8話 幻竜はかく語りき ~後~

 「少し待っていて下さい」と一言告げて教室の外に出ていったマホロが戻って来た時、彼女の両の掌にトカゲのような生き物の死骸が乗っかっていた。

 そう、『トカゲのような』死骸。それっぽく見えるだけで、それは明確にトカゲではなかった。


 背には枯れ枝のような翼が生えており、体表を覆う鱗は所々剥がれていて、その剥がれている箇所からはヒヨコのような体毛が代わりといわんばかりに伸びている。そして、光を失ったにぶい銀の双眸そうぼう


「これは、私が先日あの砂丘で殺した竜の死骸です」


 何の躊躇ちゅうちょもなく、マホロそう呟いた。

 鬼が出ても蛇が出てもビビらないと高を括っていたが、まさか竜の死骸が出てくるとは。流石に少し、息を飲んだ。


「な、なんで──」

「あの砂丘は、この竜に端を発した『竜害』によって生まれたモノ。放置しておけば、砂丘が拡大していた可能性があります。私達の安寧あんねいの為に、排除は不可欠でした」


 マホロは教壇の上に竜の死骸を置くと、砂色の体表を撫でる。マホロはいつ、この竜を殺したのだろうか? 腐敗している様子がまったくない。つい最近殺したばかりなのか、それとも竜の身体には防腐の特性でもあるのかね。


「なので私があそこにいたのは、砂丘の……事後調査、とでも言えば分かりやすいでしょうか」

「……竜的に、同種殺しは有りなのか?」


 自分でも、すっとんきょうな質問をしてしまったと思う。流れるように喋っていたマホロも、一瞬だけ言葉をつまらせる。


「………図鑑や学術書で、生物についてそれなりに調べはしましたが、同種殺しなんて割と普通なことだと思いますよ。まあ……人間ほど積極的に行う生き物は、珍しいかもしれませんね」

「それは──ま、そうだな。反論の余地もない」

「或いは、私は現状人間に近い存在でしょうから、その分だけ同種殺しに対する忌避感きひかんが薄いのかもしれませんね」


 警戒心から、ガンホルスターに手を添える。


 マホロはこの竜を、果たしてどんな手段で殺したのだろうか? いや、これは訊くだけ野暮だろう。人間のような竜とトカゲのような竜、どうやって殺したかなんて語るに落ちる。人間がトカゲを殺すように殺したに決まってる。


「タローさんは、私やシロさんが人間のような見た目に変わった理由。この竜がトカゲのような見た目をしている理由について、どう思います?」

「ん? それはむしろオレの方から訊きたかったことなんだが……知らないのか?」

「ええ、残念ながら。私に分かるのは、ここで子供達と一緒に暮らしてる内にこのような姿に変わっていったということだけです。あとは確証のない推論ばかり。研究とは難しいですね」


 そういえば、シロに似たような質問を投げ掛けた時も同じ答えだったな。マホロがこう言うなら、はぐらかしてるとかじゃなく二人とも本当に知らないのだろう。

 見解……ね。実のところ、オレにだって打ち立てた推論くらいある。人間だってバカじゃない。暇な終末を持てあましつつ長いこと竜と一緒に生きていれば、予想の一つや二つくらいは頭に浮かぶとも。


「理由、ねぇ……ま、適応じゃないか? 環境に適応する為、姿形を変えた。そう考えるのが、一番しっくりくる。生物の変態は適応とイコールだからな」

「ええ、私も同感です。この世界は、竜が竜のまま生きるにはあまりにも小さく、そして脆い。その巨体と天変地異クラスの影響力……強大過ぎて、この世界にはどう考えても収まりきりません」


 マホロは窓の外、遠くの景色と同化している巨大な竜の骸に手を向ける。その体躯は、周囲の山と見比べても遜色そんしょくない大きさだ。あんな存在がちょっと前まで動いていた事実に、今更ながら目が眩む。


「まあ、私は『彼』ほど大きくはありませんでしたけど。もしも竜が竜のままだったら、世界が壊れるか、他の種を絶滅させたのち竜という種が自滅するか、この二択の末路しかなかったでしょうね。──でも、そうはならなかった」


 二年前。まだテレビやラジオが機能していた頃、終末論がやたら喧伝されていた。

 世界は竜によって滅ぶ。各地で巻き起こる『竜害』を知る人々にとって、これは疑いようもない真実だった。オレも、そう思ってた。


 だが、未だ世界は壊れちゃいない。当の人間ですら、数はうんと減ったがまだこうして生き残ってはいる。

 世界を壊す前に、竜は世界に適応した。だとしたら、この終末の平穏にも納得がいく。


「タローさんは、収斂進化しゅうれんしんかという言葉をご存知ですか?」

「へ? あー、ええと…環境に合わせて、全く別系統の先住種と似通った形態に進化すること──だったっけ?」


 まさか竜の口から、こんな学術的な言葉が聞けるとはな。学校中の書物を読み漁ったってのは、デマカセじゃなさそうだ。


「竜の姿の変化は、この収斂進化しゅうれんしんかに似てると思いません? 世界に適応する為に、既に適応していた先住種と似通った形態に成り変わる。まさに今の私やシロさんそのものです」


 世界という器に無理なく収まるように、その姿形を変えて適応する。……なるほど進化ね。オレはシロの変化を擬態ぎたいと呼んでいたけれど、確かにこっちの方が相応しいかもしれない。


「もちろん単一個体における変化なので、進化の定義からは外れてますが──竜のことですからね。例外と言っても差し支えないかと」

「そりゃそうだ。流石のダーウィン先生も、知りもしない竜の存在を念頭に置いて進化論を書いちゃいないだろうからな」


 マホロは学校の備品だったであろうマグネットシートをいくつか黒板に貼り付け、一つの形を作る。下手くそだが、竜のつもりなのかな?


「ここに、一匹の竜がいます。そしてその竜は、まるで人間のように姿を進化させました」


 マグネットシートを動かして、今度は棒人間を作る。さっきの竜のよりかは幾分分かりやすい形だ。


「かつて竜の姿をしていたモノは、今や竜と呼べる見た目ではない。けれど、それは確かに同じ存在であり、別の何かと入れ替わった訳でもない。では、この人間のような竜は、果たして『竜』と呼べるでしょうか?」

「──呼べるんじゃないか? 少なくとも、シロもマホロも十分竜らしさは残ってる」

「そうですね。ですが、これからは分かりませんよ。もう少し経てば、見た目も力も性質も、何もかも人間と同様の形態になるかもしれません。そうなった時、私はいったい『何』になるのでしょう? ふふっ、まるで『テセウスの船』のようなお話ですね」


 マホロは自嘲じちょう気味な笑顔を作る。今までみたいな作り物感の薄い、言うなれば『人並み』に近い表情。

 もしかするとマホロは、こんな禅問答やら哲学論じみた話を、ずっと誰かと交わしたかったのかもしれない。饒舌じょうぜつに持論を展開させるマホロは、身に付けた知識をひけらかすことを純粋に楽しんでいるだけに見える。

 不気味とさえ感じていたマホロの印象がひっく返り、少しだけ──そう、普通に思えてくる。


「……なぁ。ダメ元だが、一番気になってることを訊いてもいいか?」

「構いませんよ。私に答えられる範疇でなら、なんなりと」

「マホロは……どういう経緯で、何を思って、人間と暮らしているんだ?」


 ホントはいの一番に訊きたかったが、喉のところでつっかえてた疑問。

 マホロはまだ黒板のマグネットシートをいじっている。マグネットシートで形作られた人と竜が、黒板の上で並ぶ。雑で歪な二つの形が、まるでオレとシロのように見えてくる。


「経緯は単純です。度重なる『竜害』にさらされ、ここに避難しに来た数少ない生き残りの人々と私が出会った。ただそれだけ。それからずっと、私はこの学校で人間と暮らしています。竜の姿だった頃から今まで──ずぅっとです」

「もう片方は?」

「動機は……自分ごとながら、少し説明が難しいですね。まあ、強いて言うなら──」


 マホロは黒板の上の人間を指先で撫でる。鳥のあしゆびを人間的な形へ強引に整えたかのような彼女の掌。あの手で撫でられたら、いったいどんな感触がするのだろうか。見た目だけじゃ、まるで想像もつかない。


「──知りたかったから、でしょうね。人間のことを知りたかった。目の前で生きる異なるモノを知りたいと願った。だから私はここにいる。人間のような姿で、人間と一緒に生きている」

「………」

「タローさんも、同じなのではないですか? 竜を知りたいと願い、竜と一緒に旅をして、竜とこうして話をしている。──或いは、この希求ききゅうの正体こそ、愛と呼ばれるものなのかもしれませんね」


 恥じらう素振りを一切見せず、マホロは愛なんて臭い台詞を唱えた。オレが言ったらシロに小一時間はわらわれる下手な台詞だけど、彼女が説くと何故だか様になっている。

 オレもマホロのようにスーツでも着れば、多少は詩的な台詞が似合うようになるのかね。


 反骨精神から否定の言葉を探してはみたが、どうにも思い至らない。歯噛みしたくなるほどに、見透かされてるな。

 悟ったように人間を解く目の前の竜の存在が、少しだけ悔しく……そして嬉しかった。



 マホロとの閑談かんだんはその後も続いたが、あまり有益な情報は得られなかった。

 「竜はどう産まれたのか」、「二年前まで何処にいたのか」、「どうして五年前に姿を現したのか」。思い付く限りの疑問を投げ掛けてみたが、ロクな答えを貰えなかった。

 そもそも、マホロは二年前より以前の記憶を持ち合わせてはいないらしい。その点はシロと同じだから驚きはないけど、それ以上に期待外れでもあった。


 逆にマホロからオレへの疑問には、懇切丁寧こんせつていねい事細かに答えてやった。当然ながらオレは終末以前の記憶もしっかり保持しているから、自分のことなら大抵教えられる。

 しょうがないっちゃしょうがないし不満がある訳でもないが、不公平な情報交換に

終わってしまった。


 竜の来歴や起源を知ることは出来そうもないので、「好きな食べ物は──」みたいな細々した質問でお茶を濁していると、泣きそうな顔をしたシロが教室に戻って来た。


「うう……タロォ~。もう無理ぃ……」


 弱々しく弱音を吐き、重々しく引き戸をスライドさせるシロの傍には、一緒に遊んでいたであろう子供達がくっついている。


「えーっ! まだ遊ぼうよぉ」

「もう一回、羽でぶぅわ~ってやってぇ!!」

「ねーねー今度はこーてーで鬼ごっこしよー」


 いったいどんな風に遊んでたのやら、この短時間でえらくなつかれてる。子供っての初対面だろうが相手が異形だろうが、まったく物怖じしない。

 対するシロはというと、ワンピースの裾を引っぱる子供達から情けなく抗っている。子供と遊んだのなんて初めてだろうからな。その活力と行動力に完敗したのだろう。

 いつもは「人間なんて」が口癖のシロだけど、今日ばかりはたじたじな様子で見ていて面白い。


 とはいえ、このまま為すがままにされるのを放っておくのは可哀想だ。どう考えても子供の扱いが得意な性質たちじゃないシロに、これ以上の遊び相手は荷が重いだろう。

 何よりここらで助け船を出しておかなきゃ、流石に後が怖い。


「おー。んじゃ、そろそろおいとましようかね。シロ以外と会話をしたのなんか途方もなく久々だから、有意義で楽しかった。礼を言うよ」

「こちらこそ。別れを惜しむなんて、なにぶん初めての経験なので胸が痛みます。叶うならば、お二人にはずっとここで一緒に暮らしていただきたいぐらいです」

「気持ちだけ受け取っておくよ。オレはシロとの二人旅が楽しいし、止めるつもりはないんだ。それに、肝心のシロが音を上げちゃったからな。ここらが退散の潮時だろう」


 マホロや子供達に見送られながら校舎を後にする。子供達の中には、シロとの別れをすすり泣くほど惜しむ子もいた。たった数時間の関係とは思えない、嘘みたいななつかれっぷりだ。いったいどんな遊びをしてやればここまで好かれるのか、後学に役立つことはないにせよ教わりたいな。後で直接訊いてみよう。


 下駄箱で子供達に囲まれながら複雑そうに顔を歪めるシロを眺めながら靴を履いていると、耳に息がかかるくらいの距離までマホロが顔を近付けてくる。


「またこの近くに寄るようなことがあれば、是非ここを訪ねてくださいね。次は食事くらい振る舞わせてください。私はもちろん、子供達も喜びますから」

「この終末で竜から振る舞われる学校給食がどんなものか、興味はあるな。うん。機会があればまた寄らせてもらうよ。シロは嫌がるかもだけど──ま、その時になったら説得するさ」


 わざわざ耳元で囁く必要を感じない平凡な別れの挨拶の後、マホロは分かりやすく瞬巡した様子を見せる。それは、今まで見せた所作の中で、一番人間的で分かりやすい仕草だった。


「タローさんは、疑問に思いませんでしたか?」

「………何が?」

「何故、ここに子供しかいないのか……です」


 ──意外だな。まさかこんなことを問われるなんて、思ってもみなかった。

 一切疑問を抱かなかった、と言えば嘘になる。でも、おおむねね予想はついてるんだよな。


「──支配。いや、統制って言葉の方が近いかな。殺したんだろ? 何人いたかは知らないけど、あの子達以外の生き残りを」

「………流石、お見通しですね」

「こんな終末にあんな幼い子供達だけが生き残ってるなんて不自然な状況、普通は有り得ない。有り得るとすれば、あの子達だけが生き残るよう誰かの手で調整させた場合だけ。それが竜であるマホロってのは想像にかたくない。別に驚くことじゃねーよ。『人生』の先輩ならではの、下世話な勘繰りさ」


 ま、それだけで決め打った訳じゃないがな。この予想の発端にあるのは、あのトカゲの姿をした竜の死骸だ。必要だからと同種を殺せるマホロが、同じ理屈で人を殺せない道理はない。

 研究熱心なマホロにとって、彼女の学びに好都合なこの環境は、まさに必要不可欠なモノだったはずだ。


「今とは違い竜そのものの姿だったはずのマホロを、『竜害』から避難した人間が受け入れるはずがない。それでも受け入れる者がいるとすれば、何の知識も持たない幼子くらいだ。人間と共に生き、人間を知る為に、お前は邪魔な人間を殺した。話の断片から汲み取るに──ま、大方そんなところだろう」

「………そこまで想像に至って、非難しようとは思わないのですか?」

「思わないね。カッコウの託卵たくらんの反対みたいなもんだろ? 珍しいが、忌避きひする程の異常じゃない。今更オレが人間代表を気取って怒り散らすなんざ、筋違いにも程がある。第一、オレにはどうだっていい話だしな」


 そう、そんなことはどうだっていい。触れられるほど近くにある、竜の表情に秘められた真意に比べたらな。


「なあ。ひょとしてマホロは、非難されたかったのか?」

「へ? ──ふふっ、どうなんでしょう? それは、私自身にも分かりません。人間をもっと理解出来れば、いずれ分かるのでしょうか」

「……さあね」


 マホロの指がオレの手の甲に触れる。ザラザラとした指の腹はまるで紙やすりのようで、柔い人間の皮膚を擦る。


 そいつはな……マホロ。後悔からくる罪悪感ってヤツだろうよ。

 そして、その感情の萌芽ほうがは、理解の芽生えでもあるんだ。理解の外にある者を相手に、罪悪感なんて感じるはずがないもんな。

 ちぇっ、やっぱり悔しい思いの方が大きいな。完全に上をいかれてる。


「必ずまた会いましょう、タローさん。その時は──お互い『相手』を、もっと深く理解出来てるといいですね」

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