2話 雪竜が舞う海辺にて ~前~

 舞う雪と潮風が合わさって妙に肌寒い海岸沿いの道路に、飛虫が舞うようなモーター音とタイヤが回る音が轟く。

 以前は耳に留まることもなかった些細な音が、昨今は妙に耳に障る。これまで喧しく世を闊歩していた人類が軒並み消えたから、ちょっとした人工音が目立つ様になったのだろう。木を隠すなら森、雑音を隠すなら雑踏の中ってことか。


 とはいえ、耳にさわるこの音が不快かと問われれば、そんな事はないのだけれど。



「うっひゃあー!! 風が冷た~いっ」


 後ろから、甲高い悲鳴。


「少し速度を落とそうか?」

「ううん。これくらいへっちゃらだもん。これくらい、あたしの飛ぶスピードに比べたら、まだまだ全然遅いもの! もっともっと速くたっていいもんねーっ!!」

「そりゃ豪気ごうきなこって。でも残念ながら、今や途絶えた人類の叡知えいちじゃこれが限界だ。確かにシロの速さには見劣りするけれど、竜の翼が比較相手じゃそれも致し方ないってもんだ」

「あっはっはっ!! とーぜんだもんねっ。やっぱり弱っちいなぁ、人間って」

 

 スクーターを走らすオレの後ろから、軽快で生意気な声が飛んでくる。後ろ乗せにロープで縛って固定してあるキャリーバッグのそのまた上に座って、優雅に風を浴びるシロ。こんな不安定な場所で平然と座ってられる事自体が、竜の異常な身体能力とシロの自賛の信憑性を裏付けている。

 こんな余裕綽々に煽られると、俄然アクセルペダルを踏む足にも力も入るってなものだが、どれだけ力を込めて踏んでも、シロが驚くような速度には絶対届かない。それは、ちょっと前までスクーターではなく竜に乗って旅していたオレが、誰よりもよーく知っている。


 それに植物が伸びてあちこちひび割れた道路で全力疾走するのは、流石に気が引ける。いくら他の車両や取り締まる存在のいない貸し切り道路とはいえ、危ないものは危ないからな。

 一応ある程度スピードを抑えるのが、この終末における交通マナーだと自分なりに定めてある。法なんて機能しなくなって久しいが、それでも勝手にルールを決めて、それに沿うのが人間のさが──ってね。


 一見してただの儚げな色白美少女に見えなくもないシロと、潮風に吹かれながらのスクーターでの二人乗り。パッと見ただけなら漫画や映画のボーイミーツガールな青春の一幕そのものだけど、それはあくまで一幕の情景として切り取った場面だけの話だ。

 シロはただのガールとは一線をかくし過ぎてる存在だし、オレだってボーイを自称するほど子供じゃない。それに何より、こんな有り様の世界だ。ありがちな青春を語るには色んなものが足りていない。


「うーん……。それにしても、雪が止まないな。季節的にはもうとっくに春なはずなんだけど、変な天気だ」

「別にいいんじゃない? 冷たくて気持ちいいし、あたしは好きだけど」

「いや、オレも別に嫌じゃないけど……不思議だなって。ただ単に、オレの体内カレンダーが終末ボケしてるってだけなのかな。それとも、人類が滅びて天候にも何かしら──」

「それだそれっ! タローがぼけてるだけーっ!! いつも通りじゃんか。くっくっ、語るに落ちちゃったじゃんか。──あははっ!!」


 何だ何だ。嬉しそうにわらってくれやがって。

 まあ、後ろからパシパシと頭を叩いてくるシロの笑顔を想像すると、彼女の大きな口から吐き捨てられる悪舌なんか腹立たしくも何ともない。それどころか、微笑ましい気持ちばかりが胸に積もる。


「しき? とか季節のことはさ、あたしにはよく分かんないけど、こんだけ降ってるんだから普通の天気なんじゃないの? 朝より激しくなってるよ」


 シロに言われるまま空を見上げてみると、相変わらずの晴れ模様が広がる空で雪だけが勢いを増している。日差しも強いから道路に残るようなことはないけれど、スリップしないように気を付けてないとな。転けてもシロが怪我するようなことはあり得ないが、スクーターや人間オレが壊れたら面倒だ。

 メーターの針を見ながら、スピードを少し落とす。


「いくら人類が滅びた影響を加味しても、たった二年ぽっちで四季がズレるとも思えない。ひょっとしたら、まだ冬なのかもな。あんまり寒くはないけどさ」

「さぁ~ねぇ? そーゆー人間基準の違和感は、あたしにはさっぱり。それに、どーだっていいんじゃない?」


 確かに、どうでもいいっちゃどうでもいいか。四季や季節の時計がイカれようが、この終末にして影響があるとは思えない。

 少し前まで巨大な竜たちが闊歩していたことを思えば、どんな変化もどうでもいいと許容出来る。


 オレの肝も、目の前の竜の十分の一くらいには据わってきた。それもこれも、竜との二人旅の賜物たまものかね。


「──あ、そうだっ!!!」

「うわっ!!」


 耳元を貫くシロの弾けた響声に驚き、不意にブレーキペダルを強く踏んでしまった。一瞬、後輪が浮くくらいの急ブレーキがかかったが、そんな反動なんて何処吹く風とばかりに竜の少女は軽快にキャリーバッグから飛び降りて、軽妙なステップを踏みながらオレの前に回り込んで来た。

 ホント、人並み外れた身体能力だな。ま、実際人ではないのだから当たり前だけどさ。


「タローが寒くないのならさ、海に入ろうよ。うーみー!!」


 大きな口をさらに大きく開けて、指差しながら海の名を呼ぶ。呼ばれた海は、まるでシロに声に応えるように波音を響かせる。


「海、ねぇ。こんな雪が降る中でか?」

「ふふんっ! こんな雪舞う中だからこそ、だよっ」


 シロは勝ち誇ったように小さな胸を張り、大きく鼻息を鳴らす。シロがオレに上から目線でマウントを取ってくる際のお決まりの仕草だ。  

 潮風に揺られる極白色の髪と大口から覗く鋭い牙が、そんなこまっしゃくれた顔をつややかな白で彩っている。


 凡庸とはかけ離れた顔の隅々にまで目がいく。シロと旅を始めてもう二年経つが、いつまで経ってもこの非凡が平凡へと慣れる気配がない。

 こうして竜の瞳で見つめられると、いつも胸の動悸どうきがワンテンポ速まる。こんな感覚、終末になるまで一度だって抱いたことはない。少なくとも人間には、一度だって──


 これを恋だと気付いたのは、つい最近のことだ。この胸の高鳴りを感じる度に、人類が竜に滅ぼされて良かったと……そんな不謹慎な考えが頭をよぎってしまう。

 仕方ないだろう? こんな終末でなければ、オレとシロがこうして出会う事はなかった。オレみたいなちっぽけな人間が、竜と共に行く旅を満喫する──そんな壮大な与太話が成る日なんて永遠に訪れなかったはずだ。


 その事を思えば、人の手を離れ少しばかり不自由になり、人から解放されて少しばかり自由になった今の世界が………堪らなく心地良いんだ。


 ──パシッ!


「まーた呆けちゃって、もうっ! あたしの話聞いてるの?」

「ふぇ? ふぁあ、ごめん。聞いてなかった」

「もー、なにそれっ!? やっぱりタロー、ボケボケじゃんか」


 シロの小さな両の掌がオレの頬を挟む。

 この心の内を吐露したら、きっとまたシロに詩的が過ぎるとわらわれるだろうな。それはそれで嫌ではないけど、今は言わないでおこう。


「はぁー。まったく人間ってばダメだなぁ」

「そりゃ、竜と比べればダメダメさ。あの海よりも深い度量でもう一回聞かせてくれよ」

「べーっ! ………ま、いいけどさ。だからね、タローがこの雪を異常だって思うなら、海の近くに『いる』かもしれないでしょ? だって、海に近付いてから雪が強くなったんだから。ねっ、そう思わない?」


 ああ、なるほどね。そういう意味か。シロの言葉の通り、オレの頭はボケボケだったな。旅の目的の一つなのに、すっかり頭から抜け落ちていた。それもこれも、シロのはにかむ顔で頭が茹で上がってたからに違いない。


 うん、確かにいるかもしれないな。

 二年前、竜が現れたばかりの頃。あらゆる異常現象のお膝元には、必ず竜の存在があった。異常気象、地殻変動、大洪水に大竜巻。それらの天変地異を、まるで欠伸でもするかの如く引き起こした大いなる竜の力。

 人類の繁栄を紙屑みたいに吹き飛ばした竜の影響力をもってすれば、この季節外れの風花にだって納得がいく。この光景が異常に映るのは、無力な人間の目を通したからってだけか。


「よしっ、じゃあ海岸に降りようか。雪の降る中、二人っきりの寒中水泳と洒落込もうじゃないか。唇を真っ青にしても知らないぜ」

「へっへーん!! どうせ先に音を上げるくせにぃ。人間が竜に敵う訳ないじゃない。ちっちゃくって弱っちいんだからぁ」


 小さな身体を跳ねさせ、我先に海岸へと降りる道をシロが駆けていく。今はオレよりずっと小さいが、その全身の所作が竜の力強さを表現している。


 女の子と一緒に雪降る海へ。これもまた、ありふれた青春の一幕のようじゃないか。

 


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