6話 幻竜はかく語りき ~前~

 一瞬……ほんの一瞬だけ、砂漠の蜃気楼が生んだ幻覚かと疑ったが、そんな荒唐無稽な思いも次の瞬間には引っ込んでいた。そもそもここは砂丘であって砂漠ではないし、幻覚というにはその『人影』はあまりにも鮮明過ぎた。

 シロと自分以外の生きた人影を見かけたのなんて、いつ以来だろうか? 驚きの余り反応の遅れたオレを、いったい誰が責められよう。


 後れせながら腰のガンホルスターに手を添えた時、すでに『人影』は目の前まで来ていた。


「フフフッ。あまりに楽しそうだったので、声をかけることさえ憚られちゃいました。──こんにちは、『人間』さん」

「え、あ、ああ……こんにち、は」

「お互い、驚きは隠せないみたいですね。私も他の人間に会うのは久方ぶりなので、驚きに身が震えるようです」


 目の前の『人影』は平坦な声でそううそぶくと、オレとシロを品定めでもするように見比べる。


「あら? そちらの方は──人間ではないみたいですね」

「………そういうアンタもな」


 何処か飄々とした『人影』は、人の輪郭をつくろってはいるが明らかに人ではなかった。


 一見すると二十歳はたちそこそこの落ち着いた女性にしか見えない『それ』だが、少し冷静になって観察すると人とは異なる点がいくつも見つかる。

 薄紫の長髪では隠しきれない、羊のような巨大な巻き角と大きく尖った耳。翼こそないが、履いたスカートの裾からは太い爬虫類の尾のようなモノがはみ出ている。裸足の足に至っては、三前趾足さんぜんしそくの鳥の足と人間の足を混ぜたかのような歪さを象っている。このサイズに合う靴は、この世の何処を探しても見つからないだろう。

 そして何より、その銀に輝く双眸そうぼうは、眼前の人型ひとがたが竜であることをハッキリと物語っていた。


 これまでの旅の道中でそれなりの数の竜と出会ってきたが、シロ以外で人に擬態ぎたいした竜を見たのは初めてだ。

 人がいたという驚きから、人をした竜と出会った驚きへと心が揺り動く。結局驚いてることには変わりないけど、少しだけ安堵を覚える。


 竜が相手なら、オレが気を張る意味はない。相手が害意を持ってたら、そもそも人間なんかが太刀打ち出来るはずもないのだから。

 そんな諦念ていねんを土壌にして芽生えた安堵でも、拳銃を握りしめる手の力を和らげてくれるだけ有難い。肝心な時に緊張して引き金を引けないなんてヘマ、絶対にしたくないもんな。


「ええ、その通り。貴方のお隣にいる小さな彼女と同様、私も竜です。私のような異形を見ても然程混乱していない辺り、貴方はそれなりにわたし達について詳しいと見受けられますが──」

「詳しい訳ないって。殆んど無知もいいとこだ。何せ誰も何も教えてくれないんだから。ただ、彼女についてはそれなりに知っている。それだけさ」


 隣で固まるシロの肩に手を置くと、掌に跳ね上がる感触が伝わる。さっきまでの威勢が嘘みたいに、シロはオレ以上に目を丸くして驚いている。


「あ、うあ、あうあ……」

「どうしたシロ? そりゃ驚くのは無理ないけど、そこまで金魚みたいに口をパクパクさせるのは流石に大袈裟だろ」

「あ、う、うるっさいなぁ! あたしが金魚なら、タローなんてメダカじゃないっ」

「ん? それはひょっとして、外来種に追いやられて数を減らしたメダカを目下もっか滅びかけの人類と掛けてるのか? 上手いこと言うなぁ、博識だな──って、痛っ!」


 さっきまでのお遊びとは違う、全力投擲の砂粒が顔面に目掛けて飛んで来た。ぐぅ……流石にからかい過ぎたな。仮にも竜の力で振るったら、砂粒だろうが結構洒落にならない。

 でも、何時もの調子に戻ってくれたようで良かった。シロがこうでなきゃ、オレも調子が狂ってしまう。不意の竜との遭遇による緊張も、完全にほぐれた。


 自分そっちのけで顔を真っ赤にして怒るシロを見て、くだんの竜は微かに眉を潜める。


「仲が……よろしいんですね」

「よっ、よくなんかないっ! 誰がこんな……バカ人間なんか……べーっ、だ」


 さっきまであんな楽しく砂遊びしてたところを見られてんだ。仲良くないと言い張るのは無理があるだろうよ。

 シロの愉快さに、オレの頬も自然と緩む。もう片方の竜も、それにつられてかどうかは知らないが、笑みを作る。


「こんな世ですから、『人』との出会いは大切にしたいです。……どうですか? もし宜しければ、少しお話を聞かせて戴きたいのですが。勿論、聞きたい話があれば私の方からも話せるだけ話しますので」


 何処か怪しく、そして妖しい竜の笑顔。顔だけならシロと比べても若干人間寄りなのに、そな表情からは人間らしさを感じない。

 その点シロが人間らしすぎるだけってな気もするが、ある種の不気味さは拭えない。


 とはいえ、この乗りかかった船に乗らない理由もないな。シロ以外の会話が出来る竜との出会いなんて、終末の長い旅の中でも初めての事だ。

 訊いてみたいこと、シロと比べて検証したいことは星の数程ある。何かを調べる際、その対象サンプルが一つか二つかで研究の精度は大きく変わる。この機会は逃せない。


 この竜を──彼女を知ることで、今よりは竜の未知なる部分に触れることが出来る。そう確信した時点で、オレの意見は決まっていた。


「こちらこそ、願ってもない提案だ。是非もないね。……なぁ、シロ?」

「知らない知らないっ! 好きにすればいいじゃない。フンッ」


 完全にヘソを曲げてしまったシロ。こうなっては、機嫌が治るまで待つのが一番手っ取り早い。

 それにしても……もう片方の竜と比べて、怒り顔すら生き生きして見えるのは何故だろう? これが恋は盲目というヤツなのか、それとも単純に竜の個体差なのか。

 この未知も、出来れば解明したいところだな。シロの、まだ知らない部分を知りたいと願う気持ち。この思いは日が経つ程に強く、濃くなっていってる。こんな終末でも、この思いはちっとも萎えることはない。


「どうもありがとうございます。では、『私達』の家に場所を移しましょうか。立ち話もなんですし、何よりあまり長い時間家を空ける訳にはいきませんので」

「ああ、同伴させてもらうよ」


 『私達』、ね……。まあ、最初に『他の人間』と言ってたこともあって、ある程度は予想の範疇だ。

 彼女は、オレ以外の人間を知っている。そしてそれは、『私達』なんて呼ぶ程に近しい関係にある。つまり、人類はオレ以外にも完全には途絶えていなかったってこと。

 うん。オレが生き残っている以上、特別驚くことではない。喜ぶべきこと……のはずだ。


「あ、そういえば、貴方のお名前を訊いていませんでしたね。うっかりしていました。名を知るのは、親睦を深める第一歩。是非お訊きしたいのですが、よろしいですか? 隣のシロさんにだってあるのですから、人間のあなたにもあるのでしょう?」

「そうだったな。オレはタロー。んで、聞こえた通りこっちはシロ。あんたは?」

「私は………そうですね。皆は私を『先生』と呼びます」


 シロを差した指が、シロによってはたかれる。その音を合図にしたのか否か、『先生』と名乗った竜は三前趾足さんぜんしそくもどきの歪な足で、砂の野を再び歩き出した。


「では案内しますよ、付いてきてください。きっと皆も喜びます。なにしろ、初めての来客ですから」


 大きな好奇と、少しの恐れ。気合いと緊張を誤魔化すように、固唾かたつばを呑む。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。竜を知りたければ、竜のねぐらに踏み入るぐらいはしなくちゃな。

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