかける。

 乗り手がシートから跳ね上がるほどの衝撃があったのに、不安定なキャリーバックの上で脚をぶらつかせながら座っていたシロはどこ吹く風。平然と座ったまま、上の空な生返事を返してきた。


「流石は竜。心配するだけ野暮だったな」

「あたしはだいじょーぶだけど、弱っちい人間は気を付けなきゃダメよ。タローこそ怪我はないの?」

「なんとかね。運が良かった。ま、シロにこんな優しく心配してもらえるんなら、転ぶくらち望むところだけど」

「………うん」


 あらら、こりゃ重症だ。普段なら鼻で笑ってバカにするか、変なこと言うなと語気を荒げて憤慨するかのどちらかなのに、今日はどんな茶化した冗談を口ずさんでも暖簾のれんに腕押し、ぬかに釘。馬の耳ならぬ…竜の耳に念仏だ。


「上の空が過ぎる。想像以上に焼きリンゴって字面に心惹かれてたんだな」

「うう…言わないでよぉ! 食べられないって分かってても、よだれが出てくるじゃないっ。──ぐすんっ」


 言葉通り、シロの大きな口の端からは期待と高揚の結晶であるよだれが垂れていたので、袖をハンカチ代わりにして拭いてやる。

 シロの口まわりを触っていると、頬越しでも鋭い牙の感触が伝わってくる。ずっと触れていても飽きない。いや……飽きないどころか、こういう細かな人間との差異に触れるのが楽しくて仕方ない。

 金属のような滑らかさと、紙ヤスリのようなザラザラ感が混在した鱗。人間よりもだいぶ大きく開く口と薄く綺麗な色の唇。頬を指で軽く押すと、表面の鱗の固さと頬の弾力が同時に伝わる。軽く口端を摘まんでみたら──


「うー…もうっ!! あんまりグリグリしないでよぉ!」

「ん? あ、ああごめん。なんかシロの顔をこねくり回してたら楽しくてな。……ほら、あれだ。落ち込む仏頂面もこうしてほぐしてたら、粘土みたく朗らかに変わるかも──ってな」

「なにそれ! またバカにしてるでしょー、タローの癖にぃ!! そーやってバカにする方がバカなんだからぁ」

「お、ほぐした甲斐があったか、ようやくいつもの調子に戻ってきたな。仏頂面もそれはそれで可愛いけど、やっぱシロは表情をコロコロ変えてる方が張り合いがある」


 シロの裸足の脚がオレの腹を蹴る。人並み外れた身体能力を持ってるはずなのにちっとも痛くない。照れ隠しの為だけの蹴りだ。うんうん、落ち込んでは怒るを繰り返す。これでこそ采色不定さいしょくふていなシロらしい変化の富み具合だ。

 人間よりも心なしか硬いシロの足裏を服越しに堪能しながら、改めてそう心得る。



 スクーターに乗ることを諦め、押しながら草木生い茂る路を進む。コンクリートの隙間で成長した植物によって道路の舗装が剥がされてる。この光景自体は然程さほど珍しくない。終末によく見る平凡な景色の一つだ。

 ただ、たった二年でここまで植物に覆われることは、流石に珍しい。四季の変化に激しい日本で、ここまで大きな木々が育つだろうか。いくら春とはいえ、これじゃまるでジャングルだ。


 少し歩き進めると、植物達の繁栄はよりいっそう顕著けんちょになり、比喩ではなくジャングルのようになってきた。

 最早不自然なのは錆びたガードレールや倒れた標識の方であり、かつて道路であった名残は殆ど残っちゃいない。


 日本を散策していたら、突如として熱帯に迷い混んだかのような変貌へんぼうぶり。人間がいなくなっただけで、はたしてこうも変わるものか? もちろん、答えは否だ。人類の支配から解放された日本で旅をした、その実体験から分かる。

 つまりこの変化は異常な訳だ。そして、終末における異常の根底には、いつだって竜がいる。おそらくはこの深緑の地の何処かにも──


「ね、ね、来た道を戻った方がいいんじゃない? 迷子になるよ」

「ん、分かってる。そこまで深入りはしない。ただ、ちょっと気になることがな……」


 大きな竜の姿のままならともかく、シロやセツやマホロのように別の生き物の姿に擬態ぎたい……いや、進化しているとしたら、余程の偶然に恵まれない限り、竜を探し出すことは困難を極めるだろう。

 こんな瓦礫と植物にまみれた地で、どんな姿をしてるかも分からない竜を確実に見付けるなんざ、ファンタジーの名探偵でも無理難題だ。


 もちろんオレにだって難しい。ただ、オレには探偵の才覚の代わりに二年の間で培った竜の知識がある。知識さえあれば、捜索の取っ掛かりくらいは作れるさ。

 セツによる降雪もそうだったが、竜による環境変化は竜を中心として周囲に影響を及ぼすらしい。つまるところ、影響が濃くなればなるほど竜に近付いているって訳だ。それに誰より竜を沢山見てきた経験上、姿形も目敏く判別出来る自信はある。

 竜探しに関してなら、名探偵なんかよりもよっぽど適役がここにいるんだ。なら、深入りしない程度に踏み込むのも一興さ。


「それにしても歩きづらい。オマケに虫も多いし……。そんな薄手のワンピース一枚しか着てなくてよく怪我しないな、シロ。オレみたいなただの人間がこんな場所で裸足になったら、足の裏がすぐさまズタズタになる。上着はあるから、着たらどうだ?」

「いらないもん。なんたって竜なんだから! 虫や草に怯えるほど弱くないもんねーだ。にひひひひっ!!」

「──にしたってだなぁ。靴ぐらい履いても不都合はないだろう。シロの足はマホロと違って、靴のサイズが人と合わない訳じゃないんだ」

「だーかーらー、いらないってば! 竜は人間と違って強いんだよ。ほら、ほーら。こんなにジャンプしたって平気だもん。凄いでしょー」

「あー凄い凄い。心底嬉しそうにしやがって。頬をほぐし過ぎたのがいけなかったのかね」


 悪路に苦戦しながら重たいスクーターを押す人間を余所よそに、軽装の竜は軽快に駆け出して行く。

 純白のワンピースをなびかせながら裸足で飛んで跳ねてを繰り返す少女の姿は、ある種清廉な美しさすら感じる。背景が自然豊かな緑一色なのも、そんな清廉さを増長させている。


 さっきまでの不貞腐れなんか、まるで忘却の彼方にでも置いてきたかのような切り替えよう。

 まあ……この天真爛漫てんしんらんまんさこそが、シロらしさか。呆れもするが、そんな呆れよりも感心が勝り、感心よりも好意が勝る。


「竜の凄さは知ってるからさ、あんまり先に行かないでくれよー! こんな場所でシロとはぐれたくはないからな!!」


 先行し過ぎて見えなくなったシロの背に向けて言葉を投げ掛ける。

 すぐに楽観的かつ自信たっぷりな減らず口が返ってくるものだと待っていたが、何故か返事が届かない。


 聞こえなかった、というのはないだろう。竜の聴覚は人間よりも遥かに良い。今のシロの身体でも、そんな優れた聴覚は健在だ。この虫の羽音すら聴こえる静寂の中で、人間の呼び声を聞き逃すはずがない。


 急にまた不貞腐れがぶり返したのか、もしくはオレの耳が返事を聞き逃したのか。

 一瞬頭ん中で理由を詮索せんさくしたが、答えは歩いたすぐ先にあった。


 立ち止まって、少し上を眺めるシロ。空を仰ぎ見ているのではない。唖然あぜんとした顔で、一本の巨樹きょぼくを見上げていた。


「あ、あ、あ………タロー!! あれ、あれあれあれっ!」

「まったく…急に走ったり止まったり、相変わらず忙しないな。そんな興奮してどうしたんだよ」


 鼻息を荒げたシロが指差す先、巨木の樹冠じゅかん部分には──


「───って、おお………マ、マジか」


 オレの背丈の何倍もある巨木の樹冠じゅかんには、果実がたわわに実っている。この木はどうやら果樹のようだ。

 実り盛りと主張するように真っ赤にれたその実の名前を、オレは知っている。牙を剥き出しにした喜色満面の竜ですら、当然のように知っている。そう、これは──


「リンゴ…だよねっ、あれ!! うわっ、あははっ。やったあっ!!」

 

 光景の異常さを実感していないシロは、ただ無邪気に喜んでいる。異常さを理解しているオレはというと……。


「いやぁ…なんて都合の良いこった。笑う門にはなんとやら。いくら終末でも、日頃から笑顔は絶やすなって教訓かね。あ、あはは……良かったな、シロ」


 理解してようがいまいが、どちらにせよ異常を受け入れる他ない。竜という新参者しんざんものが住み着き、変わり果てた世界でなら、かつて異常だった事象も正常となり得る。

 オレに出来ることはといえば、世界を疑うのではなく受容すること。ただ──それだけだ。

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