9話 轟竜の唸り声のように

 朝起きて、歯を磨く。髭を剃る。顔を洗う。こんな終末でも、かつての当たり前を当たり前に続けている。歯ブラシは新品を何本か常備してるし、ナイフで髭を剃るのもずいぶん慣れた。

 歯は兎も角、容姿を気遣う理由はあまりないかも知れないけれど、それでもこのルーティーンは変わらない。習慣による惰性というよりは、あまりないってだけで乏しいなりに理由があるからだ。

 こんな世界でも、オレの容姿を評価する目が完全になくなったって訳じゃない。一人っきりではない以上、一応身なりには最低限気を付けなきゃいけない。その目が例え、人の目ではないとしても。


 朝日がまだ低い。いつもより、だいぶ早く起きてしまったな。シロが目覚めるまで、それなりにまだ時間がありそうだ。

 コーヒーを淹れるのは後回しだな。時間が変に空くのは好きじゃない。手持ち無沙汰にならないように、やるべきことをやるか。


 ガンホルスターの銃と予備の銃二丁を取り出して、大きな瓦礫をテーブル代わりにして並べる。

 銃をバラして、点検して、軽く掃除して組み立てる。オレにとって大切な有限の武器。それが人間の叡知の塊である銃だ。どれ程手入れしようがやり過ぎってことはない。

 まあ例え壊れたとしても、然るべきとこを探せば同じ物はいくらでも見付かるだろうけど。

 かつて警察が装備していたリボルバー式の拳銃。花の名前を冠してる癖に無骨で真っ黒なその拳銃は、無論三丁とも拾ったモノだ。弾丸も当面の憂いがない程度には沢山ある。


 食料確保の狩りや自己防衛、何よりシロを守る為に、コイツは絶対に必要だ。

 竜といえど無敵じゃない。それは天にそびえ立つあの巨大な竜の死骸が何より証明している。それに今のシロは人間より少し頑強なだけで、以前と比べれば見た目を含めた全てが人間に近付いている。


 拳銃なんて二年前までは一度たりとも使ったことはなかった。日本で暮らしていて銃を扱う機会なんて、普通ならまずない。実銃を見る機会すら一般人の立場じゃ殆どなかった。

 そんな凡人のオレだが、この二年で銃の扱いにも大分慣れた。今じゃ目を瞑ってたって組み立てられるし、肝心の腕前だってかなりのものと自負してる。多分、元々この銃を携帯していた奴よりは巧いんじゃないかな。経験値の差も雲泥だろうし。

 凡人がそれなりに拳銃の腕を極めるまで、何丁の銃がおしゃかになり、どれだけの弾丸が鉄屑になったのかは覚えてないけれど──ま、そこはご愛嬌。必要経費と割り切れる。

 いくら銃を撃とうが何に銃口を向けようが、誰一人文句を言ってこないのが終末の良いところなんだからな。


 同型の銃を三丁それぞれ組み立て直す。銃身、引き金、撃鉄、弾倉。何処も問題なし。後は──


 バンッ! バンッ! バンッ!


 三丁の銃を持ち替えながら、西部劇気取りで三発の弾丸を発砲する。竜の唸り声のよく通る銃声を上げて撃ちだされた三発は、それぞれ数十メートル先の木の幹、枝、葉に命中した。

 よしっ! 狙い通り。銃はもちろん、弾薬も正常。当然ながらオレの腕も錆びちゃいない。むしろ寝起きにしては冴えてるくらいだ。

 銃も弾丸も経年劣化しづらいとはいえ、命綱だもんな。折を見ては確認しとかないと、おっかなくって堪らない。


「ふぁああ~っ……。な~にやってんのさぁ、タロォー。朝っぱらからうるさいなぁ」

「あー、悪い悪い。起こしたか? 銃声が届かないように離れてたつもりだったんだけど。オレもまだまだ銃の轟音に慣れてないってことかな」

「あたしは別に……もう起きてたし。でもでもっ! きんぎょめーわくだって言ってんのー」

「金魚? ……ああ、近所迷惑ね。近所も何も、ここには瓦礫の山しかないだろ。気を使おうにも相手がいない」

「うぐっ! そんなことないもん。と、鳥とか……虫とか? い、いっぱいいるでしょーがぁ!!」


 近所迷惑なんて本で覚えたての台詞を使うから、変な間違えや齟齬が生まれるんだっての。五年前までの知識を鵜呑みにしたところで、終末に通ずるものはそう多くないんだからさ。


「そんな危なっかしいモノ、よく扱えるよね。竜の姿だった頃のあたしが全速力で飛ぶ時よりも速いスピードで鉛を飛ばすなんて、しょうきのさたじゃないよ」

「……リボルバー式だから、これでも素人が一から扱う分には易しかったんだぜ? 自動式オートマチックと比べて暴発は起きにくいし、薬莢やっきょうも飛んで来ない。最悪一歩間違えれば、事故で腕がぶっ飛びかねない。日本警察が安全重視で助かったよ」


 シロは苦虫を五、六匹まとめて噛み潰したようなしかめっ面を浮かべる。

 まあ、手に握った物が内側で爆発を起こす訳だからな。危ないのは当然だ。今だって、右の掌に衝撃が残っている。


「確かに危ないのは事実だけどさ。危ないってのは強さの裏返しでもあるだろ? 人間から見た竜だって、まさしくそうだ。オレからすれば、全速力のシロに乗って空を飛ぶのだって怖くて堪らなかったけど、これだって危ないだけじゃないシロの強さの一つだっただろ?」

「あたしは巧く飛んでたし、危なくなんかなかったもん」

「んじゃ、オレだってそうさ。巧く撃ち、この危なさを強さとしてのみ使ってみせる。心配無用だな」


 オレの屁理屈に、シロは納得いってないながらも二の句が継げないでいる。理論武装の口八丁では、まだオレの方が一枚上手なようだ。


「それにさ、なんだかんだ言って銃は格好いいぜ? 西部劇でよく見る荒野のガンマンみたいでさ。──って、流石に西部劇は知らないか」

「知ってるもん! ゴーヤの乾パン? でしょ。今日の朝ごはんの話だねっ。……なんか凄く合わなそうだけど」

「……ゴーヤなんか食ったことないだろ。お前」

「食べたことはないけど、前見た本に載ってたもんねーっ! スッゴい苦いんでしょ? 一回くらい食べてみたいかも」

「オレだってシロがゴーヤを食べて蒼白な顔を浮かべるとこは見てみたいけど、この辺じゃ見付からないだろうなぁ。はは、残念だ」

「そんな顔しないもんっ。竜は人間よりもずっと強いんだから。苦いのなんかへっちゃらなんだからっ!」

 

 味覚に強弱は関係ないと思うけど。それに、オレの知るシロは結構な偏食家だ。あの癖の強い味に耐えられるとは思えないね。ま、機会があったら楽しみにしておこうか。



 マホロ達と別れてそれなりの日数が経った。オレが携帯する簡易地図じゃ正確な現在地までは把握しきれないけれど、目印のお陰で大まかな所在地くらいは分かる。

 見上げればすぐ近くにある、日本一高い山。そんな称号を持つ山が霞む程の迫力を放つ巨竜の死骸も、そこに並び立っている。


 まるで竜と山とが対峙して、これから相撲でもとるんじゃないかと思わせるような光景。

 この片方が二年前には動いていたというのだから、恐ろしい話だ。この竜の歩みで、いったいれだけの生き物が死んだのだろう? 巨大な足に潰された者。大地の破壊に巻き込まれた者。崩れた建物の下敷きになった者。

 オレ達が一晩を明かした、かつて街だったであろうこの瓦礫の山の下にも、多分無数の死骸が埋まっていることだろう。もう瓦礫の下で潰れた人骨を見かけたくらいでは、驚くことすらなくなった。マホロの学校付近の街みたいに崩壊してない街の方が、圧倒的に少ないのだから。



「あのデカイ竜の近くは通らない方がいいだろうな。北にぐるっと迂回しながら進もうか。山道を避けるとなると大分遠回りしなきゃならないけど、急ぐ旅でもない」


 銃を片付け、朝食とコーヒーの準備にいそしみながら、今後の進路についてシロに提案してみせる。

 シロに日本の地理への理解があるはずはないから無意味な提案ではあるんだけど、無意味か否かは問題じゃない。二人旅なのだから、行く先は二人で決めるべきだからな。例えシロが、毎度気の抜けた返事しか返さないとしても。


「ふぇっ、なんで? タローはあの竜をもっと近くで見たいんじゃないの?」

「ま、それはそうだけど……単純に危ないだろ? あんな巨大な竜の下を通るってだけでもどんな目に合うか分かったもんじゃないってのに、足元の不発弾にまで注意を向けなきゃならない。オレの趣味嗜好を押し通すには、いくらなんでも割りが合わな過ぎる」

「ふーん。タローなら、そんな危険を省みないで近寄っていきそうなものだと思ってたけど。ほら、飛んで火に入る夏の虫みたいにさ」

「お、難しい言葉を知ってるな。でもオレは、虫ほど無謀じゃない」

「へー……」


 口をへの字に曲げたシロは、含みある視線をこちらに向けてくる。いったい何を言いたいのやら。


「──でもでもっ! こないだはマホロと二人っきりになったじゃない。あたし以外の竜と二人きり、あれだって十分危なかったと思うけどぉ? 人間なんて弱っちいんだから、竜と比べたら虫みたいなものだもんっ」


 シロは怒ったように捲し立てる。というか、実際怒ってる。あらら、まだ根に持ってたか。


「なのに……わざわざあたしを遠ざけてまで二人きりになってさぁ。あんなの、無謀みたいなものだもんね。竜を知りたいってのは分かるけど、けーかいしんが足りないんじゃない?」


 マホロ達の元から去った後もシロから随分と怒られたものたが、今回のシロの怒りは質が違う。あの時はシロに対するオレの扱いに腹を立ててたようだが、この憤慨は──


「なあ、シロ。ひょっとして、オレのことを心配してくれてるのか?」


 さっき銃を扱ってた時も、シロは妙に心配性な素振りを見せていた。シロの前で銃を撃った経験なんて、それこそ数えきれないほどあるというのに。

 彼女の憤怒の正体は、オレ身を案じてのこと。そう考えれば辻褄つじつまは合うし、シロらしくもある。ただ、こんな分かりやすく示してくるのは珍しい。俗っぽい言い方をすれば、ツンデレのデレ成分が、普段よりもずっと多い。


「は、はあっ!? 違うもん。バ…バカじゃじゃいのっ!? ただ……弱っちいんだから、ちゃんと、身の危険を考えなきゃって……そう言いたかっただけだしぃ……」


 いやいや、それを心配って呼ぶんだって。

 そんな軽口を叩いてやろうとも考えたが、巧く言葉が紡げなかったので止めておいた。オレの心中で照れが勝った証拠だろう。

 出会って二年経った今でも、シロと喋っているとこうして時折無性な心地好さに胸を揺さぶられる。

 シロの顔の鱗に覆われてない部分が、ほんのりと紅く染まっている。白銀の鱗との対比でか、赤みを帯びた頬がとても目立つ。自分じゃ分からないけれど、オレの顔も同じように赤らんでいるんだろうな。


「分かった、分かりました。ありがたく胸に刻んでおくよ。危ないとこには極力一人で近寄らない。終末を生き抜く為の金言だな。うん」

「わ、分かればいいんだよ。分かれば」

「んじゃ、そんなありがたーい忠告に感謝の意を込めて、今朝は少し手の込んだ朝食にしようかな。なあ……焼きリンゴって、知ってるか?」

「焼き……リンゴ!? な、なにそれ、なにそれっ!? リンゴを焼くの、なんで?」


 案の定、怒りも何も放り出して、目を輝かせ食い付いてきた。


「焼くだけじゃあないけどな。オレも食ったことはないけど、結構旨いらしい」

「……ごくりっ。た、食べたい食べたい!」

「オレも初めて作るけど、この前本で調べた限りそんな難しくなさそうだったから、多分大丈夫。終末に書から新たな知見ちけんを得るのは、何も竜だけの専売特許じゃないってね」


 今朝は頬を綻ばしながら溶けるように笑うシロを眺めながら、手引きのコーヒーに舌鼓したつづみを打ちたい気分だ。

 終末のイメージとはかけ離れた、優雅さすら感じる朝の一幕。いや…終末だからこそ、有るものだけでしっかり幸福を生み出す気概が大事なんだ。

 オレはキャリーバックから、シロの頬以上に赤く熟れいたリンゴを──


 ──あれ?


「………腐ってる」

「ふぇ?」


 かつて瑞々しく輝いていた赤い果実達は、安物の梅干しみたいにくすんだ色に萎びていた。とても食べられる見た目じゃない。少なくとも、人間の口には決して合わないだろう。

 腐ったリンゴ擬きを、シロの目の前にかざしてみせる。


「ほら、完全に腐ってやがる。どうするよ、シロ。竜の人間より遥かに強い胃袋なら、こんな腐敗した禁断の果実でも美味しく食べれたりするのか?」

「う、ううう……た、たべ…食べるぅぅ」

「バカ、冗談だ。止めとけって。あらら……ダメだ。全部腐ってんなぁ。仕方ない、前言撤回。悪いけど、焼きリンゴはまた今度な」

「うう…ぐうううぅ~っ!!」


 期待感で銀の瞳を大いに輝かせていたシロは、梯子はしごを外された反動で腐ったリンゴのように顔一面を萎びらせる。

 まるで悲鳴のような竜の唸り声は、銃声に負けず劣らずの勢いで晴天の空へと轟いた。

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