7話 幻竜はかく語りき ~中~

「さあ、着きましたよ。ここが私達の『家』。どうです? 立派なものでしょう。私が作った訳ではありませんが、人を招くに値する場所だという自負はありますよ」


 『先生』と名乗る竜の引率に従い歩くこと、一時間と少し。やって来た場所は、言うだけあるほどには立派で大きく、そして見覚えのある場所だった。


「こりゃ……何処からどう見ても、学校だな。もしかして、ここに住んでるのか?」

「ええ。県内随一の小中一貫校…だった場所です。元々生徒は千人近くいたらしいので、それに足る校舎の数と質ですよ。今はその一部分しかロクに使っていませんけれど」


 『家』と言うからにはもっと民家のような場所を想像していたが、なんでわざわざこんなだだっ広い場所を根城にしてるんだ? 一部分しか使わないのなら、その一部分程度の大きさの別の建物に住めばいいのに。

 おあつらえ向きの空き家は、それこそ腐る程沢山あるのだから。


「まるでその頃を知ってるかのように語るじゃないか。アンタには知るよしのないことだろうに」

「いえ、知ってますよ。私はここにのこされた書物をあらかた読み尽くしていますからね。もちろん、学校の資料等も含めてです。そういう意味じゃ、タローさん以上に学校という場所に詳しいかも知れません」

「はぁ、そりゃ途方もない。勤勉だな」

「一応『先生』と呼ばれている以上、形だけでもそれらしく振る舞わなくてはなりませんからね。私に教鞭きょうべんを振るってくれる教師はいませんが、学びの手段がない訳ではありません」


 同じように本で言葉を学ぶシロと『先生』だが、読んでるモノの差のせいか話し方には雲泥の差がある。

 シロが好んで読むのは娯楽小説やマンガなんかが多い。対する『先生』は教科書や教育資料や図書室のお堅い本。知識や口調に差が生まれるのも必然だ。

 ただどちらにせよ、たった二年足らずで人間の言葉を完璧に使いこなし、人と遜色そんしょくなく会話出来てる点は驚嘆モノだ。

 この賢さ、適応力の高さは、竜という種の特徴なのかもしれない。



 錆び付いた校門をくぐり、元校内に足を踏み入れると、そこに広がる光景は『先生』に出会った時よりも遥かに目を疑うものだった。


「………あ?」


 シロも言葉を失い唖然としている。それはオレだって変わらない。この目に映る映像は、あまりにも予想から斜め上に外れていた。


 ふるき校庭に、数え切れないほどの人間が蠢いていた。いや、グラウンドだけじゃない。プールにテニスコートから校内の隅っこに至るまで、信じられない数の人間が集まっていた。

 まるでここだけ終末など一切関係ないかの如く、普通のマンモス校の普通の放課後を繰り広げていた。


 野球やサッカー、テニスに水泳といったスポーツに勤しむ子供たち。それを監督する教師やコーチとおぼしき大人。そして、まるで帰宅でもするかのように校門に向かってくる制服を着た生徒たち。

 あの日の滅びが……オレの回りの全ての死が……それに、オレの隣にずっといたはずの竜の存在が、全て嘘だったんじゃないかと疑ってしまうほどの……平凡な光景。平凡な喧騒けんそう

 オレの知らないところで、こんなに沢山の人間が生き残っていたのか? にも関わらず、オレは今まで誰にも出会わなかった? そんなバカな!?


「な…お、おいっ! あ、いや……なあ、君? ここには何人の人がいるんだ!? そもそも──」


 校門を出ようとする生徒の一人の肩を掴もうとして、オレはようやく全てのカラクリに気付いた。


 ──オレの手が、すり抜けた。この掌は何にも触れることはなく、ただ虚空こくうを握っただけ。そして生徒はそんなオレに意も介さず、校門の外へ出ていき……そして消えた。言葉通り、まるで最初から何もなかったかのように、消え去った。


「──幻、か? これは、あんたの作り出したモノ………ってことでいいんだな?」

「ええ、その通り。驚かせてごめんなさい。この光景は全て私の作り出した幻。偽物です。シロさんがどうかは知りませんが、私にはこんな芸当が出来るのです。竜故に」


 シロの方を向くと、シロは絶句したまま首を横に振る。自分には出来ない、という意だろう。

 いや、分かっちゃいたけどね。セツだってシロには出来ないことを当たり前にやってのけていた。このくらいの能力差は、竜の個体差を考えれば普通なんだろうよ。



 『先生』に付き従って校内を進む。周囲の雑踏に耳を向けてみるが、その中身は正しく雑踏でしかなかった。どの言葉も雑音でしかない。「ああ」だの「おう」だの、はたまた謎の叫び声など、意味のない雑音の吹き溜まり。会話と呼べるほど高尚な音は何処にもなかった。

 それもこれも、『先生』が作った幻想でしかないと知っていれば納得がいく。つい最近世界に現れて、人の滅びた後の世しか知らない竜に、放課後の学校の一幕を正しく想像──ないし、創造出来る訳がないからな。例えどれだけ書物を漁って知識を得ようとも、だ。

 そしてそれは、彼女自身も身に染みて理解していることだろう。


 一応律儀に駐輪所にスクーターを停め、これまた律儀に下駄箱で靴をスリッパに履き替えてから校舎に入る。

 スクーターを転がしてたのも靴を履いてるのもオレだけなので、どちらもオレが自主的にやってることだ。誰に命令されてやってる訳じゃない。

 ……ホント、何故だろう。違法駐車も土足も、誰もとがめやしないのに。これが二十年弱に渡って身に付けてきた人間の習性か。


「あ、せんせーだ!」

「おかえりせんせーっ!! ──あれ? せんせー、その人たち、だあれ?」


 広い校内にいくつか建ち並んだ校舎の一つ、その校舎内にある「1ー1」と表記された部屋──教室に入ると、十人程の子供が『先生』に向かって駆け寄って来た。


「ただいま帰りました。皆さん、ちゃんと良い子にしていましたか?」

「「はーいっ!!」」


 服装だけは一端の先生らしく女性用スーツで装っている異形の竜は、まるで先生みたいに子供達を抱き止め、子供達の頭を撫でる。

 大体4歳から8歳くらいだろうか。明らかに子供達は『先生』になついている。それこそ、まるで本物の教師と生徒の関係にしか見えない。


 この子供達は──明らかにさっきの幻覚とは違う。キチンと形があり、キチンと言葉を話している。

 ……間違いなく、この子達は人間だ。竜に作られた幻覚でも、竜が擬態ぎたいした姿でもない。同じ人間であるオレには断言出来る。

 シロと出会って、旅を始めて二年弱。初めての『人』との邂逅かいこう。いくら待っても、心中に感動が訪れる気配はない。でも、思う事はある。どうやらオレは、この終末にただ一人生きるアダムではなかったらしい。ふっ、ホッとしたような、拍子抜けなような……。


「帰ってそうそうではありますが、先生はこれからこの方とお話をしなければならないので──、このお姉さんに遊んでもらっていて下さいね」

「ふぇ?」


 急に名指しされすっとんきょうな声を上げるシロ……お姉さん。

 顔が白銀の鱗で覆われているシロが作る、渾身の『目から鱗が落ちる』表情。言ってる意味が分からないって顔に書いてあるぜ。


「は? な……、そんな…急に、そんなこと言われても……ちょっとぉ……」

「わぁいっ!! おねえちゃん、いっしょにあそんだげるね!」

「じゃあじゃあ、あっちのへやでおえかきしよっ!! あたしのえのぐかしてあげるー」


 ちょっとばかり人と比べて異形なだけのシロになんて一切物怖じすることなんかなく、子供達はシロを引っ張って教室を出ようとする。

 反面シロは完全に気圧され、怖じけついている。オレ以外の『他人』に会ったことなんか、この終末で一度だってなかったからなぁ。会話だって、当然オレ以外とした経験はないだろう。


 シロはさっきからずーっと、竜の癖に借りてきた猫みたいになっている。平たく言うと、ガッツリ緊張してる。いつもは饒舌じょうぜつにオレと会話してくれるってのに、まるで錆び付いたかのように、大きな口の動きが鈍い。

 文字通りの意味で、『人』見知り。らしくない形に固まってるシロの顔も、これはこれで悪くないな。


 一瞬助けを求めるような目でオレを一瞥いちべつしたが、珍しい表情に見惚れてる内に子供達に連れていかれてしまった。

 これは……後で相当怒られるな。さっきまでの積み重ねも含めて。覚悟しておこう。


「シロさんがいたら訊きにくい話もあるでしょう? 余計なお世話だったら申し訳ありませんが、『人間らしく』気を利かせてみました。私自身、人間の忌憚きたんない意見が欲しいので、タローさんだけの方が都合が良いのです」

「ああ……なるほどね。嫌な方向に気が回るな。シロとは大違いだ」

「そうですね。私にとっても、あなたは子供達と大違いで……とても新鮮です」


 薄紫の髪をなびかせながらオレの前に対峙する、竜。銀の瞳が、オレを見留める。


「ここにはどのくらいの『人』が住んでるんだ?」

「あれで全部ですよ。私とあの子達だけが、この元学校で暮らす主です。他は全て幻覚、偽物フェイクですね」

「なんでこんな、しょうもない幻覚を?」

「それは……私よりもタローさんの方が納得しやすいと思いますが。理由も予想が付いてるんじゃないですか?」

「あー……変な駆け引き紛いのつもりなら、止めてくれ。無意味だから」

「失礼、他意はなかったのですが、そう感じたのなら謝ります。半分は、子供達への配慮です。昔の面影を少しでも残してあげた方が、人間にとって生きやすいのではという普遍の配慮ですよ。もう半分は、私の個人的な研究です。偽りを築くだけでも、多少の学びにはなりますから。ね、普通過ぎてつまらない回答でしょう?」


 まあ、予想通りの回答だ。窓の外の無為な幻影に意味を紐付けるとすれば、そのくらいしかない。


ちなみに、校内がここまで綺麗なのも私の幻覚ですよ。いくら手入れしてるとはいえ、肝心の手が足りませんからね。実際はもっと荒れてます。──次は私からも、良いですか?」


 まるで教鞭きょうべんを振るう教師のように、『先生』は黒板の前に立つ。

 なんか、センチメンタルな気分に駈られてしまうな。オレも『先生』に習って、まるで生徒のように並んだ椅子の一つに着席する。こんなの、一体いつぶりだろう。

 こんな終末に、教師と生徒の真似事をする竜と人間。学校も教師も生徒も、ホントはもう何処にもないのに。……まったく、愚かこの上ないぜ。


「タローさん達は、どうしてあんな場所にいたんですか? まさか、あの砂丘に住んでいるって訳じゃないでしょう」

「そりゃそうだ。ただの通りすがりだよ。旅路の途中であんなもん見かけたら、行ってはしゃぐのが旅の醍醐味ってやつだろ」

「ふふっ、そうかもしれませんね。……お二人は、旅をしてらっしゃるのですか?」

「まあな。人類が実質滅んで、何からも縛られない世界。旅くらいしなきゃバチが当たるってもんだ」


 享楽きょうらくだけが理由ではないが、もう一つの理由はイマイチ言語化しずらい。というか、単純に言葉にするのが恥ずかしい。


「………まるで、人類の滅びを楽しんでるような言い方ですね」

「そりゃ、抗いようがない滅びなら、悪いとこばっかじゃなく良いとこを見るよう心がけないとな。嘆いて世界が二年前に戻るでもないし」

「なるほど、前向きな考え方ですね」

「むしろあんたがあの砂丘に一人でいたことの方が、オレにとっちゃ不思議だけどな。あんなとこ、遊行でもなければ行く価値ないだろ」


 『先生』は、鳥のように細長い指で顎をなぞる。表情に変化はない。その仕草が何を意味するのか、欠片も伝わらない。


「──タローさんは、私を『先生』と呼んではくれないのですね」

「へ? ああ……そうだな。あんたはオレの『先生』ではないし、それは役職であって名前じゃないからな」

「名前、ですか。うーん……仰る意味は分かるのですが、なにぶん考えたことがないもので。もしよろしければ、タローさんが呼びたい名前で呼んではもらえませんか?」


 そう頼まれれば、オレに断る理由はない。竜の命名は、この二年で培った数少ない特技の一つ。実は、結構自信があったりする。

 『先生』に名前がないのなら、オレの方から名付けを提案しようとすら思ってた。まさに、願ったり叶ったりだ。


 幻……ゲン。いや、流石にそれは彼女に似合わな過ぎる。なら、読み方をガッツリ変えて──


「マホロ、ってのはどうだ? マホロ先生。結構あんたに合ってると思うんだけど」

「マホロ………ええ、素敵です。では、私のことはマホロとお呼び下さい。子供達にも、今度からそう呼んでもらいましょう」


 マホロは胸に手を当て、深く頷く。

 ただ名前を付ける。それだけの行為だけど、それだけで目の前の竜の輪郭りんかくが少しだけ鮮明になった……気がする。まるで砂漠の蜃気楼が、触れられる実体になった。そんな風にすら思えてくる。

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