4話 風竜の余韻
多少遅刻気味の春一番が、その遅れを誤魔化すような勢いで吹き荒ぶ。柳に風とは良く言うが、ここまでの突風だと身を任せるだけでも至難の技だ。それがスクーターの運転中ともなると、尚のこと
それに、この風が厄介なのは何も風力だけの問題じゃない。
「ぺっ! ぺっぺっ。うう、口の中がジャリジャリするぅ……」
「──だな。流石にこの
「うへぇ、服の中も砂だらけ。もうっ、なんなのさ! この風はぁ!!」
春一番ってのは心地好い春の陽気を運んで来るものだが、遅刻したせいで運ぶものを失ったこの春一番は、代わりに余計なものを運んで来やがった。この迷惑千万な砂の雨だ。
さっきまでスクーターを軽快に走らせてたのに、この
「くっそ……これ以上走ってたら、雪だるまならぬ砂だるまになりかねない。何処かに避難するか」
「さ、さんせーさんせーっ! いくら竜でも、砂なんてどうしようもないもん。逃げよう逃げよう、隠れる場所なら沢山あるもんね」
必死に喚くシロの言う通り、隠れる場所なら見渡す限り沢山ある。
ポケットにしまってあった小さな簡易地図を拡げる。ええと……一昨日セツと出会ったのがこの海岸で、そこから少し北上した訳だから──うん。ちょうど市街地のど真ん中辺りだな。正確には、元市街地。廃墟に廃ビル、ボロボロに朽ちたショッピングモールの看板や乗り手を失った寂しげな自動車など、かつての人類の生活の名残が鮮明に息吹いている。
勿論そこに人の影は一つもない。何処を向いても、人間はオレ一人っきりだ。
「折角だから、大きい家に避難しようよっ! ほら、あそことか──いや、あっちの方が綺麗かも。あ、でもひび割れてる……。ね、ね、タロー。どれがいい?」
「風避けの一時避難だし、何処でもいいよ。あ、いや……どうせなら、ついでに近くのショッピングモールで必要なものを拝借させてもらおう。水や保存食は持てるだけ欲しい」
「確かに…水は欲しいかもね。この砂、洗い流したいもんね」
互いに意見が一致したので、迷いなく近くの大型ショッピングモール跡地へと逃げ込む。かつては何百何千の人間で溢れていたであろう真昼のショッピングモールも、今じゃ無人のがらんどうだ。久々の来客に、灯りを失った薄暗い店内も心なしか嬉しそうにしている。
ま、元商品をタダで貰っていくつもりだから、客ではないけどね。それでもただ朽ちらせておくよりは、タダでも有効活用してやった方が商品冥利に尽きるってものだろう。
ここまで世界が変われば、無論法だって無効だ。責められる
「んじゃ、オレは生活品を探すけど、シロはどうする? 着いてきてもいいし、本屋とか雑貨屋とか見て回ってもいいよ。ここにも、まだ読める本ぐらいはありそうだ」
「……何、その厄介払いする感じぃ。もしかして、見られたくないモノでも見に行くんじゃないの? 危ないモノとか………エッチなモノとか?」
「いやいや、違ぇよ。冤罪だ」
「へー、どーだろーね~? ま、いいよ。じゃあ、またここに集合ね。いーっ、だ!」
少しヘソを曲げた様子のシロ。
それにしてもシロの奴、ここ最近で急激にませた感じになってきている気がするな。読んでる本の影響か? あまり詮索したことはないけど、いったいどんな本を読んでるんだろう。訊いてみたいが、訊いたら余計にヘソ曲げそうだ。
相変わらず、シロがいなくなってもシロのことばかり考えてしまってる。今は探すべきもの探さなくちゃ。
ショッピングモールの中は驚く程に綺麗で、二年前までの生活を否応なく思い出させる。真っ暗な上にエレベーターやエスカレーターは機能停止しているが、物色する分には大して不都合ではない。
ただ、それにしたってここまで綺麗なのは珍しいな。例え『竜害』を逃れた建物でも、二年近くも放置すれば何処かしらにガタがくるのが普通だ。にも関わらず、モール内は煤けた臭いと積もった埃が鼻に付く『だけ』。汚れているだけで、壊れてはいない。余程運が良かったのか、工事に携わった業者の腕が良かったのか。どちらにせよ、安心して物色出来るのはありがたい限りだ。
シロと別れて真っ先に向かったのは、いわゆるアウトドア用品の類いが売ってある専門店だ。入り口に地図があったお陰で迷わずに直行出来た。
ここはまさしく、オレにとっての宝の山。今でも使える上に有用なモノが沢山眠ってる。
この薄闇の中、
街灯なんて機能しなくなって久しい今、火の存在は何より大切だ。未開封のライターオイルなら、二年は放置したであろう今でも問題なく使える。これがなければ朝の優雅なコーヒーブレイクもご破算になりかねない。絶対の必需品だ。
後は、携帯テントも新しいのに代えなきゃな。所々破れかけてたはずだし。もっと頑丈そうなのと交換しよう。
他にも、探せば色んなモノが見付かる。それこそ、キャンプやサバイバルになんて縁のなかったオレには
店内を探し回り、ライターオイル数缶と高価らしい携帯テントを一つ、そしてロープライターとかいうサバイバルグッズを拝借させてもらった。
他にも有用なものは幾つかあったが、これ以上は嵩張り過ぎる。いくら便利なモノとはいえ、多すぎると邪魔なだけ。積載量に制限のある旅の道中では尚更だ。
ええと、あと必要なものはー……っと。
そうだ、服も新しいものに替えた方がいいかも。シロもオレも、一昨日服を着たまま海に入ったしな。いくつか丈夫そうなのを貰っていこう。
オレの服は適当でいいけど、シロの服は吟味しないとな。変な服を選んだらシロに怒られてしまう。
女性用の服選びなんて苦手分野の極みだが、着てもらっている以上はオレが選ばなきゃいけない。シロに任せたら、着ないという択しか選らばないだろう。
──仕方ない。値段を気にしないでいいだけマシと考えるしかないな。
モール内を巡り、自分とシロに似合いそうな服をいくつか見繕い終わった。ただ、これで満足してくれるかは皆目検討が付かない。こんな真面目に女性服を選ぶなんて、人類が滅ぶまで一度だってなかったもんな。
そう考えると、シロが服装に無頓着で助かったとも思う。お互い良し悪しが分からないから、不満の『ふ』の字も生まれない。選ぶ分には楽ではある。
──とはいえ、分からないなりに誠心誠意似合う服を選んだけどね。
これであとは食べ物を物色するだけか。運良く日持ちする保存食が残ってればいいけど、期待は出来ないな。
世界に竜が現れて各地を破壊したニュースが拡がると、流石に残った人々も滅びを予見した。多くの人が竜による災害、『竜害』に備える為、災害グッズや保存食を買い込みに……いや、奪いに走った。そんな過去の事情から、何処のマーケットやデパートで探しても保存食系はそうそう見付かることはない。
ま、人類のそんな心配は、悲しきかな
砂糖の一欠片でも見付かれば儲けものくらいに考えた方が、落胆せずに済みそうかな。それに何より、オレが今最優先に探しているモノは、食料ですらないのだから。
「………お、あったあったっ」
食品売り場のレジ付近に仰々しく置かれた紙束。建物の中にあったおかげか、二年の歳月を経たのに大した劣化もない。もちろんその紙面に書かれた文字も読めるし、載せてある写真もハッキリ見える。
大きく記された「号外」の文字。そして、懐かしさすら感じる安っぽい紙触り。いわゆる、号外新聞ってヤツだ。
シロは意外と勘が良い。竜だからなのかシロ個人の才能か、オレの無言の思惑をよく見破ってくる。
今回にしてもそう。シロの言った通り、オレは彼女に見られたくないモノがあるから別行動を提案したんだ。
新聞を拡げると真っ先に目を引くのは竜の写真。巨大な翼を持った竜が空を飛んでる、迫力に満ちた写真だ。その横の見出しにはこう記されている。
『遂に日本でも『竜害』による被害。四国壊滅、推定死者数三百万人以上』
このニュースは覚えている。まだギリギリ公共の電波が機能していた頃、テレビやネットで大騒ぎだったからな。
その日は台風が上陸したかのような突風が日本中に吹き荒れていた。おそらく件の竜害による影響だったのだろう。蝶の羽ばたきですら世界の裏側に影響をもたらすという。なら、竜の羽ばたきならその比じゃない。そりゃ日本全土を嵐を起こすくらい容易だろう。
この号外新聞にも当然覚えがある。あるからこそ、オレはこの新聞を探していた。
今外を吹き荒ぶ突風とかつての『竜害』との共通点が、この記事を読むことで見付かるかもしれないと思ったからだ。
あの季節外れの
もしかしたら、近くに竜がいるのかもしれない。いるなら是非とも会いたい。だから少しでも調べようと思い、この新聞を探していたんだ。竜についての文献なんて殆んど残っていないから、こんな記事でも貴重な資料だ。
ライターの火を灯りにして記事を読む。内容は号外故に稚拙で、どこか感情的とも思える文章だった。あまり新聞の記事らしくない、情報不足を感情で補うかのような中身。
竜への憎悪と恐怖を詰めて、それを煽るかのような──、文献としては0点だけど、中々の名文。少なくとも、民衆の心を煽るという意味でなら百点満点の記事だ。
……やっぱりな。シロに見せなくて本当に良かった。こんなモノを見せて、シロが少しでも傷付くなんてまっぴら御免だ。漫画やら娯楽小説やら学問書ならいくら読んでも構わないけれど、こういうモノはなるべくシロから遠ざけたい。
余計なお世話かもしれないけど、シロに変な責任を負わせたくない。竜の存在と人の滅び。そんな『どうでもいい』ことを、今更シロと結びつけたくない。
シロにわざわざ別行動を提案したのは、そんなオレの勝手なお節介からだ。こんな意図がシロにバレたら、果たしてシロはどう思うだろう? 無意味な
中身も外身もペラッペラな新聞を放り投げる。嫌なことを思い起こしただけで、あまり学びはなかったな。
それに、結構時間を使ってしまった。今日はもう、ここで一夜を明かした方がいいかもしれない。たまにはテントの中じゃなく、寝具コーナーのフカフカなベッドで寝るのも悪くないだろう。戻ったらシロにそう提案してみようかな。
待ちくたびれて不満気なシロの顔を思い浮かべると、その顔は思い起こした嫌な想像を上塗りし、小さな不安を
このライターの火よりもずっと強い光で、オレの心を照らしてくれる。
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